おりおりに 出逢った      「すきなもの」を      縦横無尽に ご紹介
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豊は貧なり 貧は満なり













井上有一さんの展覧会をきっかけに

あらためて(もしかしたら初めて)意識した

「貧」



文字




意味を調べてみると、

古代の貨幣であった貝

それが分散することで

貧しくなる、

とのことでした




しかし…

資産を分散するには

まずは分散できるほど豊かでなければならないわけで、

また

貨幣が社会を循環する血液や水

ようなものだとするならば

自分に回ってきた「豊」を分けることで

社会が円滑に営まれ満たされていくわけで、

そう考えると

「貧」

というコトバは

これまで捉えられきた意味とは全く異なる

状態や はたらきや いとなみを

あらわしているように思えてきます




そんなふうに思いながら

「貝を分ける」

すなわち

「貧」



意味する文字を書いてみたら

こんなふうになりました




少なくとも

「貝を分ける」ことは

いわゆる「貧さ」ではありえないでしょう




























さかなとひと











夕食に

シシャモを焼いて

並べたら

なんだか

ほほえましくて

しばらくしみじみ眺めてしまいました




昨日観てきた

河鍋暁斎が描く動物たち

思い起こさせます




なんでも擬人化してしま(い、感情まで付与してしま)うのは

ヒトの脳のクセのようですが、

夕飯のシシャモに

ふと親近感を抱いたのは

このところ

発生学から

ヒトのカラダを見ていることも

多分に影響していると思われます







海にいた 私たち脊椎動物の祖先は

激しい大陸変動によって

水辺の暮らしを余儀なくされ、

それに伴い

エラの腸の壁の一部が膨れて

原始肺と呼ばれる

空気の貯蔵場所がうまれました




その後

陸へ上がっていくものと

海に還っていくものに

別れるわけですが、

現存する魚のほとんどが

波打ち際から海に還っていったものたちだといいます




魚の浮き袋は

波打ち際で得た原始肺が

進化したものなのです



鮫が浮き袋を持たないのは

地殻大変動の際にも

海中に留まり続けていたからだとか




一方

上陸を果たした私たちの祖先は

海の中ですでに得ていた

ヒレから進化させた原始的な手足を

より発達させ

やがて

現在のヒトのカラダへと至ります

(クジラは 陸地で哺乳類に進化したあとに 海へ還っていったようですね)




魚たちは

波打ち際で別れた

仲間

だったのだと思うと

妙に

親しみを覚えるのでした

(でも おいしくいただきますけどね。笑)










 












その朝を越えて












昨日

ある場所でかかっていた

インストルメンタルのBGMの中の

一曲




今日

ある準備書類をつくる前に

どうしても聴きたくなりました




その曲のためにつくられた

スタジオジブリのプロモーション映像が

観たかったのです




2013年の記事を書いたときには

観られた映像が

その後

あっという間に削除されていて

残念に思っていたのですが、

今日は運良く

アップされたばかりのものを見つけることができました




ここに載せてある写真は

パソコン画面を写したものなので

ピントがボケていて

画質も良くないものの、

幾分かは

プロモーションビデオの雰囲気が

伝わるのではないのかと…




今回も

思い出すのは

ナウシカのセリフです




「われわれは 血を吐きながら

繰り返し

繰り返し

その朝を越えて飛ぶ鳥だ」

















































 












































































かなしみのむこう












あの青い空の

波の音が聞こえるあたりに





立ち尽くしていた






波の音が

うまれてくるところを

たずねて




風を

つむぐ




わたし




どこまでも いける 空






























せんをひく











井上有一さんの展覧会

知人のダンススタジオの発表会




両者の刺激が相まって

無性に

大きな筆で大きな文字がかきたくなり




ネットで

適当な言葉を打ち込み

ようやく見つけた

同年代の書家の方がやっている書の会へ

昨日

参加してきました







筆で文字をかくことが

こんなに

楽しく

おもしろく

自由だったとは!




たぶん

生まれて初めての

体験です




これは

ナビゲートしてくださる

講師の人格および力量によるところが大きい

と思われます















その日の私が選んだ

一文字は

台風の只中だったからというわけでもないのですが

(無意識に影響を受けていた可能性はあります)

