大地は変わる
去年までは
花を結ばなかったバラが
今年は
見事な花を咲かせてくれました
数年前に買って
鉢植えにしていたものを
確か去年
地植えに変えたもの
当初から
無肥料・無農薬の自然栽培
と言えば聞こえはいいですが
ほったらかしだった
というのが
正直なところです
毎年
葉が虫に食われていたのが
今年は
元気に育っていたので
成長を
こころひそかに
楽しみにしていました
購入当初
このバラは雨に弱いので
雨の時は屋根の下に入れて下さい
と言われていて
初年度はそのようにしていたのですが
翌年からは
頓着せず、
今年は
雨にも負けず
風にも負けず
美しく
香しく
花ひらいてくれました
このバラ以外にも
今年は
成長が目覚ましく
花をつけたものが少なくありません
今年になってようやく
庭に意識を向ける余裕ができ
手を入れを始めたことや
(草取り程度ですが)
昨年
大きめの木を2本
伐採したことなども
影響しているのかもしれません
更に
今年の冬の二度の大雪も
土に良い影響を与えたように
観じています
自然栽培のある作り手さんが
田んぼと畑では
水を張る田んぼの方が
肥毒が抜けやすい
と
おっしゃっていたからです
和紙も
雪の上で晒すと
その白さを増します
庭にしばらく積もっていた雪が
水田の水のような
はたらきをしたのかもしれません
とは言え
雪国の土が
すべて素晴らしい
わけではないでしょうから
積雪の効果は
あったとしても
庭の土が変わった要因の一つ
という程度のことなのでしょう
それにしても
今年に限らず
庭の草花は
年々
その様相を変えていきます
土は進化する
と
自然栽培のベテラン農家さんがおっしゃっていたことを
年々
実感しています
大地も
また
かわり
続けているのですね
その“自然”に
人が
意志をもって
関わることで
大地の変化は
加速していくようです
いしのはな
10年近く前に買った石を
ある方に送りたくなり
ご意向を伺うために
撮った写真
花のようなその象形に
「石の花」という言葉が浮かび
調べてみると
ロシアの作家パーヴェル・バジョーフ氏の
ロシア・ウラル地方の民話を元にした短編集『孔雀石の小箱』のなかに
「石の花」という小編がありました
また
同名のものとして
その話を元にした バレエ作品や
第二次世界大戦中のユーゴスラビアを描いた漫画も
(*以前 家人が買ってきて、パラパラと読んだ記憶があります)
あります
私が見たサイトによれば
バジョーフ氏が「石の花」に託したものは
自然の美しさ
真の美しさ
うつくしさそのもの
の
ようです
*
自然にしかつくれない 石の花
人間にしかつくれない 石の花
人がかかわることで うまれる いしのはな
*
みとりのひ
今年は
例年に増して
新緑の 特にきみどり色があざやかで
昭和天皇の誕生日が
「みどりの日」
とされたのは
もっともなことだったなぁ
と
思っていたら
「みどりの日」は
「昭和の日」という名に変わっていたのですね
*
*
昭和とは
『書経』の中の 伝説の王・堯を讃えた一文に
由来する元号とのこと
由来する元号とのこと
九族既睦
平章百姓
百姓昭明
協和萬邦
黎民於變時雍
九族 既に睦みて
百姓(ひゃくせい)を平章(べんしょう)し
百姓 昭明にして
萬邦を協和し
黎民 於(おほ)いに變(しげ)り時(こ)れ雍(やはら)ぐ
九族 既に睦みて
百姓(ひゃくせい)を平章(べんしょう)し
百姓 昭明にして
萬邦を協和し
黎民 於(おほ)いに變(しげ)り時(こ)れ雍(やはら)ぐ
多くの人たちが仲良くして
それぞれが分をわきまえ
人々が それぞれ徳を明らかにすれば
世界の共存繁栄がはかられ
国民は大いに栄え また和合したのである
<こちらのサイトから引用させていただきました>
*
一世一元となってからの元号を
由来と共に観てみると
くっきりとした意図にそった
ひとつの流れ
として
捉えることができます
明治
(明に嚮(むか)いて治む)
↓
大正
(大亨は以って正天の道なり)
↓
昭和
(百姓昭明 協和萬邦)
↓
平成
(内平かに外成る 地平らかに天成る)
その流れにおいて
昭和という言葉は
「ひとのよ」
の
宣言
のように思えるのです
