あと
先日訪ねた先に
江戸・宝暦年間に飛騨三長者と呼ばれた方の住まいが
移築されていました
この家があった地域が
ダム建設によって水没することになったため
持ち主が寄贈されたとか
ノミの痕が印象的な柱は
写真に撮ってみると
まるで
現代美術のオブジェのようです
やわらかく波打つ
艶やかな
木肌を見ていると
当時の息吹が伝わってくるような気がします
時空を超えて存在してきたものを
実際に
この手に触れることができる
不思議
確かな存在感と
いまここには存在していないけれど
確かに感じ取ることができる
そこに刻まれた痕跡
つくづく
「物」
は
おもしろい
「物」
という場において
顕在と潜在
現在と過去
が
ひとつらなりになり
それが新たな生命を得て
生き生きと
わたしたちに語りかけてくれます
わたしたちが
次代に残し伝えていくものは
名でも業績でもなく
そんな
いのちのいぶき
なのかもしれません
<板を貼りわせたように見える階段の踏み板
こちらも彫りによる模様です>
いのちの風の中に生きる
映画「風に立つライオン」を
観てきました
最も印象に残っているのは
主人公が
少年兵として9人を殺したという少年に語りかける場面です
「お前は9人の命を奪った。
それなら
一生をかけて10人の命を救うんだ。
いいな?
未来はそのためにあるんだよ。」
You took the lives from nine people.
So, now,
you have to spend your life saving ten lives.
You understand me?
That's what the future is for.
命を奪ったら命で支払うべき
人を殺せば殺されるのが当然
という考え方があります
ある意味
納得できる考え方です
でも
二人以上の命を奪った人は
もっと言うなら
戦争などでたくさんの命を奪った人は
どうやってつぐなうことができるのでしょうか
奪われたものを奪い返す
というあり方は
恨みを積み重ね
出口のない苦しみの中に封じ込まれてしまうだけではないか
そんなことに
私たちは
信じられないくらい膨大な犠牲を払って
気づき始めています
それは
奪われた人たちの
想像を絶する体験があってのことです
「つぐなう」
こともまた
いのちをつなぎ はぐくむ
という
“生物が歩んできた道筋”の中にあるのが
望ましいというか
自然なのではないかと、
いえ
そうあってほしいと、
まだ
うまく言葉にできませんが
強い意志のようなものとして
私には伝えらえました
そしてもう一つ
心に強く残っているのは
アフリカの広い空と大地
1993年から94年にかけての年末年始に
3週間
初めてアフリカへ行った時のことを思い出しました
(写真はすべてその時のものです)
今でもありありとよみがえるのは
サバンナの広い大地と広い空
テント一枚隔てて感じる野生動物の気配
そして
そこに昇る朝日
と
吹きわたる風
アメリカをバスで横断した時に通った
地平線が延々と続く広い大地には感じられなかった
どこか
なぜか
懐かしい感じがありました
そして
なぜか
苦しいときに思い出し
私の存在を奥深くで支えたくれたのが
彼の地で出会った子どもたちの笑顔だったのです
*
たぶんこの映画の公開に合わせて
先ごろ再放送された
テレビドラマ「JIN-仁」でも
大沢たかおさんが医師を演じていました
その中の
「死んだ人たちが生まれてきたいと思える世をつくる」
ということばも
また
今回の映画とつながり
私たちの進むべき道標となるのではないでしょうか
<こちらはトランジットで一泊したムンバイの子どもたち>
僕は現在[いま]を生きることに
思い上がりたくないのです
空を切り裂いて落下する滝のように
僕はよどみない生命[いのち]を生きたい
キリマンジャロの白い雪
それを支える紺碧の空
僕は風に向かって立つライオンでありたい
【「風に立つライオン」の歌詞より】
立てば
牡丹が終わり
芍薬の季節になりました
その名は
原産地の中国で
しとやかで美しいことを意味する
「綽約(しゃくやく)」
に由来するとか
ヨーロッパではバラにたとえられ
フランスでは「聖母のバラ」
スペインやイタリアでは「山のバラ」
と
呼ばれているそうです
花言葉は
夕方になると花びらを閉じることから
「はじらい」や「はにかみ」
そのほかには
