おりおりに 出逢った      「すきなもの」を      縦横無尽に ご紹介
http://sukimono.edoblog.net/

無限在の御宿り









その教会は

坂をのぼった台地の上にありました



縄文海進の時期は

ミサキだったところ



目白坂をのぼりながら、

1週間ほど前

江ノ島の参道を歩いているときに

ご一緒していた方が言った

「モン・サン=ミシェルみたい」

という言葉が

浮かんできました







聖ミカエルの山

モン・サン=ミシェル



龍退治で有名な聖人の名を冠した

その小島は

もともと

ケルト人の聖地だったとか



一神教において

無意識や暗黙の領域と関わる 水や流体の

象徴ともいえる龍が

悪魔とされたのは理解できます



その島は

水の聖地だったのでしょう



島の頂を覆うように建てられた

修道院は

先人が祀ってきたものを 封印し活用してきたことを

物語っているかのようです







目白一帯が

わき水の豊かな地であることを

教えて下さったのは

その地にある古民家の「井戸守り」を自称している方でした



目白不動はもともと

関口台地の崖に添うように延びるこの坂の

南斜面にありました



滝や川など

水に関わる聖地には

必ずと言っていいほど

密教由来のお不動さんが祀られています



密教は

日本において

ある意味

キリスト教的なはたらきを

してきたのかもしれません


(実際 空海と景教のつながりを指摘する方たちもいます。

景教自体は それ以前に

渡来民を介して

日本に伝わっていた

可能性は高いと思われます。)












坂をのぼりきって たどりついた教会は

丹下健三さんが設計したもの



家人が「あれはすごい」と勧める教会が

先月 別の話の中で出てきた教会と

同じであることに気づいて

少し興味をそそられたのでした



そびえ立つその建物を見ながら

「モン・サン=ミシェルみたい」



心の中でつぶやき

映像でしか知らないその場所を

思い浮かべていました









無原罪の聖マリアを記念し マリアに捧げられた

その教会は

無原罪の御宿りの祝日である

12月8日に落成



教会の西側には

フランスの「ルルドの泉」を模した洞窟があります



水は湧いていないけれども

この地に

水にまつわる聖地をつくったのは

理に適っているように

思えます



目白にある

おいしいクレープとガレット(とワイン♪)のお店の名が

ル・モンサンミシェル

なのは

たまたまなのでしょうか…












去年の春

つばきやまへ行ったとき

この教会は目に入っていたのですが

大仰な建物だなぁ

という

うっすらとした印象しか残っていません



たしか

つばきやまを訪ねたのは

水にまつわる動機からでした







み な そ こ を


ふ う


い ん


し た る


せ き


く ち





わ れ


し る


だ い ち は


い き


無 限 在









2014/05/19(月)







【追記】

(2014/05/22)


ルルド(Lourdes)とは

岩だらけの坂

という意味のようです



余談ながら

ルルドの泉を模したものは

1899年に長崎県福江島の井持浦教会につくられたものが

日本最古とのこと



こちらのサイトによれば

五島列島には

ルルドの泉が多くつくられているようです


【余談】

モン・サン=ミシェルの修道院の地下には

かつて

黒マリアが祀られていたそうです



ケルトなどキリスト教以前の信仰を習合させたものと観られている

黒マリア



こちらのサイトで紹介されている

『黒マリアの謎』からもわかるように

古の信仰において

泉や水は聖なる場所とされていました



フランスにおいて黒マリアが分布している地域の一つが

ピレネー山脈東部なのですが

ルルドは

同じピレネー山脈のやや西寄り


こちらのサイトの分布図によれば

近くに黒マリアがあるようです



日本には

山形県の鶴岡市に

フランスから贈られた黒マリアがあります



ちなみに

日本にカトリックを伝えたとされる

フランシスコ・ザビエルは

ルルドからほど近い

ピレネー山脈を越えた

スペイン側の山麓・ナバラ州パンプローナ近郊の生まれです



ザビエルとは

バスク語で

「新しい家」

を意味する言葉が訛ったものとのこと





【余談その2】


ザビエルが所属していたイエズス会の創設者

イグナチオ・デ・ロヨラもまた

ザビエルと同じく

スペインのバスク地方の出身です



ヨロラは

黒マリアで有名なモンセラートの修道院を訪ねており

その近郊のマンレサの洞窟で1年間の修行をしています


その洞窟で

ヨロラは

『霊操』を書いたようです