おりおりに 出逢った      「すきなもの」を      縦横無尽に ご紹介
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Speaking to the Water







あるサイト記事で次のような呼びかけを目にしました。(以下はDeepL翻訳より)




Muni Wiconi - 生命を与える水


2022年6月21日、先住民族と共に、

私たちの惑星の「ムニ・ウィコニ」(生命を与える水)の癒しと回復のための

祈りの儀式にご参加ください。

「ホワイト・バッファロー・パイプの19番目の番人」である

チーフ・アーヴォル・ルッキング・ホースは、次のように述べています。


「私は、この世界に住む二本足の人間たち一人ひとりが、

私たちの大切な地球を癒し、

ムニ・ウィコニのバランスを取り戻すための祈りを送る時間を、

謙虚にお願いします。

(以下、略)






“集団で一斉に何かをする”ということに対し

少なくとも現時点においては危ういものを感じるので

「“祈りの儀式に”ご参加」するつもりはないのですが、

ムニ・ウィコニ/Muni Wiconi

が気になり 検索したところ、

この記事
を経由して
冒頭の動画にたどり着きました。




ちょうど

周波数によって水がどう変化するか

水に情報を記録させる

というアプローチの動画を興味を持って観つつも

水を道具にするような思考がそれらに通底しているように思え

違和感を覚えている時でもあったため、

「水と対話する」

というあり方に強く惹かれました。

(ある意味、“知っていた”ことではあります。)









そして今日、

ある動画を探していたら 同じ方が投稿している動画の中に

江本勝さんについてのものを見つけました。







本はもう手放してしまっていて

久しぶりに 改めて 触れた「水の伝言」。




形を持たず 溶解し何ものにもなれないまま漂っているような東京の水が、

人々の言葉と気持ちによって

クッキリとした形を現わし始めます。




それを観て、

水と語るパット・マケイブさんを思い出しました。




言葉というものは

それぞれが特有のエネルギー構造を持っていて

呪文として唱えるだけでも

自他へのはたらきはあると思います。




ただそれだと

存在を道具にしてしまう可能性がありますし、

実際 道具として使うために呪文としての言葉を用いる人たちもいるでしょう。


(道具として何かを使うというありようは、

宇宙本来のエネルギーの流れに逆行しているのではないかと

私は考えています。)




本来、言霊というものは

宇宙や宇宙に存在するものと共創・協創する意思によって生じるものだと

私は思いますし、

そうあってほしいと願っています。




動画の終わりに江本さんの言葉が紹介されていました。

「世界のゆがみとは何でしょうか。それは、心のゆがみです。

心のゆがみは宇宙すべてに影響して行くのです。」



まったくその通りだと思います。

ただ、その“心のゆがみ”の大元は

(この)宇宙の始まりのゆがみ・ひずみ

というのが

現時点での私の認識です。




であるなら、

一人ひとりが自らの内面に向き合い

メタフィジカルな領域も含め

ひずみやゆがみを一つ一つ陽のもとにさらす必要があります。




そんなことを思った末に、

夏至[北半球]/冬至[南半球]

という太陽系における地球の(エネルギー的)節目に

ガイアの水へ感謝を伝え 話しかけてみようかな、

という気持ちになりました。




もちろん、

明日だけでなく

これからずっと