おりおりに 出逢った      「すきなもの」を      縦横無尽に ご紹介
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かいかのひ













宇宙と地球と生命の

起源についての講演会があった日

東京では

例年より2週間早く

梅が開花しました







講演の中で

“社会の役に立たない”


とおっしゃられた

宇宙や地球や生命の起源の探求



それこそが

私には

いま存在している人にとって

もっとも重要な研究のように思えます




血縁や部族や民族といった

閉じたつながりは

敵が存在し

敵との戦いのなかで生き残るための

「痛みの回路」を使いまわした共感の感覚に拠っている

のに対し、

宇宙や地球の進化

そしてその流れのなかで誕生した生命の進化

の事実を知り

全体の大きなつながりを認識することは

敵を必要としない仲間意識を育み

「悦びの回路」による共感をつくりだす大きな一助

となるように

感じるからです




哲学の研究者も参加した

昨日の講演会では、

「私たちがいま存在するのは

無数の宇宙が生まれるなかで

たまたまヒトが存在できる宇宙になっているから」

というマルチバースに基づく考え方よりも

「ヒトがうまれるように

この宇宙は初めからつくられていた」

という人間主義的な考え方の方が

“人間の尊厳”



結びつきやすい

というような意見が出ました




この2つの考え方は

「私たちが観測可能なものは確率でしか予言できない」

という

量子力学によってうまれた

新しい世界観



「一意的にすべてが決まる」という

古典的な世界観




対応しているとも言えます




私などは

「無数に生まれた宇宙のなかで

たまたまヒトが存在できるのがこの宇宙」

という

確率論的な世界観の方が

ヒトが存在していることの奇跡感が増し

ありがたみを感じます




意図した通りになったから

ありがたい

のではなく、

意図すら超えて

いえ

「意図」という概念の及ばない領域で

たまたまうまれたからこそ

尊い



思うのです




それは

意図しても

決してつくることはできない

ということでも

あります


(「意図」という概念自体が 非常に人間主義的なものですね。

まぁ、人間が考えている以上 “人間の認識の型”の縛りは受けてしまうわけですが…)




ただ、

奇跡的に存在しているから

とか

とても希少だから

という理由でありがたがる意識も、

生き残り戦略としてうまれた「痛みの回路」



依拠しているように思えます




生物進化の歴史のデータとして

その感覚は

私たちに確かに刻まれているものですが、

それが意図されたものか偶然か

という

認識の地平を超えて

いま存在していることを

138億年前から脈々と続いている

大きな流れの一部として

捉えることができるなら、

痛みに基づく共感の回路



包み込み

自らの存在の根底から安堵できるような

悦びにもとづく共感の回路を

育むことができる

のではないでしょうか







講演会が終わって

最寄駅に向う途中

茜色から薄紫を経て蒼にいたる

うつくしい夕焼けのグラデーションの中に

くっきりと

富士山の影がそびえていました




どこまでも

すみわたり

はればれとした

夕刻でした










【補記】
(2016/01/12)


この日は 睦月の朔でした



こちらのサイトによれば

睦月の語源は

「親類知人が互いに往来し、仲睦まじくする月」からとする説が有力とのこと


他にも

稲の実をはじめて水に浸す月で、「実月(むつき)」が転じたとする説や

元になる月で、「もとつき」が「むつき」に転じたとする説があるようです




ちなみに

この文章を書いている本日1月12日

関東で初雪が観測されました