「風」





筆によって

紙によって

気持ちによって

動きによって

イメージによって

さまざまな風があらわれます






















書は

線をかくものだから




というようなことを

言われたような…




「書 は 線」

ということが

なんだかとても新鮮で

でも同時に

そうだと知っていたような気もします







空白に

線がうみだすもの



虚空に

せんをひくこと




いろいろな

せん



つくる





風景



かんじ

たのしんでいきたい

と思っている

今年の夏です



















【補 記】


帰宅してカレンダーを見て

昨日が

文月の朔だったことを知りました



あたらしいことを始めるには

ぴったりな日

だったようです

その次へ











台風11号「NANGKA」



影響でしょうか




私が住む地域では

連日

島を旅したときを思い起こさせる

やや強めの

さわやかな風が

一日中吹いています




長く続いた雨天の日々が終わり

空が晴れ渡ったとき、

梅雨空に呼応するかのように

長く重苦しかった腰やお腹まわりが

軽くなり、

カラダと気象の

不思議なつながりを

改めてかんじました




そして

いま

大地をふきわたる風が

いらないものを

どんどん

どんどん

そぎ落としていってくれているかのようです





冒頭の絵は

すでにアップしたものですが

いまのかんじに

とても

フィットしているので

再びアップしたくなりました







台風名のNANGKAとは

ジャックフルーツのこと



ドリアンのような

コクのある美味しさがある果物ですが、

かつてマレーシアに滞在したとき

その臭いの強さゆえに

ホテルへの持ち込みを断られたことがあります




和名は波羅蜜




ウィキペディアによれば

仏教用語で「波羅蜜」とは、

パーリ語やサンスクリット語で

「完全であること」



「最高であること」



また別の解釈では

「彼方へ行った」

すなわち

「此岸(=迷い)から彼岸(=覚り)へ至った」



意味するようです




この波羅蜜台風が

通り過ぎたあと

日本の大地に

どんな空が広がり

どんな風が吹くでしょうか






一つの時代が終わろうとしている











「わたしは…

19世紀の喪に

立ち会っているのだ



一つの時代が終わろうとしていた」





ココ・シャネルのこの言葉に触れた

文月初日




夕暮れの空



「いま」というときを現わしているように思え


かんじるものがありました































夏越の祓を経て

古い時代が


終わろうとしています




あかあかと











「戦いの終わり」



意味する名を持つ都市にいる友人からメールが届いた

昨日



夕焼けは


あかあかと

とても印象的で

まるで

燃え立つ海か

沸き立つ溶岩

のようでした















今日読んだある方のブログによれば

昨日の夕焼けの写真をアップしていた方が

結構いた模様













あらわす












この土曜日

現役のダンサーである知人がやっている

ダンス・スタジオの発表会へ

行ってきました




踊りを観るのは

2012年の荒川修作さんの命日に養老天命反転地で行なわれた

田中泯さんの「場踊り」以来




ちなみに

今回発表会に誘ってくれた彼女は

田中泯さんとも共演したことがあるようです

(ウェブで検索したら そのような記述が出てきました)




カラダのことを一緒に学んでいる彼女が

どのような踊りをやっているのか

どのように踊りを教えているのか

知りたいなぁ



思っていた時でしたので

我が家からは少々遠い場所ではありましたが

伺うことにしたのでした




バレエ/コンテンポラリーダンス

という

スタジオにつけられた形容詞




これまでの

モダンバレエやモダンダンスやコンテンポラリーダンス



体験から

実はあまり期待していなかったのですが、

4歳から70歳代まで



幅広い年齢の方たちの

緊張しつつも

硬さやぎこちなさもありつつも

踊ることを楽しんでいる様子が伝わってきて

お世辞抜きに

楽しい時間を過ごすことができました




私の記憶が確かならば

あるテレビ番組で

田中泯さんが

「踊りとはカラダを動かすこと(だけ?)ではない。

こころが踊るのだ。」

というようなことをおっしゃっていましたが、

そういう意味において

「おどり」

そのものを

楽しませてもらったのでした




全身を使って

カラダ全体で

あらわすことの

たのしさ



よろこび



ここちよさ




中でも私の目を引いた

一人の女の子



安定したカラダと

流れるようなうごきは

「踊り」とか「振り」とか「表現」といったものの

枠が薄れ

いのちの躍動そのもの



ようでした




あらわれ方は

まったく違うものの

先日観た

井上有一さんの書に

通じるものがありました




コトバ以前の

そして

コトバにできないものの

あらわれ



文字とオトと動きをひとつとして

あらわされた

井上さんの書



まるで

コトバが発生する現場を垣間見たような

かんじです















帰り際に頂いた花を

飾ってみると

まるで

発表会の

たのしくて はなやかで あいらしく 女性らしい

雰囲気

そのままのよう






















そんな気持ちでいると

枯れて落ちた花びらも

なんだか

踊っているように見えるから不思議です(笑)















