世界を観じる
先日ある画家の名前が目にとまり
ウェブを検索していたら
同時期にその方と同じ美術館で展覧会が開かれていた
別の画家の絵に
見入ってしまいました
『深い眠り』
個人的な表現として
写実的な手法は
技術のあるなし以前に
少なくとも今のところ惹かれないのですが、
見る立場としては
今年生誕300年を迎え
様々な形で取り上げられている伊藤若冲など
大好きな写実的な絵画はあります
早速
その絵と同じタイトルの
磯江毅さんの画集
『DEEP SLUMBER 深い眠り』
を
注文
届いた本の帯をみて
去年の今頃
磯江さんの展覧会が開かれていたことを知りました
*
その画集の冒頭に載っている
磯江さんの文章
「真の写実を求めて」
より
物を見るということは
意外にも深い意味があると思っている。
物がそのものであるかのように描くということと、
物を自分に見えたように描くということとは違う。
前者のほうは
作家の個人的感情を出来るだけ交えず、
その現実(事実)を構成している無数の要因の中から
最も重要な美的エレメントを選択し、
抽出することだと
私は考える。
その抽出力あっての描写力だと思う。
そんな硬質な仕事に対し、
後者のほうは
個性的解釈という一見芸術らしさがあるようにみえるが、
それが作家の思い違いや、
マニアックな思い込みに陥りやすい危険性を孕んでいる。
*
すべての人に共通する「完全な客観」というものは
存在しないことがわかり、
物理学の発展により
「見る」
ということの意味が変わりつつある現在、
磯江さんの言う「硬質な仕事」の
本質的なレベルにおいては
写実も抽象も
違いはないように
私には思えます
見ているようで見ていない
聞いているようで聞いていない
感じているようで感じていない
世界を
より精妙に感受し観察し
その中から
何を選び取って
あらわすのか…
絵画に限らず
さまざまなことにおいて
大切なありようだと思います
磯江さんの絵を見ていたら
安達武生さんの絵が浮かんできました
取材先の壁にかかっていたその絵に
一目惚れしたことを思い出します
<画像はこちらよりお借りしました>
磯江さんはスペイン
安達さんはフランス
ともに
写実の本場に根を下ろした二人は
奇しくも
年は数年違えど
同じ時期に
この世を去っていました
@
本日から19日まで
七十二候の第十候
「虹始見(にじ はじめて あらわる)」
取材先の壁にかかっていたその絵に
一目惚れしたことを思い出します
<画像はこちらよりお借りしました>
磯江さんはスペイン
安達さんはフランス
ともに
写実の本場に根を下ろした二人は
奇しくも
年は数年違えど
同じ時期に
この世を去っていました
@
本日から19日まで
七十二候の第十候
「虹始見(にじ はじめて あらわる)」