あかあかと
「戦いの終わり」
を
意味する名を持つ都市にいる友人からメールが届いた
昨日
の
夕焼けは
あかあかと
とても印象的で
まるで
燃え立つ海か
沸き立つ溶岩
のようでした
今日読んだある方のブログによれば
昨日の夕焼けの写真をアップしていた方が
結構いた模様
ペトラ/Petra
先日
旅先で立ち寄ったお寺は
緑深い山の中にありました
山道のような参道を歩いていると
急に空気が変わり
切通しのような場所が
あらわれました
この気配や空気や雰囲気は
どこかと似ている…
思い出したのは
沖縄の斎場御嶽(せーふぁうたき)
そして
ヨルダンのペトラ遺跡
でした
両側にそそり立つ
岩の壁の間を通り抜けると
ペトラのエル・カズネ(宝物殿)ならぬ
大きな観音様が
ペトラ(Petra)とは
ギリシャ語で「岩」や「崖」を意味します
その語源は
はっきりしていないようですが、
原義が“bedrock”(=基盤、根底)や
“What one comes through to”(=つながるもの?)という概念ならば
インドヨーロッパ祖語(PIE root)の「per-」が語源と考えられ
それは
to lead(=導く)
to pass over(=通りすぎる 飛び越える)
を意味するようです
pass over
を
passoverと名詞にすれば
それはユダヤ教の「過越の祭」を意味します
沖縄の離島出身の友人が言うには
その島の古い風習に
原初キリスト教の影響を見て取ることができるとか
そして
沖縄の島々からは
途中さまざまな経由地を通って
そのお寺がある房総にも
人は渡ってきたことでしょう
境内の茶処からの景色は
斎場御嶽のすぐそばのカフェの庭から臨む
久高島を
思い起こさせます
ペトラ
沖縄
房総
海を隔てて
petra(陸、地殻)でつながるこれらの土地の
petra(根底)な何か
を
感じた旅
それはたぶん
この地球の
petra(基盤、導くもの)
でもあるように
思えるのです
地球は岩石惑星
Petraな星
なのですから
わたゆき
なにかの植物の綿毛かな?
朝から
ひとつ
また ひとつ
ふわ り
ふぅわり
舞い降りていた
白いもの
その数が だんだん増えていくうちに
やっと雪だと気づきました
元旦の
霰から変わった雪は
まるで清めの塩のようでしたが、
今日の雪は
風に乗って種を運ぶ
綿毛のよう…
雲のヴェールから
うっすら照らす
陽の下で、
庭の
水鉢の凍った水面に
綿毛の
きれいな結晶が
その姿をとどめていました
昨日
冷たい雨が止んで
太陽が顔を出した
夕刻のけしきが、
私の中では
今日のけしきと
ひとつらなりのものとして
思い出されるのでした
天の泉のしづく
旧暦霜月の朔の日の夕暮れ
燃えるような太平洋の水平線上に
輝く宵の明星が
とても印象的でした
(写真では 上空の中央よりやや左側にぼんやりと映っています)
宵の明星が一番明るくなるのは12月7日とか
これから数日は 三日月と並ぶ姿が楽しめそうです
現在 宵の明星である金星は
来年の1月11日に地球を追い抜いて
明けの明星へと変わっていきます
霜月の異名の一つが 天泉
その由来は知りませんが
天泉のはじまりの日に見た輝く星は
天の泉からのひとしづくのように思えました
コペルニクスの発見によって
天と地
の概念から
宇宙のなかの地球
という認識に変わったにも関わらず、
人間の意識は
まだまだ天と地という枠組みの中にあります
天の泉
という
天の始まり
をイメージする名を持つこの月に、
二元論的な枠組みから
そろそろ
自由になれるといいですね
こうよう
今年の関東の紅葉は
例年になくきれいな印象があります
昨日 友人と待ち合わせた場所も
並木の銀杏が黄金色に染まり
多くの人が
紅葉狩りならぬ銀杏狩りを楽しんでいました
歩道は
鮮やかな黄色に彩られ
枯れ葉の上を歩くのは ただでさえ楽しいのに
更に輪をかけて
心が弾みます
(枯れ葉を踏むと 人の耳には聞こえない高周波がたくさん発生するらしく
それが人の心身によい影響を与えるようです)
青山通りから伸びる銀杏並木を
聖徳記念絵画館へ向かっていると
いちょう祭りの出店で賑わっている一角がありました
飲食店を中心に日本各地の特産品が集まっている
その中で わたしの目を引いたのは
こちらのお店の名前
「百姓の 百姓による みんなのためのお店屋さん」
というコピーが添えられています
秋田の若き“百姓”のお店です
百姓一喜
で
一喜一遊
炊きたてご飯のおにぎりを
ほおばりながら
秋のあおいそらのした
いろづくまちを歩いたのでした