「清浄」や「威厳」
学名は「Paeonia lactiflora」で
属名の「Paeonia(パエオニア、ペオニア)」は
ギリシャ神話の医薬の神である「Paeon(ペオン)」に由来し、
実際に
その根には
鎮痛・鎮痙・筋弛緩などの作用が認められる
漢方ではポピュラーな生薬で
肝臓を調えたり
神経を安定させたり
血液を活性化する薬効もあるようです
ちなみに
種名の「lactiflora」は
「ミルク色の花をもつ」という意味とのこと
原種は
白かクリーム色の花だったのでしょうか
<ついでにアザミも。我が家の庭では 蝶が好むお花です。>
今年植えた芍薬は
たった一輪あるだけで
部屋中を
上品な甘い香りで満たしてくれます
【 補 記 】
芍薬の香りの効果について調べているとき
(残念ながらその効果はわかりませんでした…)
「精油成分が多いと香りが強く
香りの強いものは胃の粘膜を荒らしやすい」
旨の記述に出逢いました
かつて受講した
フィトセラピーの講座の中で
精油はもちろん
ハーブも
使いすぎると
肝臓に負担をかける
と
講師の方が話されていたことを思い出します
効果があるということは
それだけカラダへの作用が強い
ということ
なのだと
仕事の中で精油やハーブを採ることが多い
その方は
自宅では
精油やハーブを使わないと
おっしゃっていました
このところ
胃腸の調子がいまひとつ優れなかったのは
もしかしたら
部屋に飾った芍薬の
香りに一因があったのかもしれません
欧米で行われている
精油の飲用を
自己責任で行っている人もいるようですが
欧米人と日本人のカラダの違いも含めて
取り扱いは慎重に
あと
整髪料や香水などの強い香りもまた
使っている本人だけではなく
周りの人の
カラダに負荷を与えているということになりますね
わたしを束ねないで
確か 中学生の頃だったと思います。
この詩に出逢って 以来、
ことあるごとに また ふとしたときに 思い出し、
ことあるごとに また ふとしたときに 思い出し、
いつも わたしのこころのなかで 通奏低音のように響いています。
【 わたしを束ねないで 】
新川和江
わたしを束ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱のように
束ねないでください わたしは稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色[こんじき]の稲穂
わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしは羽撃[はばた]き
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音
わたしを注[つ]がないで
日常用に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちてくる
苦い潮[うしお] ふちのない水
わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
坐りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風
わたしを区切らないで
,[コンマ]や .[ピリオド] いつくかの段落
そしておしまいに「さよなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終わりのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩
しょうよう
今年の春は
ここ半年気になっている地域に
何度か足を運んでいます
昨日は
ときおり山行をご一緒する方と
二つの山を
歩いてきました
折り重なるように連なる山々の中にある
隠れ里
のような風景は
どこか懐かしく
また
どこか普遍で、
“地理上の特定の場所”
という枠組みから外れた感覚とともに
その風土がつくりだす
「けしき」を
味わいながら…
そういう季節なのでしょう
どこへ行っても
蝶がたくさん舞っていて
架空の物語に登場する姫が
籠ったとされる洞が
さも
事実であったかのように
きちんと整備されているのを見て、
ちょっと奇妙な気持ちになったりもして
でも
それが
秘されたものがたりと関わりが深いであろうこの地の
