おりおりに 出逢った      「すきなもの」を      縦横無尽に ご紹介
http://sukimono.edoblog.net/

Ryu 【その4】



今回の旅をするきっかけとなったのは

この日 興正寺のライブラリーサロン華宮で行なわれるイベントでした




土取利行さんと松田美緒さんによる




実はこの2人による同様のライブは

すでに今年の6月に香川県丸亀市でのものを聴いてそれで十分満足していたのですが

土取さんのSNSでのライブ告知の投稿

ほぼその瞬間に行くことを決めていました




そこまで「八事」に引っかかっているとは…

と我ながら驚いたものです




それまでに八事山興正寺ついての情報に触れたのは

ただ一度




落合莞爾さんが

ウェブ上の講座で話されていたと記憶しています




私が聞いた内容とほぼ同じものを上のリンク先でも読めますが

念のためにこちらにもコピーしておくことにします







― 八事山興正寺の寺号の由来は?

さて次に、なぜ八事山興正寺が「八事山」という名前を付けられたのであろうか?

答えから先に言えば、「ヤエコトシロヌシのみこと(八重事代命)」が由来で、

これを詰めて「ヤコト(八事)」としたことを、

京都皇統の関係者から先日聞いたばかりである。

この「ヤエコトシロヌシ」は、

日本神話の出雲の国譲りに出てくる神様で、

大国主の息子である。

天孫アマテラスの代理の「タケミカヅチ(建御雷命)」が、

大国主に国譲りを要求した際に、

息子のうち兄のヤエコトシロヌシは鯛釣りの最中であったが、

即座に承諾して青柴垣に隠れてしまう。

ところが弟の「タケミナカタ(建御名方命)」がタケミカヅチに力比べを挑み、

負けてしまって逃げ込んだ信濃国で諏訪大社に祀られることとなった。

諏訪大社の主祭神は、上社・下社ともに「タケミナカタ」とされ、

下社には「ヤエコトシロヌシ」が合祀されている。


これは本来の形ではなく、上社がタケミナカタを祀るのは良いが、

下社は兄のヤエコトシロヌシを祀っていなければならない。

下社の主祭神は本来はヤエコトシロヌシで、弟が合祀されている形が正しいのである。

国譲りの話の冒頭で、「ヤエコトシロヌシが手を打つと、

青海原が青柴垣に変わり、その裏に隠れた」とされるが、

これに平仄を合わせて、

ほんらい下社の主祭神として祀られるべきヤエコトシロヌシを合祀としたのであろうか。


京都皇統から伝えられたのは、

このヤエコトシロヌシこそ日本の本来の皇統で、

その後も日本史の進行を裏から支えてきたキイ・パーソン(キイ・ゴッドか?)であり、

これを知ることが、

日本書紀だけでは分からない本当の歴史を理解するための第一歩である。

その際、チラリと仄聞したのは、

「青柴垣隠れの意味は海外移住」ということだが、その詮議は後回しにせざるを得ない。
























八事山興正寺に着いて

境内を掃除している方に その夜のライブ会場である“華宮”の場所を伺って確認し

「まずはご挨拶を」と本堂へ行くと

先客が三人いらっしゃいました




中央の人物の後ろ姿に「おや」と思うのと同時に

三人が振り返ると

なんと

ライブに出られるお二人と(後でそうと分かった)ライブの企画者の方でした



(企画者の方は 丸亀のライブにも来ていらして

たぶん 私のほぼ真後ろに座られ

アンコールで「こびとの歌」を所望された人だと思います。

実は丸亀でもライブの前に

ランチを食べたお店でこのお三方をお見受けしておりました。)




すれ違いざまに

今夕のライブを楽しみにしています とお伝えし

なんだか面白いなぁ

と思ったのでした























興正寺はそのお山…というか杜が印象的で

暮れるのが早くなった日が

まだあるうちに

でもゆったりと

枯葉や木々を渡る風の音 鳥の声を聞きながら

足の赴くままに散策しました
























【つづく】