こうよう
今年の関東の紅葉は
例年になくきれいな印象があります
昨日 友人と待ち合わせた場所も
並木の銀杏が黄金色に染まり
多くの人が
紅葉狩りならぬ銀杏狩りを楽しんでいました
歩道は
鮮やかな黄色に彩られ
枯れ葉の上を歩くのは ただでさえ楽しいのに
更に輪をかけて
心が弾みます
(枯れ葉を踏むと 人の耳には聞こえない高周波がたくさん発生するらしく
それが人の心身によい影響を与えるようです)
青山通りから伸びる銀杏並木を
聖徳記念絵画館へ向かっていると
いちょう祭りの出店で賑わっている一角がありました
飲食店を中心に日本各地の特産品が集まっている
その中で わたしの目を引いたのは
こちらのお店の名前
「百姓の 百姓による みんなのためのお店屋さん」
というコピーが添えられています
秋田の若き“百姓”のお店です
百姓一喜
で
一喜一遊
炊きたてご飯のおにぎりを
ほおばりながら
秋のあおいそらのした
いろづくまちを歩いたのでした
未来へ生きる
「 人生の本舞台は 常に将来に在り 」
昨晩 家人が
どこかで目にして印象に残ったものとして
この尾崎行雄さんの言葉を
教えてくれました
憲政記念館の石碑に刻まれているこの言葉、
調べてみると
なんと
76歳のときのものだそうです
旅先に病んだ中
「昨日までの人生は序幕に過ぎず、今日以後がその本舞台。
過去はすべて人生の予備門で、
現在以後がその本領だと信じて生きる。」
という人生観に達されたのでした
それは、
どんな過去であっても
未来への糧に変えることができる
ということでもあります
あるサイトに
次のような尾崎さんの言葉が記されていました
「知識経験は金銀財宝よりも貴い。
しかるに世間には、
六、七十歳以後はこの貴重物を利用せずに
隠遁する人がある。
金銀財宝は、他人に譲ることが出来るが、
知識経験は、それが出来ない。
有形の資産は、
老年に及んで喪失することもあるが、
無形の財産たる知識経験は、
年と共に増すばかりで、
死ぬ前が、最も豊富な時である。
故に最後まで、利用の道を考えねばならぬ。」
(『人生の本舞台』より)
先日観たテレビ番組の中で
ある脳研究者の方が
現時点での見解では
人間の脳のはたらきのピークは50歳半ばである
とおっしゃっていました
また
以前読んだ本の中で
ある海馬の研究者の方は
異なる領域において共通点を見いだすような海馬的な脳のはたらきは
年を重ねるごとに
高まっていく、
という趣旨のことをおっしゃっていました
自らの役割を認識し
後進に道を譲ることは大切ですが
それは
はたらきが変わるだけのこと
どんなかたちであっても
ひとは一生現役でありえるのだと
思います
みず ふく もの
台湾での最終日
時間が余ったので
台北市内最古の寺院を訪ねました
1738年に福建省泉州から来た人たちによって
福建省にあるお寺から分霊して創建されそうです
ご本尊は聖観世音菩薩
お寺の説明によれば、
第二次世界大戦時には
アメリカ軍の空襲で本殿が焼夷弾の直撃を受け
石柱までも全壊する状況のなか
本尊だけは無傷のままだったといいます
また 当時 空襲があると
観音さまの膝下は絶対安全だと信じ 多くの人々が避難してきて
その避難者には全く死傷者がでなかったそうです
多くの人々が熱心にお祈りをしている境内を歩きながら
私は
本殿の真後ろに鎮座する
天上聖母が気になりました
唯一
私のアンテナに引っかかったのが
天上聖母だった
というべきでしょうか
「航海の守護女神」
との説明がありますから
水とかかわる神のようです
この寺院の場にとって
非常に重要なはたらきをしていると思われる淡水河
につながる存在のように観じます
だからでしょうか
水を噴く鯉と龍が目に留まりました(笑)
なんとなく
ユーモラスな感じがして
ほほえんでしまいます
*
台湾滞在中に発生した台風30号の名前は
中国の命名で
ウミツバメを意味する「ハイエン(Haiyan)」
アラスカの先住民の神話において
ウミツバメは
世界で唯一の水である泉を独占していた存在とされています