ありようと
重なったりもするのです
【 逍 遥 】
竹の子の力
万物にたとふべし
照りし新緑
とみのやま
かくれさとのや
われ
しょうようす
cf. 「竹の子の力を誰にたとふべき」by 野沢凡兆
本日 旧暦弥生の朔
身軽にいこう
一つ一つ おわらせて
一つ一つ かたつけて
いらないものは てばなして
着脱自在は
ヒトの特権
身軽にいこう
身軽に生こう
@先日買ったポストカードです
たびのそら
前から一度乗ってみたいと思っていた
ローカル線
先頭の窓に張り付いて
ひらけゆく景色を大いに楽しみました
鉄子になった気分です(笑)
【補記】
この旅から戻って
なぜか
「花はどこへ行った(Where Have All The Flowers Gone?)」
のメロディーが浮かんでいます
以下は 忌野清志郎さんの訳詞です
*
野に咲く花は どこへいった
遠い昔の ものがたり
野に咲く花は 少女の胸に
そっとやさしく抱かれていた
かわいい少女は どこへいった
遠い昔の ものがたり
かわいい少女は 大人になって恋をして
ある若者に抱かれていた
その若者は どこへいった
遠い昔の ものがたり
その若者は 兵隊にとられて
戦場の炎に抱かれてしまった
その若者は どうなった
その戦場で どうなった
その若者は 死んでしまった
小さなお墓に埋められた
小さなお墓は どうなった
長い日月が 流れた
お墓のまわりに 花が咲いて
そっとやさしく抱かれていた
その咲く花は どこへいった
遠い昔の ものがたり
その咲く花は 少女の胸に
そっとやさしく抱かれていた
野に咲く花は どこへいった
遠い昔の ものがたり
野に咲く花は 少女の胸に
そっとやさしく抱かれていた
はなまつり
列車の車窓に
これまでに見たことがないほどの
大量の桜吹雪が舞い始めた
と思ったら、
季節外れのみぞれでした
それは やがて
雪に変わり
目的の場所に着いた時には
道端には
積雪も
あたたかく晴れた去年とは
天気が大きく異なる、
菜の花や桜の花に雪が舞い散る
今年の花まつり
深く立ち込めた霧も手伝って
そこは
幻想的な時空になっていました
【おにのなみだ】
た ち
こ め る
も や
の
し づ く
の
泪 山
は な の ま つ り に
な る 水 は
ち り
な が れ
と く
隠 れ し
い の ち
*「おに」は 姿の見えないものを意味する漢語「隠(おん)」が語源、との説あり
cf. 年を経て花の鏡となる水は ちりかかるをや くもるといふらむ
(古今和歌集 四十四番)
はなまつりで
誕生仏に頭から甘茶を灌ぐのは
「お釈迦様がうまれたとき
天から九頭龍が舞い降りてきて
甘露を灌いだ」
という伝説にちなんでいます
この日の雪やみぞれは
甘露だったのかもしれません
<誕生仏の背後にある「撮影禁止」の表示にまったく気づきませんでした。。。
お寺としては撮ってほしくなかった写真ではありますが
しつらえがあまりにも可愛らしいので 使わせていただくことにしました。>
風の花
ギリシア語で「風」を意味する
Άνεμος(anemos)
に
その名が由来する
アネモネ
暖かい風に促されて開花し
強い風によって花が散り
長い毛を持つ種が
風に乗って運ばれることから
そう呼ばれているようです
寂しい冬の庭に彩りを
と思って植えた
三色のアネモネ
花言葉は
赤は 「君を愛す」
白は 「真実」「期待」「希望」
紫は 「あなたを信じて待つ」
であることを
後から調べて知りました
*
このアネモネ
アルメニアの国花なのだそうです
アルメニア人は
自らを ハイ(Hay/複数形はハイクHayk)
国を ハヤスタン(Hayastan)と呼び、
正式名称も
ハヤスタニ・ハンラペトゥテューン(Hayastani Hamrapetut'yun)
となります
アルメニアの始祖であり ハイ族の長である
ハイク・ナハペトは、
箱舟がたどり着いたアララト山の麓に住んだ
ノアの玄孫
とのこと
通説では
301年に世界で初めてキリスト教を国教としたのが
アルメニアです
ハイク/アルメニア人
は
「12世紀にアルメニア王国や東ローマ帝国が衰退・崩壊した後は
世界中に拡散し
商工業の担い手として各地にネットワークを広げてき活躍した」
(Wikipediaより引用)
そうで
アルメニア人の7割は国外在住とも言われ、
そんなディアスポラの民に
風の花「アネモネ」
