おりおりに 出逢った      「すきなもの」を      縦横無尽に ご紹介
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いのち うぶすなのこころ







昨日

鉛筆画家・平野峰生さんの個展を

拝見してきました




友人が平野さんと対談する

ということで知った

この個展


何の事前情報も持たずに

対面した

平野さんの絵は、

出会った方

ひとりひとり

それぞれの

輝きに

あふれていました



描かれている方の多くが

ご高齢である

ことを考えると

少々語弊があるかもしれませんが

「遺影にしたいなぁ」



思わせる何かを

その絵はたたえていたのでした







奥三河の里山の風景を描いていた

平野さんが

肖像画を描くようになったのは、

その里山の美しさをつくっているのは

そこに住む人たちが

その地を愛し

手を入れ続けている

その心である

ことに気づいたこと



きっかけだったと言います




『風景はそこに住む人の心映え』

とは

平野さんの言




確かに

わが身を振り返ってみても

家の中や庭の在りようと

己の心の状態は

鏡のように映し合っています




そう気づけば、

通常

生まれた土地(の神)を意味する

産土(うぶすな)という言葉は、

もっと広く

「土地と交わり

土を産(はぐく)む

こころ」



捉える方がふさわしい

ように思えてきます




それは

「つち と ひと」



限らず

ひと と ひと

ひと と モノ

ひと と コト

など

ひとが関わるすべてに対して

言えるのではないでしょうか




平野さんに肖像画を描いてもらった

一人の方が

その

“まじわり”



「いのち」



表現しておられました




いのちは

ひとりひとりのなかにあると同時に

ひとの関わりによって生まれ

そのなかにもある…



平野さんが

絵における余白について尋ねられたとき、

物質としては紙の色でしかない

その白が

描き方によって

眠りについている村に降り積もる雪の白

にも

棚田に勢いよく流れ込む清水の輝きやしぶき

にも

その方が生きてきた人生を刻む顔を照らす光

にもなる



おっしゃっていたことを

思い出します




ひとりひとりのいのち



鉛筆画における鉛筆

のようなものなのかもしれません



ひとつのいのち

というつながりを

さまざまな風景に描き分ける

鉛筆の陰影ような…
















【追記】


「風景はそこに住む人の心映え」

という視点から

この国



町並みや公共建造物

について

考えてみることで

あらたな なにかが

うまれてくるかもしれません