弔い
弔う、みたいな気持ちで
ぐんぐん部屋の片付けをしています
と
友人がメールに書いてきたのを読んで、
「あぁ、そうなのかもしれない」
と
心の中でつぶやきました
「弔い」なのかもしれない
と
今年一年を振り返ってみると
特に
秋頃からの日々の心持ちは
「弔い」
という言葉が
ふさわしいかもしれません
*
死者を
直接知らずとも
また
その名を知らずとも
そこにたしかに存在したであろう人たちの気配を
かんじることは
弔い
であり、
残された思いを遂げる必要はなく
その境遇に同情する必要はなく
ただ
そうだったのだと
知ることこそが
本当に死者を弔うことになる
と
思うのです
それは
正しく過去を知る
ことと同義です
またそれは
過去を終わらせる
ということでもあります
本当に大きな働きをした人たちは
名前を残さず
去って逝ったことでしょう
「真の大人物は己の痕跡を消していくもの」
と
語った方もいたようで…
今年初めて飾った
ヒカゲノカズラ
が、
一説には
“棒に蔓が巻きついた様”
や
“弓を持ち 屍の傍に矢を射立て 死者を害する鳥獣や邪霊を祓う「仕儀」”
を表しているという
「弔」
の文字に重なる、
2014年
の
終わり
です