は
ふさわしい
と
言えるのかもしれません
軍事と商業に長けていたとされる
ハイク/アルメニア人
その花は
これから
どんな風にのって
この地球に
広がっていくのでしょうか
…と そんなことを書いていたら
中島みゆみさんの
『EAST ASIA』
を
思い出しました
*
降りしきる雨は霞み 地平は空まで
旅人一人歩いてゆく 星をたずねて
どこにでも住む鳩のように 地を這いながら
誰とでもきっと 合わせて生きてゆくことができる
でも心は誰のもの
心はあの人のもの
大きな力にいつも従わされても
私の心は笑っている
こんな力だけで 心まで縛れはしない
(略)
モンスーンに抱かれて 柳は揺れる
その枝を編んだゆりかごで 悲しみ揺らそう
どこにでもゆく柳絮[りゅうじょ]に姿を変えて
どんな大地でも きっと生きてゆくことができる
でも心は帰りゆく
心はあの人のもと
山より高い壁が築きあげられても
柔らかな風は 笑って越えてゆく
力だけで 心まで縛れはしない
(略)
世界の場所を教える地図は
誰でも 自分が真ん中だと言い張る
私のくにを どこかに乗せて
地球は
くすくす笑いながら
回ってゆく
<『EAST ASIA』より>
*
この曲が歌われた
1992年の夜会VOL.4「金環蝕」
は
古事記の「天岩戸」をモチーフにした
日本女性の原点がテーマ
と
Wikipediaには記されています
「アメノウズメノミコトという
歌と踊りをつかさどる女神が
日本神話に出てくるんですけれど、
だいたい神話に登場するキャラクターというのは
後の世の人間にも多かれ少なかれある いろんな要素の
極端な形だと思えるんです。
ならば
アメノウズメノミコトは
いま いったい どこにいるのだろうかと、
それがこの夜会のテーマになりました。
そして もう一つ。
天岩戸伝説の中で
アマテラスオオミカミが
暴力に嘆いて抵抗したはずなのに
結局 暴力でまた王座に連れ戻されてしまう
というストーリーが
私としてはどうも納得いかなくて
気にかかっていたので、
アマテラスオオミカミの気持ちは
いったいどうなったんだろうと、
そこのところに
目を向けたいと思いました。」
(あるテレビ番組の中での 中島みゆきさんの言葉より)
*
日本神話に描かれるアマテラスオオミカミは
ダミーで、
暴力を嘆いた
本当のアマテラスは
力づくで引き出されることなく
傷ついたまま
いたみつつ
いま このときも
それぞれの人の
イワトの奥深く
隠れているように思えます
やわらかな風にのって
彼女が
花ひらき
世界に広がっていきますように
はな ひらく
その寺院を知ったのは
どういう経緯だったのか
今となっては思い出せないのですが、
気になっている土地の
最澄が開祖の場
ということで
私のアンテナにひっかかり、
昨日
ふと思い立って訪ねてきました
ある時期よく足が向いていた
水辺の場所には
かなりの確率で 十一面観音や不動明王があり
どういうわけか
天台宗との関わりを感じることが多かったので、
天台という宗派や最澄という人物が
なんとなく
気になり続けています
空海と縁の深い地に生まれ育ちながら
また
空海を信奉する人たちに出会ってきながら
空海には
それほどの興味をもつことなく
現在に至っている この私
かといって
「最澄が好き!」
というわけでもないのですが、
彼や天台というものが
果たしてきたであろう役割
に
関心があるようです
空海や真言が 歌舞く
その奥で
その背後で
最澄や天台が 行なってきたであろうことに…
後一条天皇の勅願によって建てられたという
観音堂は
全国唯一の「四方懸造」で
国の重要文化財に指定されています
巨大な岩の上に
61本の束柱で支えられた
床高16メートルの建造物
御本尊は
十一面観音です
この周辺は
古代より不伐の森として
守られてきたため、
境内にも
樹齢千年を越す大木が
いまも息づいていて…
最澄が寺を開くずっと前から
聖なる地として
大切にされてきたことが
うかがえます
山林の宗教者である聖たちが、この列島上に出現するまでは、
自然の力は「見えないまま」に、
タブーの領域に封印されたままだったのである。
山のなかの湖や洞窟や磐岩などの近くには、
人々はめったなことでは近づこうとはしなかった。
そこは、聖なる場所とされ、
得体の知れない怪物や、手におえない霊力のうずまく、