ワタリガラスが一計を案じて 水を飲むことができ
飛んでいる途中でそのくちばしからこぼれ落ちた水が
アラスカの大河になったそうです
猫カフェ
噂に聞いていた
台北の猫カフェ
常時40匹前後の猫がいるという有名店は
ランチの後に訪ねた時には満席で、
その近くの
自家焙煎珈琲があるお店に入りました
持参したガイドブックによれば
こちらのお店は
「オーナーの愛猫12匹のうち
特に人なつっこい4匹の猫たちが接客担当として出勤」
とのこと
私たちが座ったテーブルには
1匹が
一番座り心地が良さそうな椅子でお昼寝していました
カウンターにも猫が2匹
思い思いに
過ごしています
私たちのテーブルの猫も
通り過ぎるお客にいじられても
我関せず
の
マイペース
猫好きの友人宅を思い出しました
いきる よろこび
自然栽培では土をつくる意味あいはまったく逆です。
肥料や農薬を抜いていくという意味があります。
それは「肥毒を取り除く」ということですね。
切り上げ剪定によって若い徒長枝を使い
古い枝は切っていくので、
樹木にある肥毒(亜硝酸態チッソもそのひとつ)も
樹木にある肥毒(亜硝酸態チッソもそのひとつ)も
早く落とせることになります。
今日 自然栽培の野菜と一緒に送られてきた冊子に、
果樹栽培の指導をしている方のインタビューが載っていました。
上記のことばは その中からの抜粋です。
その方のポリシーは「植物がよろこぶことをする」
よく聞く言葉かもしれませんが、
その方は 植物ホルモンのはたらきなど科学的な見地をもとに
指導されています
彼が言う「植物がよろこぶこと」とは、
枝を垂直に立てること
つる性の植物は主枝の進行方向に向けること
私には
ひとの精神性について語っているように
観じられます
ひとにとって
「古い枝を落とす」とは
「古い枝を落とす」とは
過去を手放すこと
「若い枝」とは
いま 出逢っていること
いま 起こってること
いま なっていること
「若い枝」とは
いま 出逢っていること
いま 起こってること
いま なっていること
過去を忘れるのではなく
過去を 囚われの囲いから ときはなつ
それは
植物と同じように
自らの軸を
進行方向(*たぶん時間軸)に添って まっすぐ立てることで
進行方向(*たぶん時間軸)に添って まっすぐ立てることで
成し得るように観じます
即効性がありそうだと
安易に いろいろ求め
まわりから いろいろ取り込むことは
まわりから いろいろ取り込むことは
肥毒を溜めているようなもの
すべて こたえは
そのものの内に
その存在のなかに
みづから問い
ひとつひとつ
こたえを見つけ
(「問い」自体が「こたえ」であったりします)
それを
ひらいていくこと
が
「いきる」ということなのかもしれません
いわはし
先日
「いわはしやま」を 登ってきました
翌日には雨が予報されていた
曇り空の中
たどり着いた山頂は
雲や霧で周囲の景色が隠されていましたが、
強く早い風が
ときおり雲や霧を払い
雪を戴く飯豊山などを眺めることができ、
下山する頃には
青空が広がっていました
*
いわはして
ひとつ
と
なりし
てんとちに
たつ
ひとありて
たからのやまに
きぼう
昨日
おちゃめな狛犬に出逢いました
*
境内から出たところで
黄色の蝶が通り過ぎ
(いま これを書いている私の目の前を 黄色の蝶が舞っていきました)
一緒に居た方が
その方にとっての「黄」の意味について話して下さいました
五行説で 大地や中央を意味する「黄」は
わたしにとっては
知識を連想する色です
そして今日
そのことを思い出していたら
黄色の「き」は 希望の「き」
という言葉が浮かびました
知識も
希望あってこそ
いきるもの
これまで人間は
正義を掲げて闘ってきましたが
これからのひとは
希望を携えて
進んでいくような気がします
【補記】
台風23号は
昨日の15時頃 熱帯低気圧になったようです
Over The Rainbow
昨日の朝
お天気雨の空にかかった虹を見て
数年前に見た
虹を思い出しました。
沖縄のある島にいたときに