 おどり



ことば




ことば



おどり















@本日 夏至




@昨夜の西の空の 月と木星と金星の輝きは

とても印象的でした









<三日月の形だったのに ぼやけて半月みたいになってしまいました。。。>


わきたつ地と熱











昨日

「遠くて近い 井上有一展」



行ってきました




この春

あるお店で

井上有一さんの「菜の花」という書を観たときの

痛烈な印象が

けっこう なまなましく残っていたので、

「菜の花」の書を一緒に観た 彼の書が好きだという友人から

展覧会への誘いがあったとき

しばらく悩んだものの、

好き嫌いを超えて

なにか鮮烈なものを孕む

彼の存在に

あらためて触れてみようと思ったのでした















彼の書に出逢ったのは

今年の春だとばかり思っていたのですが、

前日

展覧会へ行くことを伝えた家人から

既に出逢っていたことを

知らされました







あれは確か

1993年の夏のこと




文化人類学者の山口昌男さんが

廃校を利用して始めた

「喰丸文化再学習センター」の開所祭




福島県昭和村の喰丸小学校の体育館



天井から吊り下げられた

何枚もの

「貧」




冒頭の写真が

それです




ほとんどの写真を処分したときの

選別をくぐり抜けて

幸いにも

手元に残っていました

相撲の廻し姿の山口さんのお尻の写真
処分してしまったのは もったいなかったなぁ…)





改めて見ると

ちゃんと

「井上有一」

という字が

したためられた一枚も




一緒にそのイベントに参加した家人が

そう言うのですから

そのとき

井上有一さんのことが

紹介されたのだと思います

が、

私の記憶には

まったく

とどまっていませんでした




ただ、

地域の小学生が描いたのだろうと思っていた

「貧」



文字



個別の形や存在は記憶になくとも

その文字がかかっていた時空の

空気感のようなものは

ずっと

覚えていたのでした







昨日

あらためて出逢った彼の書は

文字という

“通常の規定の枠”を突き抜けた

ひとつの存在

でした




「表現」

というような

意図をわずかにでも含む行いすら超えた

おのずから

噴出するエネルギー




会場の入り口に掛かっていた

「月山」







まるで

この週末に訪れた

火山島の

溶岩

のようでした




マグマのエネルギー

地球の熱




いま読んでいる本には、

無機物・有機物を問わず

非生物・生物を問わず


地球の進化は

地球の熱の放出による「エントロピーの減少」

によってもたらされている

構造の秩序化である、

という説が

提示されています




「死」

という





エントロピーを小さく保つ生命の営みが

最期を迎えたとき

微生物によって分解され

熱力学第二法則に従ってエントロピーが極大となり

大気や大地へと還っていく

プロセスそのもののようでもあり、

また

一本の腸だけだったとされる

初期の脊椎動物



うごめきのようでもありました




そういえば

井上さんが亡くなったのは

1985年6月15日


私たちは

命日のすぐ後に

展覧会へ伺ったようです




「死」




会場の撮影はできなかったので

書そのものを

ここでお見せすることはできないのですが

(カタログを買っておけばよかった…)

他のサイトから

似た書を見つけることができました









こちらのサイトからお借りしました>







これは

「恵」


という書




もう一枚

似た雰囲気を持つ書がありました









こちらのサイトからお借りしました>







こちらは

「老」

という書





死と恵と老



似ている

というのは

とても興味深いです




最後は

昨日の展覧会にはなかったのですが

一緒に行った友人が好きだという文字

(この書が好きかどうかは不明です)









こちらのサイトからお借りしました>







特注の太い筆を抱きながら

あるいは

コンテを握りしめ 声に出しながら

全身を投げ出して

紙に向かう

井上さんの姿に、

いのちとカラダとコトバと音と動き



一体となってあらわれる

「ことば」



素のままのすがた

原初のすがたを

あるいは

エントロピーが極大の混沌の世界から

創造という営みによってエントロピーを減少させる

いのちの事場[=ことば]

というものの成り立ちを

観ることができたのが、

私にとって

今回最大の恵みでした
















【余 談】


アップルのトップページから消えていた

「その時がやってきた」



文字



展覧会から戻ってパソコンを開くと

再び

トップページに戻ってきていました




すずやかに











支柱を添えようと思っていた

庭で横倒れしていた花




ガラスの器に活けてみると

その色の

なんと

涼やかなこと















昨日刈り取った

ラベンダー

ともども

薄紫色の風が

通り過ぎてゆきます






















植えてあるハーブが蒸れるからと

収穫したものを

先日

大家さんが

おすそ分けしてくださいました




ローズマリー

レモンバーベナ

などなど

香り高いハーブたち












  


部屋に吊るして

お風呂に入れて




いろいろと

籠もりがちな

梅雨の時期




自然の香りで

すずやかに













暁天松籟




 