みつみつしい みどり
したたる
旧暦卯月の朔の今日
“昭和し 平成なる”
ことに
思いを馳せてみたくなりました
<こちらのサイトから引用させていただきました>
*
一世一元となってからの元号を
由来と共に観てみると
くっきりとした意図にそった
ひとつの流れ
として
捉えることができます
明治
(明に嚮(むか)いて治む)
↓
大正
(大亨は以って正天の道なり)
↓
昭和
(百姓昭明 協和萬邦)
↓
平成
(内平かに外成る 地平らかに天成る)
その流れにおいて
昭和という言葉は
「ひとのよ」
の
宣言
のように思えるのです
みつみつしい みどり
したたる
旧暦卯月の朔の今日
“昭和し 平成なる”
ことに
思いを馳せてみたくなりました
しのわつ
風 土 記 曰
豊 島 郡 篠 輪 津 池
貢 鯉 鮒 鰻 魚 鴻 雁 鸛 鶴 鷺 鴨 等
周 行 十 里 許 程
旱 日 水 不 涸
霖 雨 不 為 害
祈 旱 雨 人 詣 于 兹
所 祭 瀬 織 津 比 咩 也
云 云
(『江戸名所図会』より)
思うところあって
徳川慶喜公のお墓に参ったあと
先日
徳川家とロスチェイルド家による
コンサートが開かれたことを
思い出しました
幕末から明治維新にかけて
明治天皇の出自を絡めたストーリーが語られますが
それを一歩引いて観た
別のストーリーもあるようで
さらにそれらを俯瞰するような筋書きも存在していて
(いずれも 真偽のほどは不明です)、
真実へは
多層な状況を把握できる視野を持たないと
たどりつけないのかもしれません
今日
江戸の“きもん”にあたる地は
八重の桜が印象的で、
昨年のドラマの名を思い出し
この地における「艮」
の
はたらきに
しばし
思いを馳せました
*
八 重 の
さ
く
ら
の
は な
ひ
ら
ひ
ら
と
う す も も い ろ を
ち
に
し き て
け ふ
九 重 に
に ほ ひ ぬ る か な
し も
や み て
な え い づ る
あ す
普遍
失敗してもいいけど
せっかくなら
原因がわかるようにしていきましょう
成功したとしても
原因がわかるようにやっていきましょう
すこしでも脱落しないように
情報を共有しつつ
土と向き合うことを忘れずに
ともにがんばっていきましょう
*
今日届いた
自然栽培の作り手さんの言葉
です
最後の一文の
「土」
の文字を
「身体」や「ひと」や「社会」や「環境」
などに
置き換えて
読むこともできます
*
いま
すでに先駆者の取り組みの型は
全国に散見できるようになってきました
「できている事実」
が
ある以上
それ以上のことを目指すことができると
信じています
(これまた、他のことにも通じる 同じ方の言葉です)
です
最後の一文の
「土」
の文字を
「身体」や「ひと」や「社会」や「環境」
などに
置き換えて
読むこともできます
*
いま
すでに先駆者の取り組みの型は
全国に散見できるようになってきました
「できている事実」
が
ある以上
それ以上のことを目指すことができると
信じています
(これまた、他のことにも通じる 同じ方の言葉です)
あづまのもり
う つ せ み の
代 々 木 の 里 は
し づ か に て
都 の ほ か の
こ こ ち こ そ す れ
<明治天皇御製>
「はなまつり」
の
昨日
東京にある二つの杜へ
行ってきました
満開から
風に舞う花びら
そして
葉桜へ
これから花ひらこうとしている
八重の桜も
加わって
様々な桜と
芽吹きの新緑が
真夏のような陽に
いきいきと
かがやき
華やかでありながら
どこまでも
おだやかで のどかな
けしき
が
ひろがります
行き交う人は
みな
どこかしら
ほほえみにみちていて
あらためて
自然のはたらきの素晴らしさを
実感したのでした
<乾通りの桜>
<御所へ至る道の門>
<西桔橋から見た乾通り>
と り と り の
さ く ら
ほ ほ え む
わ か め
も ゆ
あ つ ま の も り は
う つ く し の
い の ち
み ち み ち
も ん
ひ ら か れ て
せいめい
「万物発して清浄明潔なれば 此芽は何の草としれるなり」
清明の初日
東京へ出る用事があったので
ついでに
いま一般公開されている
