おりおりに 出逢った      「すきなもの」を      縦横無尽に ご紹介
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世界を観じる














先日ある画家の名前が目にとまり

ウェブを検索していたら

同時期にその方と同じ美術館で展覧会が開かれていた

別の画家の絵に

見入ってしまいました




『深い眠り』




個人的な表現として

写実的な手法は

技術のあるなし以前に

少なくとも今のところ惹かれないのですが、

見る立場としては

今年生誕300年を迎え

様々な形で取り上げられている伊藤若冲など

大好きな写実的な絵画はあります




早速

その絵と同じタイトルの

磯江毅さんの画集

『DEEP SLUMBER 深い眠り』



注文




届いた本の帯をみて

去年の今頃


磯江さんの展覧会が開かれていたことを知りました







その画集の冒頭に載っている

磯江さんの文章

「真の写実を求めて」

より




物を見るということは

意外にも深い意味があると思っている。

物がそのものであるかのように描くということと、

物を自分に見えたように描くということとは違う。

前者のほうは

作家の個人的感情を出来るだけ交えず、

その現実(事実)を構成している無数の要因の中から

最も重要な美的エレメントを選択し、

抽出することだと

私は考える。

その抽出力あっての描写力だと思う。

そんな硬質な仕事に対し、

後者のほうは

個性的解釈という一見芸術らしさがあるようにみえるが、

それが作家の思い違いや、

マニアックな思い込みに陥りやすい危険性を孕んでいる。







すべての人に共通する「完全な客観」というものは

存在しないことがわかり、

物理学の発展により

「見る」

ということの意味が変わりつつある現在、

磯江さんの言う「硬質な仕事」の

本質的なレベルにおいては

写実も抽象も

違いはないように

私には思えます




見ているようで見ていない

聞いているようで聞いていない

感じているようで感じていない




世界を

より精妙に感受し観察し

その中から

何を選び取って

あらわすのか…




絵画に限らず

さまざまなことにおいて

大切なありようだと思います

































磯江さんの絵を見ていたら

安達武生さんの絵が浮かんできました




取材先の壁にかかっていたその絵に

一目惚れしたことを思い出します









<画像はこちらよりお借りしました>







磯江さんはスペイン

安達さんはフランス

ともに

写実の本場に根を下ろした二人は

奇しくも

年は数年違えど

同じ時期に

この世を去っていました





























本日から19日まで

七十二候の第十候

「虹始見(にじ はじめて あらわる)」