常に

ひらけた海の景色と共にあった

今回の旅




吹き渡る風も手伝って

息がとてもしやすく

心もカラダも楽で、

意図せずとも

自然にいろんなものがリセットされていくようで、

自らを取り巻く風景や環境が

いかに大事か

あらためて

身を以て実感しました





















一緒に旅した友人の話と、

この5月から6月にかけてが

大きな変換点だった

という

個人的な実感が

符合し、

人間の意識に巣食っていた

吹き溜まりのようなものが

取り除かれ

これから

さまざまな気づきと

それを経ることによってうまれる創造が

いろんなところで

起こるのでは…

という

すがすがしさを、

ひらかれたけしきのなかで

感じています






















帰宅して

パソコンを開くと

アップルのトップ画面が変わっていました




「その時がやってきた」



しばらく続いていたApple Watchの広告の

その言葉が

「いま」とタイミングよく同期しているようで

ずっと

ちょっと

気になっていたのです




旅から戻ってきたら

トップ画面から消えていた

その言葉




「その時がやってきた」




のかも

しれません











 


ペトラ/Petra











先日

旅先で立ち寄ったお寺は

緑深い山の中にありました






















山道のような参道を歩いていると

急に空気が変わり

切通しのような場所が

あらわれました






















この気配や空気や雰囲気は

どこかと似ている…















思い出したのは

沖縄の斎場御嶽(せーふぁうたき)






















そして

ヨルダンのペトラ遺跡

でした






















両側にそそり立つ

岩の壁の間を通り抜けると

ペトラのエル・カズネ(宝物殿)ならぬ

大きな観音様が






















ペトラ(Petra)とは

ギリシャ語で「岩」や「崖」を意味します




その語源は

はっきりしていないようですが、

原義が“bedrock”(=基盤、根底)や

“What one comes through to”(=つながるもの?)という概念ならば

インドヨーロッパ祖語(PIE root)の「per-」が語源と考えられ

それは

to lead(=導く)

to pass over(=通りすぎる 飛び越える)

を意味するようです




pass over



passoverと名詞にすれば

それはユダヤ教の「過越の祭」を意味します




沖縄の離島出身の友人が言うには

その島の古い風習に

原初キリスト教の影響を見て取ることができるとか




そして

沖縄の島々からは

途中さまざまな経由地を通って

そのお寺がある房総にも

人は渡ってきたことでしょう














境内の茶処からの景色は

斎場御嶽のすぐそばのカフェの庭から臨む

久高島を

思い起こさせます





















ペトラ

沖縄

房総




海を隔てて

petra(陸、地殻)でつながるこれらの土地の


petra(根底)な何か



感じた旅




それはたぶん

この地球の

petra(基盤、導くもの)

でもあるように

思えるのです




地球は岩石惑星

Petraな星

なのですから


作品「赤瀬川家の墓」











松岡御所には

遊びにきた友人の希望で

2週間の間に二度

訪ねることとなりました




その両人とも

墓所を見たいという希望があり

このお墓へも

二度足を運ぶこととなりました




一般の方のお墓には珍しい土まんじゅうの形

頂きの松が可愛らしいな



思って近づくと

手前の石版に

赤瀬川の文字














帰宅して調べてみると

やはり

赤瀬川原平さんのお墓でした




お隣にあるお墓も含めて

藤森照信さんの設計とのこと
















お寺の山号が松岡山だから

松の岡

に見立てたのでしょうか







松岡御所











5月の最終日

水月観音菩薩坐像を初めて拝観しました




絵葉書の写真では見たことがあったのですが

やはり

実物は違います




マリア像を連想する

たおやかな佇まい

という

写真からの印象が

さらに増し、

同時に

観る角度によって

そして

「今年に入って時間があれば拝観しに来ている」という方に言わせれば

そのときの自分の有り様によって

さまざまな表情が

あらわれます















拝観のあと

そのお寺のお庭を散策




イワタバコが

花をつけ始めていました















満開の姿を写真に収めに来た方には物足りなかったようですが

ヤマボウシも見頃を迎えており

水月観音



庭の石仏に



手向けられていました















後醍醐天皇の皇女が住持になったことから

松岡御所と呼ばれるようになった

というそのお寺




護良親王は殺されずに生き延びていた

という秘史が

妙に腑に落ちる身としては

「御所」という文字が持つ意味について

少々気になったりするのでした










【補記】


ヤマボウシ(=柘:つみ)を詠んだ万葉集の和歌





「この夕 柘のさ枝の 流れ来ば

梁は打たずて 取らずかもあらむ」





「いにしへに 梁打つ人の なかりせば

ここにもあらまし 柘の枝はも」