おりおりに 出逢った      「すきなもの」を      縦横無尽に ご紹介
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ひざし














今日の午前中着の予定だったところが

台風の影響で午後に到着した


チベタン・オレンジラブラドライト[アンデシン]のブレスレット





腕に通した

ちょうどそのタイミングで

雲から陽が射してきました。




そんなちょっとした偶然が 嬉しかったりします。
























流転










これは

銅線コイル作成のマイブームの時につくった幾つかのコイルで

現在唯一残っているものです




トイレットペーパーの芯に適当に巻きつけた

一番手抜きのコイル(笑)




寝室においてあります





毎日

拭き掃除の時に手にして

身体に馴染む上下の向きを確認しているのですが、

[この身体の感覚に拠って、他のコイルを徐々に処分してゆきました]

昨日の朝

初めて向きを逆にしました




下から上に向かって左巻き

となる向きへ




確かしめ縄がそういう向きだったなぁ…




どうやら

昨日から今朝の間に


私の

and/or

家の

and/or

地球の

and/or

宇宙の

エネルギー場における流れが変わったようです






維時変化


































































随分と久しぶりに訪ねたお寺にて


@2022/09/13(火)






cf.







Lifa













今日

私のもとへやってきた

ベラクスルのアメジスト




最初見た時から

キキにとってのジジ

ナウシカにとってのテト

みたいだなぁ



思っていましたが、

今日、実際に対面して その思いを強くしました




我が家にある石はすべて

生きているような存在感がありますが、

今回やってきたこの石は

生きもの感が飛び抜けています




石の…

鉱物界の…

自然の王国、デヴァ王国の

妖精みたいです




これまで石に名前をつけようと思ったことは一度もありませんでしたが、

今回初めて名づけたいと思いました




《 Lifa/リーファ 》




音の響きと雰囲気がしっくりきたのと

この石がやってきた所に因む文字でもあります




ネットで調べてみると

アイスランド語に発音は異なるものの同じ表記の単語を見つけました


意味は

生きる、住む、経験する、燃える

など





キキにとってのジジ

ナウシカにとってのテト

に連ねるなら

(あるところでいただいた名前)ラキーバ/Raqibaにとってのリーファ/Lifa

でしょうか




観照を意味するraqiba



生きる・経験するを意味するLifa




いいコンビになりそうです♪




















【補記】



一つ前の投稿で

「石ブームは7月をもって終了」しそうなことを書きましたが、

どうもまだ

第二期の石ブームは継続中



いや、

もしかしたら第三期に突入したのかも(笑)





PURE RAY ROOT










ピュアレイ・ルーツと呼ばれる石がやって来ました。




今年の5月の到来とともに始まったと思われる

人生二度目の石ブームも、

今日で丸3ヶ月。

そろそろ終了する感じもある中で、

最後の最後に

迎えることになったものです。




この種類の石の存在は もっと前から知っていたものの

まったくピンと来なかったのですが、

此の期になって

強烈にアピールされました(笑)。




複雑な形状なので

角度によってまったく違って見えるのが面白いところ。




円空仏に重なったりもして…。

















ten/てん を ぬく






3つの四で囲まれた場



まなか



点を抜く










<cf.>


 





昨日から今朝の間に

冒頭の記述が変わり 非公開になっていた

Mr. Poolのツイッターアカウント




THE END DEEP

そして小文字でtenと






アメジスト









このところ

なぜか惹かれるアメジスト





写真は、Stone marbleさんのサイトより

勝手にお借りしました。。。














2022年7月3日(日)という日










ほぼ毎日チェックしている 富士山写真のツイッターアカウントで

今朝

富士に素晴らしい虹がかかったことを知りました。




「富士山 虹」

で検索すると

たくさんの投稿が。




冒頭の写真は

その中で一番心に響いた

「あいざわさん|富士写真」さんが撮影されたものです。




何かを

祝福しているかのようなその景色に、

この写真を見る前にチェックした幾つかのブログ記事を思い出したりもしたのでした。








aborigine






<写真はこちらからお借りしました>









朝食というか1日の初めに食べる(ことが多い)サラダに生のナッツは欠かせないのですが、

ここ数年は

中でもマカデミアナッツは体が欲しているようで、

なくてはならない常備食材の一つです。




特にその栄養を気にしたことはなく

ハワイ土産を連想するぐらいしか知識のなかった木の実でしたが、

今日あることを調べていたら

マカデミアナッツはオーストラリア原産

アボリジニにとって特別なものだったことを知りました。




だからどうなの?

という話ではありますが(笑)

実は今

アボリジニ にまつわる石を一つ

私の場に招こうと思っているところでしたので、

今日見つけたマカデミアについての情報は

その石を自分が所持することについてまだどこかに躊躇がある私にとって

OKサインのように思えたのです。




ネイティブ・アメリカンやアボリジニなど

地球上の“先住民”と呼ばれる人たちに対しては、

その自然観に共鳴するものの

スピリチュアルの領域で“消費”されている印象があるからか

やや距離を置いていて、

その人たちにつながる何かを所持したいと思ったことはありませんでした。




また、

かなり前に読んだ『ミュータント・メッセージ』という

アボリジニと一緒に旅をしたという本が、

内容は面白かったのですが

私には、なぜかアボリジニについて良いイメージを持てないものとなっていました。




そのずっと後になって買った『ソングライン』という本も

読みにくくて読み通せなかったからでしょうか

私の中のアボリジニに対するイメージを良くはしてくれませんでした。




そんな状況で

なぜか惹かれた

アボリジニの石




今日この文章に出会って

上記2冊が私に及ぼした悪影響はきれいに祓われました(笑)。

(相変わらず、アボリジニのアートは私の好みではありませんが。)




