みずからいきる
12月5日の午後8時50分頃(*現地時間)
本日届いたメールマガジンで触れられていた
マンデラ氏の言葉に感じるものがありましたので
こちらでも紹介させていただきます
大統領就任演説での一文のようです
(私の判断によって 一文と一語を省略してあります
もう「神」というコトバは必要ない時代に入っていると思うので…)
*
われわれが最も恐れているもの
それは自分が無力だということではない
われわれが最も恐れているもの
それは
自分には計り知れない力がある
ということだ
われわれが最も恐れているもの
それは我々の光であって
闇ではない
我々は自分に問いかける
自分ごときが
賢く 美しく 才能にあふれた素晴らしい人物であろうはずがないではないか?
だが
そうであってなぜいけない?
あなたが遠慮をしても世界の役には立たない
まわりの人が気後れしないようにと
あなたが身を縮めることは
何の美徳でもない
われわれは
自らのうちにある栄光を表すために生まれてきたのだ
そしてそれは限られた人のものではなく
すべての人の内にある
われわれが
みずからの内にある光を輝かせるとき
無意識のうちに他者に対しても同様のことを許している
われわれが
自分の持つおそれから自らを解放するとき
我々の存在は
同時に他者をも解放する
*
ほんとうの意味で他者のためになるのは
その人が
その人の人生をいきること
ずっと そう観じてきました
(そのようにできているかどうはか別ですが…)
とかく
他人を助けるためにという理由をつけて
わたしたちは救世主になりたがります
あるいはその裏返しとして
救世主を無意識のうちに求めます
他者を助けることがいけない
と言っているのではないのです
ただ
「他人のため」という響きのいい言葉は、
みずからの内にある恐れを
意識に浮上させないために
あるいは
自分自身の問題に
向き合うことを避けるために
使われることが
自分を振り返ってみても
少なくありません
マンデラ氏がここで言う
「自分が素晴らしい人であるはずがない」
という思いは
実際
自分のなかにもありました
それは
他者を貶める意識が積み重なった
長年の歴史が作り上げてきた集合意識の影響を受けているとも言えるのですが、
その影響を受けることを許しているのは
他ならぬ自分です
他人を妬む気持ちは
自分を貶め妬む気持ちの裏返し
まわりのせいにしたり
他人を思い通りにしようとするのは
自分の可能性をおそれ
自身を縛っている意識のあらわれ
みずからの可能性をひらいていくためには
みずからのうちにある怖れと
向き合わなければなりません
が
ひとつ手ばなすごとに
身も心も
自分という存在が
軽やかになっていきます
ひとの可能性に限りがないのであれば
ひとは
おそれと向き合い続けていく
ということになるのでしょう
でも
ひとの意識がどこかの領域でつながっているとすれば
一人一人が
みずからのおそれと向き合い
一つ一つ手ばなしていくなら
その作業は
徐々に楽になっていくのではないでしょうか
短い期間ではありますが
この10年
じぶんの内側を観る作業をしてきた一人として
その傾向を実感しています
10年前に比べて
そしてたぶんその前に比べればはるかに
ずっと
“じぶんをいきる”ための環境は
調っていると言えそうです
未来へ生きる
「 人生の本舞台は 常に将来に在り 」
昨晩 家人が
どこかで目にして印象に残ったものとして
この尾崎行雄さんの言葉を
教えてくれました
憲政記念館の石碑に刻まれているこの言葉、
調べてみると
なんと
76歳のときのものだそうです
旅先に病んだ中
「昨日までの人生は序幕に過ぎず、今日以後がその本舞台。
過去はすべて人生の予備門で、
現在以後がその本領だと信じて生きる。」
