おりおりに 出逢った      「すきなもの」を      縦横無尽に ご紹介
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あおい蓮












旅の最終日

滞在中に何度か参道の標識を目にした

宿の近くの寺院



訪ねました




室内の装飾で

私の目を引いたが

蓮の襖絵




後で調べてみると

その日

お茶会に使われていて

入ることが叶わなかった部屋は

一面の蓮が楽しめるようです




もともと絵心はあったとはいえ

とても

「還暦を前に絵を描き出して二年足らず」

の方の絵とは

思えません























そのお寺の名前にも使われている

青い蓮


仏教では

「浄土に往生する」

という意味があるようです


また

慈悲の心のあらわれ

とも




あるサイトには

「古代エジプトには 今は無くなってしまった青い蓮が咲いていて

その青い蓮が再び咲くとき

地球上に神々が戻ってくる」
 
という物語が

伝説として紹介されていました























『風の谷のナウシカ』

では

「その者

蒼き衣を纏いて

金色の野に降り立つべし。

失われし大地との絆を結び

ついに人々を清浄の地に導かん。」

という

古き言い伝え

が出てきます















海 は あお

空 は あお

葉や草木 は あお

地球 は あお




「あお」

という色



ひとは

生命力 や 希望



みるのでしょうか























一般的に

蓮は

泥の中に根を張りながら 泥にまみれることなく美しい花を咲かせる

その姿



賞賛されます




それは

泥を穢れたものとする

意識が前提となっています




「我らは大地そのものである。」

という

鈴木大拙氏の認識を前提とするなら、

蓮が象徴するものは

無意識/無分別の智 の 大地に根ざし(=無意識/無分別 の チに根ざし)

無意識/無分別の智 に 支えられた(=無意識/無分別 の チに支えられた)

意識/分別の

美しい花を咲かせる

こと

となるでしょうか