おりおりに 出逢った      「すきなもの」を      縦横無尽に ご紹介
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ひとりひとりの聖誕祭



今日は クリスマス



Christmasは

「Christ(クライスト)」と「mass(マス)」を合わせた言葉で

Christは キリスト

massは ミサ(missa=礼拝)

を意味しているとか



更にそれぞれの語源を調べてみると、

「Christ」は

聖香油を意味するchrisma(クリスマ)とも

ヘブライ語のמָשִׁיחַ(メシア)のギリシア語訳ともあり

いずれにしても 「油を注がれて聖別された者」に由来し、

「mass」や「missa」は

ラテン語のmittere(ミテレ=送る 放つ 解散する)で

礼拝の終わりに司教が告げる言葉

「Ite, missa est(イテ・ミサ・エスト)」(行きなさい 解散します)

に由来するようです



メシアもキリストも

ある時期からは「救世主」を意味するようになりました



クリスマスは

通常

キリストの聖誕祭

とされます



もともと

古の「冬至の祭」に由来するクリスマスの日は

イエスの誕生した日ではなく

救世主が生まれたことを祝う日のようです



その言葉の原義をたどると

救世主が解散する

とも

救世主を放つ

とも

聖別という概念が終わる

とも

捉えることができます




一人一人が

その人にとっての救世主であることを考えると、

油を注がれた特別な“救世主”の時代は終わり

自らの救世主たる 自律した“ひと”が 広がっていく

とき



みることもできそうです



古の時代

冬至は一年のはじまりだったとか


ふるい時代が終わり

あらたな時代が始まる


今年の冬至 そして クリスマスの「とき」は

そんな予感に満ちているように観じられるのです



ある方が

私たちはみんな かけがえのない「答え」である



おっしゃっていました



一人一人が

この世界の「問い」であり

すなわち

「答え」である

ということになるでしょうか…




クリスマスは

そんな救世主たる一人一人が

生まれたことを祝う日

であり

自らの いのち や 生 について考え

“いま”を顧みる日

なのかもしれません