おりおりに 出逢った      「すきなもの」を      縦横無尽に ご紹介
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とえ はたえ(十重二十重)














普段は通らぬ帰り道

満開の

八重の桜に

こころ惹かれて

急な坂道上ったら

今日の強い南風

たくさん花が落ちていました




もったいなくて

拾って帰り

鉢に盛って

夕餉の食卓



やえのさくらが

とえ

はたえ
























ももの風
















薫  風  に


い  っ  せ  い


飛  び  立  つ


も  も  の  は  な





























世界を観じる














先日ある画家の名前が目にとまり

ウェブを検索していたら

同時期にその方と同じ美術館で展覧会が開かれていた

別の画家の絵に

見入ってしまいました




『深い眠り』




個人的な表現として

写実的な手法は

技術のあるなし以前に

少なくとも今のところ惹かれないのですが、

見る立場としては

今年生誕300年を迎え

様々な形で取り上げられている伊藤若冲など

大好きな写実的な絵画はあります




早速

その絵と同じタイトルの

磯江毅さんの画集

『DEEP SLUMBER 深い眠り』



注文




届いた本の帯をみて

去年の今頃


磯江さんの展覧会が開かれていたことを知りました







その画集の冒頭に載っている

磯江さんの文章

「真の写実を求めて」

より




物を見るということは

意外にも深い意味があると思っている。

物がそのものであるかのように描くということと、

物を自分に見えたように描くということとは違う。

前者のほうは

作家の個人的感情を出来るだけ交えず、

その現実(事実)を構成している無数の要因の中から

最も重要な美的エレメントを選択し、

抽出することだと

私は考える。

その抽出力あっての描写力だと思う。

そんな硬質な仕事に対し、

後者のほうは

個性的解釈という一見芸術らしさがあるようにみえるが、

それが作家の思い違いや、

マニアックな思い込みに陥りやすい危険性を孕んでいる。







すべての人に共通する「完全な客観」というものは

存在しないことがわかり、

物理学の発展により

「見る」

ということの意味が変わりつつある現在、

磯江さんの言う「硬質な仕事」の

本質的なレベルにおいては

写実も抽象も

違いはないように

私には思えます




見ているようで見ていない

聞いているようで聞いていない

感じているようで感じていない




世界を

より精妙に感受し観察し

その中から

何を選び取って

あらわすのか…




絵画に限らず

さまざまなことにおいて

大切なありようだと思います





























春の庭から














あたりは

花が散り新緑芽吹く 山桜

花びらが舞う ソメイヨシノ

遅咲きで満開に向かう ソメイヨシノ(かな?)

蕾が開き始めたばかりの 枝垂れ桜に八重桜




桃の花は

花期が長いのでしょうか

相も変わらず

今もたわわの花盛り




鮮やかな黄色が流れる

山吹は

風に揺れ


 


土色だった大地は

さまざまな緑の色に埋め尽くされて




春の庭は

諦めていたもの

忘れていたもの

も含め

たくさんのいのちの芽吹きで溢れています


























とき














有機という言葉を

「機(とき)あるべし」と読む



「すべての命は 機(とき)無くしては ありえない」



日本の有機は

そんな意味を込めて

スタートしたと言います









届いた醤油のラベルに

記されていた

その言葉




食の安全性

ひいては

食の生命力

に関心を持って

四半世紀以上が経ちますが、

そのきっかけとなった有機農業の「有機」に

そんな意味が込められていたとは

今日まで

知りませんでした




確かに

「とき」

というものはある



実感します




その「とき」は

時空が相対的であるように

一つ一つの命

そして

一つ一つのモノ・コト

によって

異なるもの




それぞれの

「とき」



大切にし

それに応じ生かすことのできる

人でありたいですし

そんな社会


していきたいものです




まずは自分の「とき」から

ですね







新たな木咲く













源頼朝公が妻政子の懐妊を機に

安産祈願としてつくったとされる

「段葛」




2014年の11月から

整備工事のために

長らく

高い塀で覆われていたのですが、

3月30日に竣工式が行なわれ

やっと

若宮大路は

広々とした空間を取り戻しました




かつての桜の老木は

初々しい若木と入れ替わり

満開を過ぎた今日も

可愛らしい花をとどめていました




土の道だったところが

コンクリートで整備され

たくさん訪れる観光客のためには

歩きやすくなったのかもしれませんが、

味気なく

趣がなくなってしまい

もったいない限りです




まぁ

道は

また土に戻すこともできますね




旧暦如月の晦日である

今日は


鹿児島でようやく満開を迎え

仙台では平年より10日も早く満開となり、

今年の桜前線は

北ほど平年より早く

記録的な早さで北上しているようです












鎌倉の教会密度は1.4㎢に1教会、全国1位なのだそうです>







封印through











封印に触れることなく

開封することができます




開けられたなら

もう

封印は意味を持ちません





閉じられたものを

開く方法は

きっと

たくさんある




封印するものには

封印スルー






























【THROUGH】


from PIE root "tere-(2)"

