場
昨日訪ねた先で
「透明」
とか
「透き通った」
という言葉さえ
濁りに思えてしまうような
場
に
遭遇しました
たまたま
その「とき」が
“そう”だったに過ぎないのかもしれませんが、
私にとっては
初めて体験する感覚でした
帰宅して調べてみると
古の頃
そのあたりは
樹海さながらだったとか
生命力溢れる存在感のある大木に
惹かれたのは
ある意味
当然だったのかもしれません
少し行くと
浦へ向かって
急な坂道となっていて、
かつては波に洗われる岬だった
面影を
地形から窺い知ることができます
*
細胞は
「場のやわらかさ」を感じ取って応答する
という文章を読んで、
改めて
「場」
というものについて
思いを馳せている
今日この頃
“約60兆個の細胞の総体
としての
カラダ”
の
場
への
応答も
興味深いものがあります
本日は 大寒
「款冬華(ふきのはなさく)」
そして
旧暦師走の朔
【追記(2015/11/18)】
ヒトの体の細胞は
37兆個のあたりのようです。
今年の秋に参加した細胞の講座で
講師である大学教授から そう伺った時
これまで言われてきた数の3分の2以下だったことに
けっこう驚きました。
37兆個でも
私の想像が及ばない数なのですけれど…(笑)。