皇居の乾通りへ行ってみました
が、
最寄り駅の改札を出たところで
あまりの人の多さに 入門受付が終了
とのアナウンス
せっかく皇居まで来たので
お堀のまわりを
散策してきました
2012年の春に彦根へ行ってから
井伊直弼さんが
ときどきアンテナにひっかかるようになりました
その関係からちょっと気になっていた桜田門
昭和天皇の暗殺未遂事件も桜田門であったのですね
憲政記念館の お堀に面した場所に
かつての井伊邸の井戸
「桜の井」
が
残っています
「桜の井」と
外堀通りを挟んだところにある
「柳の井」
お堀の土手にあるので近くまで行くことができません
写真右下の柳の下にあるようです
憲政記念館に隣接する「国会前庭庭園」にあった
木の根のような岩
空が広い場所は
とても気持ちがいいものです
東京にも
うつくしい空があります
広い空と
流れる水と
いきいきとした緑
が
もっともっと
東京に増えていってほしいものです
「合理」は よろこび
<了承を得て 写真を転載させていただきました>
先週の週末とこの間の木曜日の
3日間
あるボディ・メソッドのワークショップに参加しました
身体はどのようにデザインされているのか
という
生体力学的な知見をもとに
身体全体を
そして
身体と意識を
ひとつのつらなりとして捉えるアプローチ
の
体験は
かなり刺激的で
とっても楽しいものとなりました
回を重ねるごとに
いえ
ワークショップでの時間が経過するのに応じて
身体が
歓びに満ちていくのがわかりました
いま
からだを動かすのが
からだを使うのが
楽しくて仕方ありません
また
このメソッドにおいては
多くのボディワークやエネルギーワークで発生する
共依存の関係が
非常に生まれにくいようになっていることにも
好感が持てました
その点においても
合理的であり効率的であると言えます
今回のワークショップと
それ以降 引き続き実践している体験によって、
意識が身体に及ぼす影響
言葉や意識の創造的な使い方
など
いろいろと気づき
これまで観じていながら 統合されていなかったことがらが
いろいろと整理されているのですが、
まだうまく
文章にまとめることができません
「言葉にすることで ほんとうの変化が起こる」
ということは
ワークショップで伝えられ
私自身 実感していることでもあり、
その意味においては
まだ
変化のプロセスが完了していない
ということになるのかもしれません
(もちろん
「変化」や「プロセス」は動的なものなので
それは 完了しない 終わりがない とも言えるのですが、
続いている/続いていく ものことにも
「区切り」や「節」のように
一段落する状態があるわけで、
ここで言っているのは
そういう状況になっていない
ということです)
言葉にできるようになったら
別のブログで
文章にしたいと思います
美という自然
この数日のあたたかさで
庭のスモモは
満開で、
窓を開けると
ひかえめな香りが
そ っ と
流れてきます
その香りに寄り添うように
部屋に活けた
フリージアの香りが
はるの
やわらかな あかるさを
運んできてくれます
色と香りのはたらきには
まだまだ窺い知れぬものがあるのでしょう
染められた色や
取り出された香りも
よいですが、
やはり
自然の色と香りの
押しつけのない“自然さ”に
勝るものはないようにも
思えます
全体性を保持した
「ひとつ」
のものは
これみよがしでもなく
押し付けがましくもなく
ごくごく自然なのかもしれません
『LA BELLEZA』で歌われる
「美(la Belleza)」
のように…
*
Cuando la belleza pase
quizás
no nos demos cuenta
美が通り過ぎるとき
たぶん
わたしたちは気づかない
*
はるのにわ
昨日
雨が降りしきる庭の
つややかに濡れる
草木の新芽や莟を見ていたときに
ふと
浮かんできた
「True Colors」
の
歌
ひとしきり庭を眺めた後に
携帯をONにしたところ、
前の夜に届いていた知人からメールで
彼女が
ようやく創作にとりかかり始めたことを
知りました
添付されていた
写真に映る
製作中の作品から、
彼女が
