おりおりに 出逢った      「すきなもの」を      縦横無尽に ご紹介
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風の花











ギリシア語で「風」を意味する

Άνεμος(anemos)



その名が由来する

アネモネ




暖かい風に促されて開花し

強い風によって花が散り

長い毛を持つ種が

風に乗って運ばれることから

そう呼ばれているようです




寂しい冬の庭に彩りを

と思って植えた

三色のアネモネ




花言葉は

赤は 「君を愛す」

白は 「真実」「期待」「希望」

紫は 「あなたを信じて待つ」

であることを

後から調べて知りました








このアネモネ

アルメニアの国花なのだそうです





アルメニア人は

自らを ハイ(Hay/複数形はハイクHayk)

国を ハヤスタン(Hayastan)と呼び、

正式名称も

ハヤスタニ・ハンラペトゥテューン(Hayastani Hamrapetut'yun)

となります




アルメニアの始祖であり ハイ族の長である

ハイク・ナハペトは、

箱舟がたどり着いたアララト山の麓に住んだ

ノアの玄孫

とのこと




通説では

301年に世界で初めてキリスト教を国教としたのが


アルメニアです




ハイク/アルメニア人



「12世紀にアルメニア王国や東ローマ帝国が衰退・崩壊した後は

世界中に拡散し

商工業の担い手として各地にネットワークを広げてき活躍した」

(Wikipediaより引用)

そうで

アルメニア人の7割は国外在住とも言われ、

そんなディアスポラの民に

風の花「アネモネ」



ふさわしい



言えるのかもしれません





軍事と商業に長けていたとされる

ハイク/アルメニア人




その花は

これから

どんな風にのって

この地球に

広がっていくのでしょうか




…と そんなことを書いていたら

中島みゆみさんの

『EAST ASIA』



思い出しました







降りしきる雨は霞み 地平は空まで

旅人一人歩いてゆく 星をたずねて

どこにでも住む鳩のように 地を這いながら

誰とでもきっと 合わせて生きてゆくことができる

でも心は誰のもの

心はあの人のもの

大きな力にいつも従わされても

私の心は笑っている

こんな力だけで 心まで縛れはしない


(略)


モンスーンに抱かれて 柳は揺れる

その枝を編んだゆりかごで 悲しみ揺らそう

どこにでもゆく柳絮[りゅうじょ]に姿を変えて

どんな大地でも きっと生きてゆくことができる

でも心は帰りゆく

心はあの人のもと

山より高い壁が築きあげられても

柔らかな風は 笑って越えてゆく

力だけで 心まで縛れはしない


(略)


世界の場所を教える地図は

誰でも 自分が真ん中だと言い張る

私のくにを どこかに乗せて

地球は

くすくす笑いながら

回ってゆく


<『EAST ASIA』より>







この曲が歌われた

1992年の夜会VOL.4「金環蝕」



古事記の「天岩戸」をモチーフにした

日本女性の原点がテーマ



Wikipediaには記されています




「アメノウズメノミコトという

歌と踊りをつかさどる女神が

日本神話に出てくるんですけれど、

だいたい神話に登場するキャラクターというのは

後の世の人間にも多かれ少なかれある いろんな要素の

極端な形だと思えるんです。

ならば

アメノウズメノミコトは

いま いったい どこにいるのだろうかと、

それがこの夜会のテーマになりました。



そして もう一つ。

天岩戸伝説の中で

アマテラスオオミカミが

暴力に嘆いて抵抗したはずなのに

結局 暴力でまた王座に連れ戻されてしまう

というストーリーが

私としてはどうも納得いかなくて

気にかかっていたので、

アマテラスオオミカミの気持ちは

いったいどうなったんだろうと、

そこのところに

目を向けたいと思いました。」


(あるテレビ番組の中での 中島みゆきさんの言葉より)







日本神話に描かれるアマテラスオオミカミは

ダミーで、

暴力を嘆いた

本当のアマテラスは

力づくで引き出されることなく

傷ついたまま

いたみつつ

いま このときも

それぞれの人の

イワトの奥深く

隠れているように思えます




やわらかな風にのって

彼女が

花ひらき

世界に広がっていきますように