おりおりに 出逢った      「すきなもの」を      縦横無尽に ご紹介
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過去を包含した未来への変容









建築博物館ギャラリーで

「東京オリンピック2020から東京を考える」展が

行なわれていました




「新国立競技場案」「オリンピック選手村代替案」

「オルタナティブ・オリンピック」「ポスト・オリンピックに向けて」

という 4つのテーマに添った展示の中に、

新国立競技場国際デザイン・コンクールの最終審査候補の一つだった

田根剛さんの「古墳スタジアム」



ありました











「明治神宮、新宿御苑、赤坂離宮、皇居、外苑は

大都市の中にある巨大な森である。

外苑に建つ新国立競技場が新たな東京の中心として森で覆われ、

都市文化の記憶を内包する形象の杜として受け継ぐ為の場所の提案だ。

明治神宮が100年の森を育てたように、

外苑でもこれからの100年へ向けたひとびとが集まる強い杜をつくりたいと思った。



建築はひとびとが集まる場所をつくることだ。

場所はひとびとが集い、

場所は全てを受け入れる。

ひとびとが集まる場所をつくるために、

建築は常に存在するのだ。」











コンペの最終候補の中で

私がもっとも気に入っている案です



その理由は

上記に引用した田根さんの文章に加えて、

東京の地もそうであるように

そこにあった丘や山を切り崩す方向で

進んできた

これまでのまちづくりや建築という行為を

見直し

新たな道筋を創っていく

端緒となるように思えることです



そして もう1つ



古の時代

墳墓建設の役目を担っていた土師氏は、

墳墓がつくられなくなってからは

土木建築をはじめとする

あらゆる雑役に携わったと言います



その背景を踏まえて

いま現在

「都市の中に墳丘を建設する」

ことを考えると、

建設という営みの歴史の始まりと最先端が交わる

刺激的な出来事のようにも思えるのです













大和政権における土師部(はじべ)の部民(べのたみ)は、

本来土師君の下で大型墳墓の造築に当っていた建設労働者ですが、

簿葬令によって失職の憂き目に遭うべきところを、

土師君が時の政権に働きかけて、

難波堀江の開削や茨田堤の築造、

さらには計画直線道路(いわゆる官道)の敷設を始めとする

大型の公共土木工事を請け負ったおかげで仕事にありつけたことは、

『落合秘史・南北朝』に述べました。



ところが大型公共工事の一巡と共に土建労働力は過剰になり、

かといって旧(もと)来た朝鮮半島に追い返すわけにもいかず、

折から隋唐帝国の影響で成立した律令政権にもなす術がない折から、

澎湃(ほうはい)と勃興して

これらを救った勢力がいました。

それが行基の率いる民衆仏教勢力だったのです。

その指導者の出自は、

朝鮮半島由来の王仁(わに)氏の分流で西文(かわちのふみ)氏とされますが、

土師氏の出自とする説も有力です。



(略)



さて、

大和朝廷時代には土師宿禰(すくね)の配下にあった土師部の部民は、

社会が律令制に移行すると特定職能のない非農業者として

律令の外に置かれ、

半島から間断なく渡来する大陸の流動民と一緒くたにされて役民(えのたみ)と呼ばれ、

土木建築を始めあらゆる雑役に携わりました。



律令国家は、一面では国家仏教を奉ずる仏教国家でしたが、

仏門で生活するには、

難関を経て官僧になるしかなく上流階級のエリートしかなれません。



したがって、律令民に編入されない役民は納税しない非国民とされ、

官僧になるどころか

仏の教えにも与れない者とみなされて、

仏教用語で「非人」と呼ばれる慣習が生まれました。

古代・中世の社会で非人(無籍非農業民)と称された人々の末流は、

やがて特定地域に生活の根拠を置き、

半ば定住するようになりますが、

その地域が荘園用語を以て呼ばれたのが、

ここにいう「散所」なのです。



散所の淵源は、

街道沿いの「宿」や港湾の「津」、

大社寺の門前および「別院」、有力者の居館などの近傍で、

様々な非農業役務の従事者が、俗に非人と呼ばれて集住した地区です。



貨幣の浸透により進展する「非人経済」を、

大寺院などの荘園領主が「田畑経済」に取り込む目的で、

年貢免除などの保護を与える代償として各種の役務を課す特定地域を、

荘園内に設定しました。

これが散所で、

後世の現業職公務員の原型となる「散所の民」が、

ここに発生したのです。



[*ここに言う「非人」は、江戸時代における「非人」とは別のものです]



<落合莞爾著『国際ウラ天皇と数理系シャーマン』P.61〜P.63より>







今回

この案が実現されなくても、

いつか

どこかで

これと同じ精神に立脚する建造物がつくられることを

望みます