あらたな扉を開いたことが
感じられます
そして
わたしは ふたたび
「True Colors」
を
思い出したのです
*
17日に
アメリカのチームが
宇宙背景放射から重力波の痕跡を検出し
間接的に重力波を観測した
ことが
発表されました
重力波の存在は
マルチバースの扉を開く可能性を有しています
いろいろな宇宙
いろいろな色
それぞれの宇宙
それぞれの色
なんだか
「とっても春らしいなぁ」
と
しみじみ思う
今年の
春分なのでした
*
I see your true colors
shining through
I see your true colors
and that's why I love you
so don't be afraid to let them show
your true colors
true colors are beautiful,
like a rainbow
*
【追記】
きょうの気分にぴったりな写真がありました
「チョウの群れ、イグアス川」
写真 - ナショジオ セレクション - 「今日の写真」2014年2月ベストショット - チョウの群れ、イグアス川(拡大写真) - ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト(ナショジオ)
それぞれの春
きょうは朝から
南からの風が強く
私が住む地域では
午後から更に風が強まり
交通機関への影響も危惧されています
春一番 となるのかもしれません
ちなみに関東での春一番の条件は
1)立春から春分の間
2)南よりの風
3)東京で8メートル以上の風
4)最高気温は前日より高い
5)日本海に低気圧
なのだそうです
あさ
掃き出し窓の近くを掃除していたとき
そんなことを思ったからでしょうか
懐かしい歌が
浮かんできました
「別れと出会いの春」
は
毎年
巡ってくるわけですが
なぜか今年は特に
「 それぞれの はる 」
というものを
観じます
*
春一番が
掃除したてのサッシの窓に
ほこりの渦を踊らせてます
机 本箱
運び出された荷物のあとは
畳の色がそこだけ若いわ
お引っ越しの
お祝い返しは
微笑みにして届けます
やさしい悪魔(神)と住み慣れた部屋
それでは 鍵が サカサマよ
おかしくって
涙が出そう
1 2 3
三歩目からは
1 2 3
それぞれの道
私たち歩いて行くんですね
[「微笑み返し」の歌詞より
きょうの感じに合わせて編集しました
()内は 私の加筆です]
そんなことを思ったからでしょうか
懐かしい歌が
浮かんできました
「別れと出会いの春」
は
毎年
巡ってくるわけですが
なぜか今年は特に
「 それぞれの はる 」
というものを
観じます
*
春一番が
掃除したてのサッシの窓に
ほこりの渦を踊らせてます
机 本箱
運び出された荷物のあとは
畳の色がそこだけ若いわ
お引っ越しの
お祝い返しは
微笑みにして届けます
やさしい悪魔(神)と住み慣れた部屋
それでは 鍵が サカサマよ
おかしくって
涙が出そう
1 2 3
三歩目からは
1 2 3
それぞれの道
私たち歩いて行くんですね
[「微笑み返し」の歌詞より
きょうの感じに合わせて編集しました
()内は 私の加筆です]
菜虫化蝶
なむしちょうとなる
ひ
の
あさ
ふと
去年の秋に買ったお茶
が
飲みたくなりました
蝶が好きなわけではないし
正直
この絵柄は苦手なのに
なぜか
その苦手な絵柄が気になって
買い求めたもの
その後ずっと
人に贈ることもなく
封を切ることもなく
今日まで来ていました
このお茶を買った台湾が
蝶で有名であることを知ったのは
帰国してからのことです
玉山の登り下り
いくたびも
蝶が
目にとまったのは
そういう理由があったからかもしれません
(といって珍しい蝶を見たわけではないのですが…)
*
今日
私の住む地域は
4月中旬なみの陽気だったそうです
しみじみと
「はるがきた」
と思えた日
冬の寒さが身に染みたぶん
春の訪れが待ち遠しく
春の訪れがほんとうにうれしくて
世界に向けて
「Spring has co〜me !!」
と
あらん限りの声を尽くして言いたくなった
夕刻でした(笑)