おりおりに 出逢った      「すきなもの」を      縦横無尽に ご紹介
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弔い











弔う、みたいな気持ちで

ぐんぐん部屋の片付けをしています



友人がメールに書いてきたのを読んで、

「あぁ、そうなのかもしれない」



心の中でつぶやきました





「弔い」なのかもしれない















今年一年を振り返ってみると

特に

秋頃からの日々の心持ちは

「弔い」

という言葉が

ふさわしいかもしれません







死者を

直接知らずとも

また

その名を知らずとも

そこにたしかに存在したであろう人たちの気配を

かんじることは

弔い

であり、


残された思いを遂げる必要はなく

その境遇に同情する必要はなく

ただ

そうだったのだと

知ることこそが

本当に死者を弔うことになる



思うのです













それは

正しく過去を知る

ことと同義です




またそれは

過去を終わらせる

ということでもあります













本当に大きな働きをした人たちは

名前を残さず

去って逝ったことでしょう




「真の大人物は己の痕跡を消していくもの」



語った方もいたようで…













今年初めて飾った

ヒカゲノカズラ

が、

一説には

“棒に蔓が巻きついた様”



“弓を持ち 屍の傍に矢を射立て 死者を害する鳥獣や邪霊を祓う「仕儀」”

を表しているという

「弔」

の文字に重なる、

2014年



終わり

です