という人生観に達されたのでした
それは、
どんな過去であっても
未来への糧に変えることができる
ということでもあります
あるサイトに
次のような尾崎さんの言葉が記されていました
「知識経験は金銀財宝よりも貴い。
しかるに世間には、
六、七十歳以後はこの貴重物を利用せずに
隠遁する人がある。
金銀財宝は、他人に譲ることが出来るが、
知識経験は、それが出来ない。
有形の資産は、
老年に及んで喪失することもあるが、
無形の財産たる知識経験は、
年と共に増すばかりで、
死ぬ前が、最も豊富な時である。
故に最後まで、利用の道を考えねばならぬ。」
(『人生の本舞台』より)
先日観たテレビ番組の中で
ある脳研究者の方が
現時点での見解では
人間の脳のはたらきのピークは50歳半ばである
とおっしゃっていました
また
以前読んだ本の中で
ある海馬の研究者の方は
異なる領域において共通点を見いだすような海馬的な脳のはたらきは
年を重ねるごとに
高まっていく、
という趣旨のことをおっしゃっていました
自らの役割を認識し
後進に道を譲ることは大切ですが
それは
はたらきが変わるだけのこと
どんなかたちであっても
ひとは一生現役でありえるのだと
思います
いきる よろこび
自然栽培では土をつくる意味あいはまったく逆です。
樹木にある肥毒(亜硝酸態チッソもそのひとつ)も
今日 自然栽培の野菜と一緒に送られてきた冊子に、
果樹栽培の指導をしている方のインタビューが載っていました。
「古い枝を落とす」とは
「若い枝」とは
いま 出逢っていること
いま 起こってること
いま なっていること
進行方向(*たぶん時間軸)に添って まっすぐ立てることで
まわりから いろいろ取り込むことは
その存在のなかに
みづから問い
ひとつひとつ
こたえを見つけ
(「問い」自体が「こたえ」であったりします)
それを
ひらいていくこと
が
魂に応える意志
今日 ある新書を読み終え、
ふと目に入った巻末に記されていた 「刊行にあたって」の文章です。
その後半世紀を経ても 当時憂慮された状況は変わっていないように見えますが、
魂に生じる知への情熱は ここに記された意志に応じるかのように
それぞれの人の中でふつふつと静かにたぎり ほとばしるときを待っているように観じます。
☆
一部の専門家の占有物として、ただ一方的に人々の手もとに配布され伝達されうるものではありません。
教養の重要な養いとなるべき書物は、ほとんど講壇からの天下りや単なる解説に終始し、
知識技術を真剣に希求する青少年・学生・一般民衆の根本的は疑問や興味は、
けっして十分に答えられ、解きほぐされ、手引きされることがありません。
万人の内奧から発した真正の教養への芽ばえが、こうして放置され、むなしく滅びさる運命にゆだねられているのです。
(略)単なる博識以上の根強い思索力・判断力、および確かな技術にささえられた教養を必要とする日本の将来にとって、
これは真剣に憂慮されなければならない事態であるといわなければなりません。
わたしたちの「○○○○○新書」は、この事態の克服を意図して計画されたものです。
これによってわたしたちは、講壇からの天下りでもなく、単なる解説書でもない、
もっぱら万人の魂に生ずる初発的かつ根本的な問題をとらえ、掘り起こし、手引きし、
しかも最新の知識への展望を万人に確立させる書物を、新しく世の中に送り出したいと念願しています。
(略)
かくされしもの
祖谷地方に 下記のような伝承があります。
小学生の頃だったでしょうか、
ある本(*たぶんこの本です。表紙の絵に かすかな見覚えが…)に
埋蔵金を示す暗号として紹介されていたこの歌が
なぜか 意識のどこかにずっと残っていました。
当時は 暗号を解読して埋蔵金を見つけるんだ!
