おりおりに 出逢った      「すきなもの」を      縦横無尽に ご紹介
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海の記憶、水の記憶














10月4日(火)

天秤シスターズの友人との散歩の日

設定したコースの途中に見つけた神社へ立ち寄った際

珍しくおみくじを引いてみたくなりました






















個人的におみくじは

うた

だけを受け取ります




「いま」の状況を的確に言い表しているかのような

そのうた




自宅でこの写真↑を撮るとき

おみくじの番号が目に留まりました























第九番




「九は究なり」

「最後のどんづまりまで来るというのが九のイメージ」




ある漢字の語源サイトの記述を思い出しました。




社を後にして

予定していた保全緑地を散策し

海側の住宅地へ抜け

目に飛び込んできた海は

これまで見てきた海とはまったく違うものでした























この写真↑は

その場所からずいぶん下って撮ったものですが、

そのとき目に入ってきたのは

視界の八割…

感覚的には九割…



濃紺の海に埋め尽くされており、

その海ははてしなく広がっていて

広がり続けていて

世界のすべてがその海にのみ込まれてしまう

ような感覚に襲われたのでした




それは

まるで別の映像が空に差し込まれたかのような

異次元的な空間でした




全身の細胞が一斉に 励起し 泡立ち

とてつもない恐怖を感じた私は

思わずその場にしゃがみこんでしまいした























その衝撃はしばらく続き

住宅地の坂を下りながら ようやく落ち着きを取り戻したあたりで

壁のような海から見慣れた高さの水平線になっていたこともあり

ようやく海にカメラを向けることができたのでした




私ほどではないにしろ似たような恐怖を感じていた友人が

津波に襲われるときはこういう感じなのかも

と呟いたとき

神話や伝承が伝える“洪水や海にのまれて消滅した文明”

が脳裏をよぎりました




私の人生において

海にのまれるような経験はありませんが

人類が体験した情報が

もしかしたら私の細胞に刻まれているのかも知れない




そんなことを思ったりしました





帰宅しても一種の励起状態が続いている身体を感じながら

身体の奥底にしまい込まれていたエネルギー(の塊)が

ほどけていくような心持ちになっていました




調べてみると

その日訪ねた社の祭神は

海とつながりが深い玉依姫命(と五頭龍大神)




出かけるときに手が選んだのは

「発見されたほとんどの石は、丸みを帯びた滑らかな形をしており、

水の中で長い時間を過ごしてきたことを示して」いる

「水のエレメントと親和性の高い(ニュージーランド産の)石」のブレスレット

(と

糸魚川産翡翠のイヤーカフ



ロシア産フェナカイトのネックレス)


でした