わきたつ地と熱
昨日
「遠くて近い 井上有一展」
へ
行ってきました
この春
あるお店で
井上有一さんの「菜の花」という書を観たときの
痛烈な印象が
けっこう なまなましく残っていたので、
「菜の花」の書を一緒に観た 彼の書が好きだという友人から
展覧会への誘いがあったとき
しばらく悩んだものの、
好き嫌いを超えて
なにか鮮烈なものを孕む
彼の存在に
あらためて触れてみようと思ったのでした
彼の書に出逢ったのは
今年の春だとばかり思っていたのですが、
前日
展覧会へ行くことを伝えた家人から
既に出逢っていたことを
知らされました
*
あれは確か
1993年の夏のこと
文化人類学者の山口昌男さんが
廃校を利用して始めた
「喰丸文化再学習センター」の開所祭
福島県昭和村の喰丸小学校の体育館
に
天井から吊り下げられた
何枚もの
「貧」
冒頭の写真が
それです
ほとんどの写真を処分したときの
選別をくぐり抜けて
幸いにも
手元に残っていました
(相撲の廻し姿の山口さんのお尻の写真を
処分してしまったのは もったいなかったなぁ…)
改めて見ると
ちゃんと
「井上有一」
という字が
したためられた一枚も
一緒にそのイベントに参加した家人が
そう言うのですから
そのとき
井上有一さんのことが
紹介されたのだと思います
が、
私の記憶には
まったく
とどまっていませんでした
ただ、
地域の小学生が描いたのだろうと思っていた
「貧」
の
文字
の
個別の形や存在は記憶になくとも
その文字がかかっていた時空の
空気感のようなものは
ずっと
覚えていたのでした
*
昨日
あらためて出逢った彼の書は
文字という
“通常の規定の枠”を突き抜けた
ひとつの存在
でした
「表現」
というような
意図をわずかにでも含む行いすら超えた
おのずから
噴出するエネルギー
会場の入り口に掛かっていた
「月山」
の
書
は
まるで
この週末に訪れた
火山島の
溶岩
のようでした
マグマのエネルギー
地球の熱
いま読んでいる本には、
無機物・有機物を問わず
非生物・生物を問わず
地球の進化は
地球の熱の放出による「エントロピーの減少」
によってもたらされている
構造の秩序化である、
という説が
提示されています
「死」
という
書
は
エントロピーを小さく保つ生命の営みが
最期を迎えたとき
微生物によって分解され
熱力学第二法則に従ってエントロピーが極大となり
大気や大地へと還っていく
プロセスそのもののようでもあり、
また
一本の腸だけだったとされる
初期の脊椎動物
の
うごめきのようでもありました
そういえば
井上さんが亡くなったのは
1985年6月15日
私たちは
命日のすぐ後に
展覧会へ伺ったようです
「死」
会場の撮影はできなかったので
書そのものを
ここでお見せすることはできないのですが
(カタログを買っておけばよかった…)
他のサイトから
似た書を見つけることができました
<こちらのサイトからお借りしました>
これは
「恵」
という書
もう一枚
似た雰囲気を持つ書がありました
<こちらのサイトからお借りしました>
こちらは
「老」
という書
死と恵と老
が
似ている
というのは
とても興味深いです
最後は
昨日の展覧会にはなかったのですが
一緒に行った友人が好きだという文字
(この書が好きかどうかは不明です)
<こちらのサイトからお借りしました>
特注の太い筆を抱きながら
あるいは
コンテを握りしめ 声に出しながら
全身を投げ出して
紙に向かう
井上さんの姿に、
いのちとカラダとコトバと音と動き
が
一体となってあらわれる
「ことば」
の
素のままのすがた
原初のすがたを
あるいは
エントロピーが極大の混沌の世界から
創造という営みによってエントロピーを減少させる
いのちの事場[=ことば]
というものの成り立ちを
観ることができたのが、
私にとって
今回最大の恵みでした
【余 談】
アップルのトップページから消えていた
「その時がやってきた」
の
文字
が
展覧会から戻ってパソコンを開くと
再び
トップページに戻ってきていました