と思っていましたが(笑)、
これは 埋蔵金というより
無限の富を生み出すであろう「知」について
示した歌のように観じます。
「みたからの歌」
九里きて 九里行って 九里戻る
朝日輝き 夕日が照らす
ない椿の根に照らす
祖谷の谷から何がきた
恵比寿大黒 積みや降ろした
伊勢の御宝 積みや降ろした
三つの宝は 庭にある
祖谷の空から 御龍車が三つ降る
先なる車に 何積んだ
恵比寿大黒 積みや降ろした 積みや降ろした
祖谷の空から 御龍車が三つ降る
中なる車に 何積んだ
伊勢の宝も 積みや降ろした 積みや降ろした
祖谷の空から 御龍車が三つ降る
後なる車に 何積んだ
諸国の宝を 積みや降ろした 積みや降ろした
三つの宝をおし合わせ こなたの庭へ積みや降ろした 積みや降ろした
*
冒頭の「九里」は
別の「くり」として読むことが可能です
ちなみに
高知県に残る黄金伝承には
「九里いて九里きて九里かえる 旭かがやく白い椿に丘に」
というものがあります
こなた とは 常世のこと
「朝日なす輝く宮 夕日なす光る宮に (略) 常世の宮に静まり坐せと申す」
という言葉がその祝詞に含まれている神と
椿に縁がある存在は、
ひとつらなりのモノ(エネルギー)の現れとして
理解することができます
白という文字が付されるものも しかり
私の中では
「くり」なるものに行き着くのでした
とはいえ
“みたから”を発見したわけではありません(笑)
すきとおる はる へ
ふりならす
すずのひびきに
たまみちて
みたまのふゆを
いやきこしめせ
<ある神社の神歌 と記されていた うた>
新暦の新年 立春 旧暦の新年 と
三つの 年の初め を 経ての
旧暦の松納め
雨上がりの前夜から
その日にかけては
気温がぐっとさがったせいでしょうか、
なにひとつ 混じりけのない
かのような
すきとおった
空間が
ひろがっていました
クリアで
どこまでもクリアで…
意識も
研ぎすまされていくかのようでした
スロヴェニア国歌
以前
私の大好きなスロヴェニアのワインを輸入している方から
日本にスロヴェニア料理のお店があることを
教えていただきました
私が
スロヴェニアという国を意識したのは、
数年前に参加した登山学校の講師が
その国の出身者であったことが
最初でしょうか
その方から
とても美しい土地であると聞き
興味を持ったことを覚えています
その後
上記のワインと出逢い、
日本のワイナリーで売られていた 彼の地の塩のおいしさを知り、
更に昨年
いとこの娘が
スロヴェニアの人と結婚して住んでいることを知ってからは
とても親しみを覚える国の一つとなりました
前置きが長くなりましたが、
先日
日本に一軒と思われる
スロヴェニアの料理のお店へ
伺うことができました
ただ
今回ここでお伝えしたいのは
料理やお酒の味ではなく(笑)、
そのお店にあった雑誌で知った
スロヴェニアの国歌の歌詞
についてです
フランツ・プレシェーレン(France Prešeren)という国民的詩人によって
1844年に書かれた詩の 第七節が元になってつくられた
国歌のタイトルは
『乾杯の詩』
参考までに
ネット上で見つけた歌詞と意訳を
載せておきます
*
Žive naj vsi narodi
ki hrepene dočakat' dan,
da koder sonce hodi,
prepir iz sveta bo pregnan,
da rojak
prost bo vsak,
ne vrag, le sosed bo mejak!
da rojak
prost bo vsak,
ne vrag, le sosed bo
ne vrag, le sosed bo mejak!
神の祝福あれ
すべての国々に
輝かしき日を待ち望む人々に
全地球上から戦争や争いがなくなり
すべての人が自由で
敵が隣人となることを待ち望む人々に
すべての人が自由で
敵が隣人となることを待ち望む人々に
*
【追記】
この歌がスロヴェニア国歌に採用されたのは
1989年9月27日
でした
1991年9月27日
には
白山比咩神社のご神木の三本杉が倒れ
精神世界において
「日本のしくみ」が発動されたと伝えられています
当時 白山本宮に奉職していた方のブログによれば
その時倒壊した社務所の棟札には
ちょうど60年前の
9月28日
の
日付が
記されていたとのこと
9月27日
そして
9月28日
という日の不思議を観じます
I(あい)のとし
あるブログに おもしろい写真が載っていました
2013という新年の数字が掲げられたゲートをくぐって
振り返ってみると…
2013 は Eros だった
というもの(笑)
エロスには
本来の愛 アガペー
という意味があり、
