おりおりに 出逢った      「すきなもの」を      縦横無尽に ご紹介
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いのちのみつ







今日

ある場所で目にした海は

これまで見たこともないような

いのち



感じる

輝きに

満ちあふれていました



つややかな

やわらかさ と なめらかさ

そして

はじけ ほとばしる

エネルギーが

ふつふつと

湧いているような



いきもの のような

いのち そのもの のような



生命の海

ということばが

ふさわしい

創造の輝き



満ちていました



昨日と今日は

空の色 空気の色 光の色が

とても印象的で、

すべてのものが輝いているような

すべてのものを輝かすような

ものを

観じたのでした






   
 

 
 
 
 

いし と き








苔がきれいな庭を歩いていたら

不思議なものを

目にしました



木の根らしきものが伸びているので

切り株の上に石を敷いた

のでしょうか



掃除をしている方に伺おうかなと思ったのですが、

別に

「それが何か」

知りたいわけでもないことに気づき、

単に

“おもしろいもの”

として

写真に収めました



まるで

オブジェのようです



 

始まりの朝








グレゴリウス暦

2013年元旦の空です



今季は

クリスマス同様に

新年という感覚が

例年に輪をかけて 乏しく、

いつもの「ある一日」という実感しかありません


が、

世間的に新年ということで

まったくの無関心ではありえず…(笑)



私が住む地域は

暖かく 穏やかな

年越し 年明け となりました










 

一陽来福


昨日 あるサイトで ブラジルに「光の塔」が立ったという映像が紹介されていました。

そのサイトでは ときどき 世界で報告される「光の柱」が紹介されており、
これまでは たぶん光学的な説明はつくのだろうけれど不思議な現象もあるものだなぁ と思う程度だったのですが、
なぜか昨日は その映像が少し気になったのでした。


光の塔が見えた場所は ブラジルのパロティナという町で、
ふと思い立って 地名の意味を調べたところ
Palotinaの意味は分かりませんでしたが
その町がある州の名のParaná(パラナ)は
先住民であるグアラニーの言葉で「神の母」を意味するようです。

ラプラタ川へ流れ込むパラナ川は その支流にイグアス川を持ち、
イグアス川がパラナ川に合流する地点の25Km手前に あのイグアスの瀧があります。
ラプラタはスペイン語で「銀」や「お金(転じて「富み」)」
イグアスはグアラニー語で「大いなる水」の意味。

私には “盗まれた女神”や 我が国の古の書に記された女神につながるものを
そこに観じるのでした。
更に ブラジルという名がポルトガル語で「赤い木」を意味すると知って、
今年 「赤」が気になってきた私としては ますます不思議な感覚に包まれます。
また その映像が撮影された12月17日という日付 そして 撮影された日本時間である12月18日は
個人的に思うところがある日でもあるのです。


“あかいき”の大地で “大いなる水”が“富”に変わる流れの途中の“神の母”の地に立った ひのはしら


その映像はこちらです。
他にアップされていた映像の情報を総合すると
現地時間の20時15分頃 パロティナの地に
沈みゆく太陽と反対の方角に 光の塔が立ったようです。


 
 


 
参考までに
この映像を知ったサイトで紹介されていた 他の「光の柱」の写真を
転載しておきます。

(これらは 人工的な光に見えなくもありませんが
幻想的な風景として見ていただくのも悪くないかと…)

 
 

(2009.01.17 ラトビア)


 
 
 
(2009.01.26 アメリカ・オクラホマ州)
 




12月17日は 旧暦の11月5日
霜月の別名に “復月” があります。
旧暦では冬至は11月の出来事で
復月という名は 一陽来復の意につながるようです


クリスマスは 古代の冬至祭に由来するものですが、
冬至は気になっても
今年ほど クリスマスというモノが 意識からすっぽりと抜け落ちた年はありませんでした。
文字情報や町の景色としてクリスマスというものを認識していながら
今思い返せば 実態がまったくない まるで記号のようなものに、
少なくともわたしの意識の中では なっていたのでした。
そして それを決して悲しいことではなく
むしろ喜ばしい出来事として 認識している私がいます。