(=to croess over, pass through, overcome)












本日

今季初めての

ソメイヨシノの満開が発表されました




これから日本列島は

やわらかな桜色に染め上げられていきます





押印Practice













今日

近所の篆刻家の方とのおしゃべりの中で

「いろいろなものに印を押して

印の押し方を体得するといいですよ」

とのアドバイスを受け、

早速

処分しようと思っていた紙の束から

目に止まったものを何枚か取り出して

手持ちの2種類の印を押してみました




印を押すと

空間が全く違ってくるから

面白いものです




それは

モノ

にも通じます







時空間をデザインする

もっとも小さく

もっともささやかなものが

書や印




時空間は

相関性や関係性とも言い換える事ができるので

書や印は

もっとも小さく

もっともささやかに

関係性をデザインするもの

とも言えそうです




漫画『陰陽師』では

碁盤に宇宙を映し見

碁盤から宇宙へ働きかけようとする姿が

描かれていますが

文字が呪詛性を持つとされるのも

同じように

そこに宇宙を映し見ることができるゆえに

そこから宇宙へ働きかけることができると考えられたから

なのかもしれません




どんなに言い繕っても

結局のところは支配の手法でしかない

そういったアプローチに

もはや関心はありませんが、

現わされ存在することのはたらき

というようなことに

改めて

気づかされました




…というようなことはさておき

押印PRACTICE

楽しいです
























































【PRACTICE】

from Greek "praktikos"(=fit for business; business-like, practical; active, effective,vigorous)

from "praktos"(=done; to be done),

verbal adjective of "prassein, prattein"(=to do, act, effect, accomplish)




「練習」や「稽古」や「学習」は

その文字や言葉を考えると

用いるのに違和感があり

それらよりも

語源的に

PRACTICE

の方が

あっさりすっきりしていて

私の感覚にはしっくりきます










本日

長野県千曲市の「あんずの里」で

昭和46年以来最も早く

あんずが開花したそうです







宇宙のさざなみ



“ 僕 ら は



 宇 宙 の


 瞬 間 的 な さ ざ な み ”






by

野村泰紀さん
(カリフォルニア大学バークレー校教授、Kavli IPMU客員上級科学研究員)









昨日行なわれた講演会

「宇宙観の東西」




参加者の選からは漏れたものの

幸い

ストリーミング配信を観ることができました




興味深かった話の一つが

冒頭の言葉です




現在138億歳の私たちの宇宙の今後を

(マルチバースであることを前提に)シュミレートしてみると、

40億年後に

太陽系が所属する天の川銀河はアンドロメダ銀河に合体・吸収され、

およそ10000000000000000000000億年後には

一つの超巨大なブラックホールとなり、

さらに10の100乗億年後に

ブラックホールは蒸発し、

このどこかの時点で

他の宇宙に崩壊していく、



考えられるようです

(気の遠くなるような数字は「適当ですよ」とのこと)




ですから

宇宙の一生のほとんどは

何もない真っ暗な世界

というわけで、

こんなに豊かなものたちで溢れている時期は

誕生直後のほんの一瞬

ということになります




何とも稀有で贅沢なときを

私たちは

生きているのですね









<ライブ中継が終わった後に巻き戻して見ていたので、
この画面に記されている視聴者の数がとても少なくなっています>




@本日、東京で桜が開花しました

シンイ













本日届いた

この言葉




別の意味にも取れまして…




果たして

そのココロは?




不死鳥


先日 寝入り端にふと

あるイメージが浮かびました



そのイメージに合う言葉で ウェブを検索していたら

ブータンの踊りの紹介記事に

次のような歌詞を見つけたのでした








鳥よ


お前の休むところはない




大地は燃え


仲間は去り


熱風の中に お前の休むところはない




鳥よ 飛べ


鳥よ 飛べ


飛べ


飛べ




お前の休むところがあるまで飛び続け













こちらのページよりお借りしました>




暁鶏














先日目にした

小学三年生が描いた「鶏」という甲骨文字の作品と

雨の庭をついばむ鳥に

触発されて