はな ひらく
その寺院を知ったのは
どういう経緯だったのか
今となっては思い出せないのですが、
気になっている土地の
最澄が開祖の場
ということで
私のアンテナにひっかかり、
昨日
ふと思い立って訪ねてきました
ある時期よく足が向いていた
水辺の場所には
かなりの確率で 十一面観音や不動明王があり
どういうわけか
天台宗との関わりを感じることが多かったので、
天台という宗派や最澄という人物が
なんとなく
気になり続けています
空海と縁の深い地に生まれ育ちながら
また
空海を信奉する人たちに出会ってきながら
空海には
それほどの興味をもつことなく
現在に至っている この私
かといって
「最澄が好き!」
というわけでもないのですが、
彼や天台というものが
果たしてきたであろう役割
に
関心があるようです
空海や真言が 歌舞く
その奥で
その背後で
最澄や天台が 行なってきたであろうことに…
後一条天皇の勅願によって建てられたという
観音堂は
全国唯一の「四方懸造」で
国の重要文化財に指定されています
巨大な岩の上に
61本の束柱で支えられた
床高16メートルの建造物
御本尊は
十一面観音です
この周辺は
古代より不伐の森として
守られてきたため、
境内にも
樹齢千年を越す大木が
いまも息づいていて…
最澄が寺を開くずっと前から
聖なる地として
大切にされてきたことが
うかがえます
山林の宗教者である聖たちが、この列島上に出現するまでは、
自然の力は「見えないまま」に、
タブーの領域に封印されたままだったのである。
山のなかの湖や洞窟や磐岩などの近くには、
人々はめったなことでは近づこうとはしなかった。
そこは、聖なる場所とされ、
得体の知れない怪物や、手におえない霊力のうずまく、
恐ろしい場所として、
人々の意識の世界の外におかれ、
生贄[サクリファイス]をささげることで、
ようやくその得体の知れない力を、
なだめることができる、
と考えられていたのだ。
そこに十一面観音の像があらわれたのである。
自然の奥深い力(それはカミの力と呼ぶこともできる)に、
直接触れあって、
それをマジカルにコントロールしたいという欲望をいだいていた、
古代の宗教者たちは、
この仏像のなかに、
人々の精神に革命をもたらす、
起爆の鍵をみいだすことができたのだ。
はじめてこの仏像を目にした、古代の素朴な宗教者たちは、
十一面観音のポリモルフに、
異様な衝撃を受けたのではないか。
その仏像のなかには、
自分たちが感覚ではよく知り抜いてはいても、
それに明確な表現をあたえることができないまま、
タブーの領域のなかに閉じ込めてきた自然力の異様と、
どこか近親するもののあることを、
彼らは鋭く感じとった。
しかも、
その仏像は、
目に見えない、形にならないカオスの力に、
もののみごとな表現をあたえていたのだ。
それによって、
目に見えなかった力が、
見えるものとなった。
恐れをあたえる不定型のカオスは、
畏れの対象である美しいポリモルフへと、
変貌をとげた。
十一面観音の造形の力によって、
それまでタブーの領域に封印されてあった自然の宇宙力は、
人間にはまるでお手上げという状態を抜け出て、
ようやく、
寺院の薄暗がりのなかにたたずむ仏像の美のなかに、
昇華をとげることになった。
(略)
彼らはその冒険によって、
新石器時代以来、長い時間をかけてつくりあげられてきた、
「野生の思考」としての宗教と自然観に、
この列島上で、
決定的な飛躍を実現してみせたのだ。
(略)
ここでも重要なのは、
技術、業[メティス]なのだ。
仏教が日本人の精神にもたらした最大のものは、
無常観でも、論理学でも、戒律の思想でもなく、
人間と自然を媒介する、
新しい精神技術の導入にあった、
と私は思う。
それは形にならない、
したがって目に見ることもできない、
宇宙的な自然力を「造形」して、
それを目に見える形にまで、ひきだしてくるメティスをあたえ、
人間の心の内側に欲望としてうずまいている、
もうひとつの自然力をコントロールするための方法を、
開発してきた。
その技術をとおして、
日本人の自然観も宗教も、
かたちづくられてきた。
そして、
その変化の、
最初のきっかけをつくりだしたのが、
十一面観音像の出現だったのである。
<中沢新一・著『ミクロコスモス Ⅱ ー耳のための、小さな革命ー』P.200〜P.207>
いま、
既存の「精神技術」や「造形」に
自分の真実はない
と
強烈に直観している私たちは、
“感覚ではよく知り抜いてはいても
それに明確な表現をあたえることができないまま”でいるものを
あらわすための
冒険
と
決定的な飛躍
を
必要としているのでしょう
@旧暦1月23日