やっと 人は 神という意識から解放されるのかもしれない
そんな希望のようなものと共に…


古き太陽(ヒ)の時代が終わり
新たなひと(ヒ)の時代が始まる


これまでの物語を繰り返す 一陽来復 ではなく
あらたなモノコトが始まる 一陽来福 として
ブラジルの光の塔の映像を観ることができるような気がするのでした



 




【コメント】

「福」という字源をウェブ上で調べたところ
「畐」は “徳利に酒をたっぷり満たしたさま”を描いた象形 で “祭壇”を現わす「示」と併せて
「(神の)恵みが豊かなこと」を意味する文字のようです


 

古層








尾鷲の森を訪ねた翌日

紀伊半島を南下していく途中で

思いがけず

数年前に訪れて とても気に入っていた場所を

再訪することができました



社はなく

ご神体 あるいは 磐座 とされる

岩だけの空間



数年前も 今回も

御嶽の空気を

強烈に感じます



その後

紀伊半島を更に南下するに従って

車窓の景色が

私には

沖縄の景色と重なってゆき…


特に

斎場御嶽へ向かう途中と久高島の

海岸の風景を思い出したのでした



沖縄のクマヤ洞窟のクマヤとは

「籠る」「隠れる」という意味があると聞いたとき

クマヤ



熊野

とも

記すことができるなぁ



思ったものです









 

美しき森









別のブログに載せた写真ですが


気に入っているので


こちらにも(笑)



 

生きている樹








ある城址公園で出逢った樹

トカゲやイグアナや恐竜などの爬虫類に見えるのですが…



カンブリア爆発期にこういう動物がいました、

と言われたら納得してしまいそうです

(納得しませんね… 笑)




 

門前の猫









門前の猫

と言えば

井伊直孝公を招き入れたとされる

豪徳寺の猫が

思い浮かびます



その伝説故に

招き猫発祥の地とされる

豪徳寺は

井伊家の菩提寺であり、

桜田門外の変で討たれた井伊直弼公のお墓も

その地にあります



今夏 二度目の訪問となる彦根で

いろいろとお話を伺うなかで

井伊直弼公のイメージが一新しました

(単に私が何も知らなかった というだけのことなのですが…)



明治維新の開国は

きっと

直弼公の描いた開国とは

まったく違うものだったのだと思います



ほんとうのかいこく

これからですね




 

後の月


それは ある城下町での 昨夜のこと


日中のイベントでご一緒したご夫妻の車に乗せていただき
懇親会の会場へ向かっていたところ…

間違って入り込んだ道は
お堀に囲まれた城内へと続いており
私たちは思いがけず
品よくライトアップされた
「異国のような日本の風景」に出逢ったのでした



  自然石の形をそのまま活かして丁寧に積み上げた石垣と樹々の陰影
  暖色の灯にゆれる 滑らかな水面
  透明な空気感と静けさ
  のびやかな広がりを持った 城趾一帯の空間
  見上げると ちょうど雲の切れ間から 満月には少し足りない月が姿を現しました



それは できすぎたほどの 完璧な 風景

まるで別世界に足を踏み入れたかのようです



「日本じゃないみたい…」
とつぶやく私に
ご主人が頷きながら
「でも日本にしかない風景だよね」
と言い
「こんなきれいなお城は 今まで見たことがない」
と感嘆されました


その城址と周りの空間が調(ととの)っている
ということもありますが
しかし 昼間の姿には
ご夫妻も私も
これほどの感動はありませんでした



その日はなぜか 月が気になり 幾度も見上げては
満月までもう少し と思っていたのが
自分でも不思議で

戻って調べてみると 「十三夜」


もしかしたら 昨夜の光景は
“後の月”の ひとよの夢 だったのかもしれません


その夢は
日本にしかない“無双”の町並み
の可能性を
示してくれたような気がしています


 

うろこくも










今日の夕刻の空

流れるような

鱗雲が

とても印象的でした







とけていくような

かえっていくような

すすんでいくような














 

かぜわたる









いつも散歩している山道は

風で木々が歌っていて

まるで潮騒のようでした



途中の

景色が開ける原っぱでは

ススキが銀色に色づいて

まるで光り輝く波のごとく



「その者 青き衣をまといて 金色の野に降り立つべし」



『風の谷のナウシカ』の中の一節が

ふと 浮かんでくるような…