早朝
やはりお天気雨の空にかかった虹でした。
(冒頭の写真はその時のものです)
そして今日
台風22号が沖合を通り過ぎていった東京の夕刻の空に
大きな虹がかかったようです。
<こちらのサイトからお借りしました>
よくよく観ると
左側に うっすらともう一本の虹が。
沖縄の島で見た虹も
写真にはうまく写っていませんが
実は2重の虹なのです。
虹は弧
二重の虹は 二つの弧
ヴェシカ・パイシーズを思い出しました。
魚の名を持つ台風22号の
置き土産でしょうか…
本日20時から
皇大神宮内宮では
「遷御の儀」が執り行われます
【追記】
(2013/10/03)
日本の東にあった台風22号は
10月3日(木)の午前3時に 温帯低気圧になったようです
八朔
今日 ある場所で
八朔のお祝いに と 小豆粥を饗されて
今日が八朔であることを知りました。
旧暦八月の朔
早稲の穂が実る頃で、
農民の間で初穂を恩人などに贈る風習が古くからあったそうです。
ゆえに 田の実の節句 とも呼ばれるとか。
今でも いくつかの地域では 八朔を祝っているようです。
これを書きながら
このところ「穂」という文字をよく目にするような気がして思い出してみると、
スピカはラテン語の穂先を意味する語に由来し、
その語の原義は(穂先のように)尖ったもの。
五芒星の「芒(のぎ)」も また
稲や麦などの穀物の先にある突起・刺のようなものが原義であるようです。
そして ある封印の地が 穂先と関連づけられていて、
少し前に 友人とそのことでメールをやりとりしていました。
ちなみに Wikipediaによれば(*上記の情報もそうなのですが)、
徳川家康が初めて公式に江戸城に入城したのが
天正18年8月1日(グレゴリオ暦1590年8月30日)とされており、
江戸幕府はこの日を正月に次ぐ祝日としていたとのこと。
天正18年8月1日(グレゴリオ暦1590年8月30日)とされており、
江戸幕府はこの日を正月に次ぐ祝日としていたとのこと。
個人的には、
「八朔」が江戸の祝日だったということが
昨日アップしたブログの記事とつながって観えるので、
今日が八朔であることが 非常に興味深く思えます。
魂に応える意志
今日 ある新書を読み終え、
ふと目に入った巻末に記されていた 「刊行にあたって」の文章です。
その後半世紀を経ても 当時憂慮された状況は変わっていないように見えますが、
魂に生じる知への情熱は ここに記された意志に応じるかのように
それぞれの人の中でふつふつと静かにたぎり ほとばしるときを待っているように観じます。
☆
教養は万人が身をもって養い創造すべきものであって、
一部の専門家の占有物として、ただ一方的に人々の手もとに配布され伝達されうるものではありません。
一部の専門家の占有物として、ただ一方的に人々の手もとに配布され伝達されうるものではありません。
しかし、不幸にしてわが国の現状では、
教養の重要な養いとなるべき書物は、ほとんど講壇からの天下りや単なる解説に終始し、
知識技術を真剣に希求する青少年・学生・一般民衆の根本的は疑問や興味は、
けっして十分に答えられ、解きほぐされ、手引きされることがありません。
万人の内奧から発した真正の教養への芽ばえが、こうして放置され、むなしく滅びさる運命にゆだねられているのです。
(略)単なる博識以上の根強い思索力・判断力、および確かな技術にささえられた教養を必要とする日本の将来にとって、
これは真剣に憂慮されなければならない事態であるといわなければなりません。
教養の重要な養いとなるべき書物は、ほとんど講壇からの天下りや単なる解説に終始し、
知識技術を真剣に希求する青少年・学生・一般民衆の根本的は疑問や興味は、
けっして十分に答えられ、解きほぐされ、手引きされることがありません。
万人の内奧から発した真正の教養への芽ばえが、こうして放置され、むなしく滅びさる運命にゆだねられているのです。
(略)単なる博識以上の根強い思索力・判断力、および確かな技術にささえられた教養を必要とする日本の将来にとって、