恐ろしい場所として、
人々の意識の世界の外におかれ、
生贄[サクリファイス]をささげることで、
ようやくその得体の知れない力を、
なだめることができる、
と考えられていたのだ。
そこに十一面観音の像があらわれたのである。
自然の奥深い力(それはカミの力と呼ぶこともできる)に、
直接触れあって、
それをマジカルにコントロールしたいという欲望をいだいていた、
古代の宗教者たちは、
この仏像のなかに、
人々の精神に革命をもたらす、
起爆の鍵をみいだすことができたのだ。
はじめてこの仏像を目にした、古代の素朴な宗教者たちは、
十一面観音のポリモルフに、
異様な衝撃を受けたのではないか。
その仏像のなかには、
自分たちが感覚ではよく知り抜いてはいても、
それに明確な表現をあたえることができないまま、
タブーの領域のなかに閉じ込めてきた自然力の異様と、
どこか近親するもののあることを、
彼らは鋭く感じとった。
しかも、
その仏像は、
目に見えない、形にならないカオスの力に、
もののみごとな表現をあたえていたのだ。
それによって、
目に見えなかった力が、
見えるものとなった。
恐れをあたえる不定型のカオスは、
畏れの対象である美しいポリモルフへと、
変貌をとげた。
十一面観音の造形の力によって、
それまでタブーの領域に封印されてあった自然の宇宙力は、
人間にはまるでお手上げという状態を抜け出て、
ようやく、
寺院の薄暗がりのなかにたたずむ仏像の美のなかに、
昇華をとげることになった。
(略)
彼らはその冒険によって、
新石器時代以来、長い時間をかけてつくりあげられてきた、
「野生の思考」としての宗教と自然観に、
この列島上で、
決定的な飛躍を実現してみせたのだ。
(略)
ここでも重要なのは、
技術、業[メティス]なのだ。
仏教が日本人の精神にもたらした最大のものは、
無常観でも、論理学でも、戒律の思想でもなく、
人間と自然を媒介する、
新しい精神技術の導入にあった、
と私は思う。
それは形にならない、
したがって目に見ることもできない、
宇宙的な自然力を「造形」して、
それを目に見える形にまで、ひきだしてくるメティスをあたえ、
人間の心の内側に欲望としてうずまいている、
もうひとつの自然力をコントロールするための方法を、
開発してきた。
その技術をとおして、
日本人の自然観も宗教も、
かたちづくられてきた。
そして、
その変化の、
最初のきっかけをつくりだしたのが、
十一面観音像の出現だったのである。
<中沢新一・著『ミクロコスモス Ⅱ ー耳のための、小さな革命ー』P.200〜P.207>
いま、
既存の「精神技術」や「造形」に
自分の真実はない
と
強烈に直観している私たちは、
“感覚ではよく知り抜いてはいても
それに明確な表現をあたえることができないまま”でいるものを
あらわすための
冒険
と
決定的な飛躍
を
必要としているのでしょう
@旧暦1月23日
うめのとき
柱状節理の岩壁
が
幕を広げたように見えることにその名が由来する
幕山
ロック・クライミングのサイトで有名なその場所には
梅林があり
この時期
花をたのしむ人たちで賑わっています
私が訪れた昨日の開花状況は
五分咲き
ほど
むせ返るほどの梅の香りに
包まれたのは
生まれて初めてのことでした
最寄駅である湯河原駅の駅前に
この地を本拠とした
土肥実平の銅像があります
石橋山の合戦に敗れた
源頼朝は
水面に映る己の哀れな姿を見て自害しようとしますが、
土肥実平に引き止められ
その後
この幕山に潜伏していたとか
この地で英気を養い
やがて
真鶴港から出帆し
房総半島の勝山海岸に上陸
安房の武将や豪族の協力を得て
勢力を盛り返し
鎌倉幕府を開くに至ったのでした
幕山が 頼朝ゆかりの地であるらしいと
家人から知らされたのは
梅林訪問を決めてからで、
実際に
どういう場所であるかを調べたのは
今朝のこと
気づけば
昨日一緒だった友人の居住地は
伊豆と房総
であり
ともに
頼朝ゆかりの地
(ちなみに私は鎌倉在住)
帰りに
箱根湯元の温泉で
のんびり羽をのばしたのですが、
幕山は
箱根火山を形成する古期外輪山が成長していく途中に派生した火山
だったことを
これまた帰宅してから知りました
図らずも
ある流れの中にあった
一日だったのかもしれないと、
ほぼ満開となった
近所の梅を眺めながら
思っている
本日なのでした