7月に入ったら

気になるその石に直接触れて

最終的な判断を下そうと思っています。




ちなみに

アボリジニ/aborigineの語源は

PIE root ap-“off, away from”+PIE root heri- “to rise”




ポリネシア語で「昇る太陽の子」を意味する

kamakura

を思い出しました。





旅に出る











『そして、ぼくは旅に出た。』




出かけ間際に このタイトルが目に留まり、家人の本で溢れる本箱から 手に取った昨日。



電車の中で読み始めると、

このところ遠ざかっていた異国への旅の匂いが身体中に充満し、

懐かしくもあり 新鮮でもあり、

まるで彼の鼓動を聴きながら一緒に旅をしているような気持ちになりました。




そんな晴れ晴れとした心のままで帰宅し、何気なく開いたサイトの記事の冒頭は、



「旅の準備をしよう。」



“旅”が重ねてやってきました。




そしてその夜、

冒頭の本の著者の写真集について検索していたら、

セバスチャン・サルガドが昨年、

『Genesis[ジェネシス]』に次ぐ写真集を出していたことを知りました。

それは、7年にわたってアマゾンの生態系と先住民族の生活を追った

『Amazônia[アマゾニア]』

現在、世界規模で写真展が巡回しているようです。



「なんと、このタイミングでサルガド⁉︎」



私は心の中で叫びました。



私にとってサルガド(の写真(展))は

ある旅の始まりに位置していて、

そのことを特に意識してきたわけでもなかったのですが、

こう反応してしまった私の無意識下では

どうやら“サルガド”と“旅”は強く結びついていたようです。




旅に呼ばれているのか

旅を呼んでいるのか

単なる思い過ごしか




ま、いずれにせよ。



気が向いたら、

サルガドの最新の写真集が

東京都写真美術館の図書室にあるらしいので、

行ってみようかなと思っています。





Speaking to the Water







あるサイト記事で次のような呼びかけを目にしました。(以下はDeepL翻訳より)




Muni Wiconi - 生命を与える水


2022年6月21日、先住民族と共に、

私たちの惑星の「ムニ・ウィコニ」(生命を与える水)の癒しと回復のための

祈りの儀式にご参加ください。

「ホワイト・バッファロー・パイプの19番目の番人」である

チーフ・アーヴォル・ルッキング・ホースは、次のように述べています。


「私は、この世界に住む二本足の人間たち一人ひとりが、

私たちの大切な地球を癒し、

ムニ・ウィコニのバランスを取り戻すための祈りを送る時間を、

謙虚にお願いします。

(以下、略)






“集団で一斉に何かをする”ということに対し

少なくとも現時点においては危ういものを感じるので

「“祈りの儀式に”ご参加」するつもりはないのですが、

ムニ・ウィコニ/Muni Wiconi

が気になり 検索したところ、

この記事
を経由して
冒頭の動画にたどり着きました。




ちょうど

周波数によって水がどう変化するか

水に情報を記録させる

というアプローチの動画を興味を持って観つつも

水を道具にするような思考がそれらに通底しているように思え

違和感を覚えている時でもあったため、

「水と対話する」

というあり方に強く惹かれました。

(ある意味、“知っていた”ことではあります。)









そして今日、

ある動画を探していたら 同じ方が投稿している動画の中に

江本勝さんについてのものを見つけました。







本はもう手放してしまっていて

久しぶりに 改めて 触れた「水の伝言」。




形を持たず 溶解し何ものにもなれないまま漂っているような東京の水が、

人々の言葉と気持ちによって

クッキリとした形を現わし始めます。




それを観て、

水と語るパット・マケイブさんを思い出しました。




言葉というものは

それぞれが特有のエネルギー構造を持っていて

呪文として唱えるだけでも

自他へのはたらきはあると思います。




ただそれだと

存在を道具にしてしまう可能性がありますし、

実際 道具として使うために呪文としての言葉を用いる人たちもいるでしょう。


(道具として何かを使うというありようは、

宇宙本来のエネルギーの流れに逆行しているのではないかと

私は考えています。)




本来、言霊というものは

宇宙や宇宙に存在するものと共創・協創する意思によって生じるものだと

私は思いますし、

そうあってほしいと願っています。




動画の終わりに江本さんの言葉が紹介されていました。

「世界のゆがみとは何でしょうか。それは、心のゆがみです。

心のゆがみは宇宙すべてに影響して行くのです。」



まったくその通りだと思います。

ただ、その“心のゆがみ”の大元は

(この)宇宙の始まりのゆがみ・ひずみ

というのが

現時点での私の認識です。




であるなら、

一人ひとりが自らの内面に向き合い

メタフィジカルな領域も含め

ひずみやゆがみを一つ一つ陽のもとにさらす必要があります。




そんなことを思った末に、

夏至[北半球]/冬至[南半球]

という太陽系における地球の(エネルギー的)節目に

ガイアの水へ感謝を伝え 話しかけてみようかな、

という気持ちになりました。




もちろん、

明日だけでなく

これからずっと





パチャママのリース

 











4月28日(木)に届いたリース




ちょっと早まって注文してしまったかな?

飾るのに適当な場所がないかも…

と思っていたのだけれど、

ちゃんとふさわしい場が見つかって




しかも

先に届いていた二つの作品と響きあい

なんというか

生き生きとした水の流れが弾けているようなエネルギーの場を

つくってくれています




かつて

私の背中を押してくれたのは 3人の女性




今回の3人の女性のエネルギーは

私をどんなところへいざなってくれるのでしょうか




あらたなる地球の始まり

とともに

何かが始まっていくような…