これは真剣に憂慮されなければならない事態であるといわなければなりません。
わたしたちの「○○○○○新書」は、この事態の克服を意図して計画されたものです。
これによってわたしたちは、講壇からの天下りでもなく、単なる解説書でもない、
もっぱら万人の魂に生ずる初発的かつ根本的な問題をとらえ、掘り起こし、手引きし、
しかも最新の知識への展望を万人に確立させる書物を、新しく世の中に送り出したいと念願しています。
(略)
一九六四年四月
Looking Straight
数年前に
知り合いのカメラマンが撮ってくれた写真です
タイトルは
彼がこの写真につけてくれたもの
しばらく忘れていたのですが、
「自分の感覚や思考を調整する風景」
について
考えているときに思い出し、
改めて見て
私にとっての大切な「けしき」であることを
再認識しました
写真というものは
まるで
扉のようです
瞬時に
あるいは
ゆっくりと
あのときの時空へつないでくれます
【補記】
今年は
新年を境に 意識がひとつ切り替わったような実感があり、
6月は
その変化を更に進める期間だったような気がします
そして
今日から始まる8月は
新たな扉が開かれるときような…
だからというわけではないのですが
でも結果的に
自分の出発点のようなものを
この写真で
確認することとなりました。
夏野菜
暑い日が続いています
こんなときは旬の野菜で身体を調えてもらうのが一番!
ということで
このところ
自然栽培の夏野菜で
「だし」(*山形の郷土料理)もどきをつくっています
トマトにキュウリ ズッキーニ
茄子にタマネギ 大葉を加え
細かく刻んで塩をふり
両手で程よく和えるだけ
ショウガやミョウガもあれば
もう言うことはありません
それを
ご飯に乗せて
その日の気分で
じゃこや醤油やごま油を加えて
いただきます
去年だったでしょうか
知人宅で頂いた
ざく切りトマトのぶっかけごはん
が
とてもおいしかったので
今年はそれに「だし」の要素を加えてみました
ざく切りのトマトを
ご飯に乗せ
大葉やショウガやミョウガを加えて
オーリブオイルと醤油を垂らしただけで
暑い夏でも食が進む一品となります
トマトご飯は
日本版「パン・コン・トマテ(Pan Con Tomate)」ですね
かくされしもの
祖谷地方に 下記のような伝承があります。
小学生の頃だったでしょうか、
ある本(*たぶんこの本です。表紙の絵に かすかな見覚えが…)に
埋蔵金を示す暗号として紹介されていたこの歌が
なぜか 意識のどこかにずっと残っていました。
当時は 暗号を解読して埋蔵金を見つけるんだ!
と思っていましたが(笑)、
これは 埋蔵金というより
無限の富を生み出すであろう「知」について
示した歌のように観じます。
*
「みたからの歌」
九里きて 九里行って 九里戻る
朝日輝き 夕日が照らす
ない椿の根に照らす
祖谷の谷から何がきた
恵比寿大黒 積みや降ろした
伊勢の御宝 積みや降ろした
三つの宝は 庭にある
祖谷の空から 御龍車が三つ降る
先なる車に 何積んだ
恵比寿大黒 積みや降ろした 積みや降ろした
祖谷の空から 御龍車が三つ降る
中なる車に 何積んだ
伊勢の宝も 積みや降ろした 積みや降ろした
祖谷の空から 御龍車が三つ降る
後なる車に 何積んだ
諸国の宝を 積みや降ろした 積みや降ろした
三つの宝をおし合わせ こなたの庭へ積みや降ろした 積みや降ろした
*
冒頭の「九里」は
別の「くり」として読むことが可能です
ちなみに
高知県に残る黄金伝承には
「九里いて九里きて九里かえる 旭かがやく白い椿に丘に」
というものがあります
こなた とは 常世のこと
「朝日なす輝く宮 夕日なす光る宮に (略) 常世の宮に静まり坐せと申す」
という言葉がその祝詞に含まれている神と
椿に縁がある存在は、
ひとつらなりのモノ(エネルギー)の現れとして
理解することができます
白という文字が付されるものも しかり
私の中では
「くり」なるものに行き着くのでした
とはいえ
“みたから”を発見したわけではありません(笑)