この写真を紹介していたブログにも書いてあるように
ひっくり返れば
2013年は愛の年になる
のかもしれません
実は、
「ひっくり返れば愛になる」
というようなことを
少し前に考えていたところでした
それは英語の一人称「I」に関して
です
私たちが通常言うところの“愛”は 本当の愛ではなく
というよりも、
愛の本質は
もっと軽やかで
もっとニュートラルで
空気のように 存在感がない
場合によっては とてもクールなものではないだろうか
と
時を重ねるごとに感じているのですが、
そんな私にとって
愛というものは
「愛」よりも 「あい」や「アイ」
という表記の方がより本質に近く
更に言うなら
アルファベットの「I」が
象形的にはもっとも本質を現わしているような気がしています
そして
いい意味でも悪い意味でも一神教を体現し
現在の世をつくっている言語としての英語の一人称が
「I」
であることが とても興味深く、
もしも
英語の一人称の「I」が
オトダマ・コトダマ的に
本来のアイ(愛)として機能するなら
英語圏の人たちの意識はドラスティックに変わるのではないだろうか…
と思っていたのでした
現在の私にとって
アイ(愛)とは 宇宙の理 そのものであり
英語の一人称が アイとなるなら
二人称も三人称もアイとなり
ゆくゆくは
英語も“主語を必要としない言語”になるのかもしれません
(数年前の時点で、一部の間では 既に 主語を使わない英語が使われていました)
少なくとも、
冒頭の写真を撮った方や
この写真を紹介したブログの筆者や
私のようなものが存在している
ということは、
2013という年が「ひっくり返ってアイ(愛)になる」
可能性は
意識領域に用意されている
のではないでしょうか
どうき
坂本: 我々が普段何気なくやっている動作、
たとえばお酒を飲むときにお猪口をもって、口に持っていきますよね。
このなかに、ものすごい力が込められている。
腕の力を使って意図的に行うのでは到底及ばないくらいの力が、
我々が無意識に物を動かすときには生まれている。
竹村: なるほど、なるほど。
坂本: すごい怪力の男に、こう腕をつかまれたとして、それを離そうと思っても
絶対離れないですよね、向こうの方が強ければ。
ところが、お猪口を持つような感じで自然に手をあげたとすれば、
簡単にあがっちゃうんですよね。
これはとても微妙な身体感覚で、普通に言うアスレティックな運動感覚とは違う。
そういう気づきっていうのかな、自分の身体の隠れた次元、隠れた能力に気づくこと。
それがいかに天と地につながっているか、同じ力が支配しているか、
っていうことに気づくかどうかだと思うんです。
竹村: 大事なのは、自分の意図で持ち上げて、自分のなかで完結するメカニズムじゃない
ってことですよね。
物体でも他者でも、その対象との関係のなかで、ある秩序がそこで形成される。
その関わりが調和的にコーディネイトされ、同期していると、
誰の力も使わない、というか自分の力を超えた力が働く。
ふゆけしき
狭霧(さぎり)消ゆる
湊江(みなとえ)の
ただ水鳥の
声はして
舟に白し
朝の霜
いまだ覚めず
岸の家
烏啼きて
木に高く
げに小春日の
のどけしや
人は畑(はた)に
麦を踏む
かえり咲きの
花も見ゆ
嵐吹きて
雲は落ち
若し燈火の
もれ来ずば
時雨降りて
日は暮れぬ
それと分かじ
野辺の里
*
なぜか「さぎり」という言葉が浮かび
そして 気にかかり、
ウェブで調べているなかで
『冬景色』という歌に出逢いました
歌詞が
いまという「とき」に
ふさわしいような気もするので
メモとして
ここに記しておくことにします
*
冬とは
増ゆる とき
「さぎり」
という言葉は
『先代旧事本紀』における天祖の名のなかに
見つけることもできます
いのちのあかし
愛だけを 残せ
壊れない愛を
激流のような時のなかで
愛だけを 残せ
名さえも残さず
いのちの証に
愛だけを 残せ
<中島みゆきさん「愛だけを残せ」より>
とき
一 瞬 早 す ぎ ず
一 瞬 遅 す ぎ ず
先月
時をほぼ同じくして
互いにまったく繋がりを持たない二人から
同じ言葉が 届きました
現場にきく
わからなくなったら 現場に聞くんやな
野っぱらに出て
ウロウロ歩くことやな
それでもわからん時は
日暮れ前に山に登るこっちゃな
山いうてもな
「富士山登れ」いうてんのと違うで
その辺の丘でええんや
丘で
水五則
常に自己の進道を求めてやまざるは水なり
障碍に逢い激してその勢力を百倍し得るは水なり
自ら清うして他の汚れを洗うは水なり
洋々として大洋をみたし
発しては蒸気となり雲となり雨となり雪と変じ霧と化し
凝っては玲瓏たる鏡となりて
しかもその本性を失わざるは水なり