はつはる
本日
旧暦2015年睦月の朔
あらたな年がはじまりました
私の地域では
昨日までの寒さは和らいで
暖かな春の陽が注ぎ、
近所の梅も
日ごとに花開いていて、
「はつはる」
といった雰囲気に満ちています
今季は
冬至
グレゴリウス暦の新年
立春
そして今日
と
4度の年明け
それぞれが
節目として
強く感じられました
それは
私にとって初めてのことです
*
冒頭の写真は
カナダ・ユーコン準州に生息する
野生の羊
ドールシープ(Dall sheep)
今年の新年の挨拶に使わせていただいた
上村知弘さんの写真です
*
また
今日は「雨水」
<陽気地上に発し
雪氷とけて雨水となればなり>
あおい蓮
旅の最終日
滞在中に何度か参道の標識を目にした
宿の近くの寺院
を
訪ねました
室内の装飾で
私の目を引いたが
蓮の襖絵
後で調べてみると
その日
お茶会に使われていて
入ることが叶わなかった部屋は
一面の蓮が楽しめるようです
もともと絵心はあったとはいえ
とても
「還暦を前に絵を描き出して二年足らず」
の方の絵とは
思えません
そのお寺の名前にも使われている
青い蓮
仏教では
「浄土に往生する」
という意味があるようです
また
慈悲の心のあらわれ
とも
あるサイトには
「古代エジプトには 今は無くなってしまった青い蓮が咲いていて
その青い蓮が再び咲くとき
地球上に神々が戻ってくる」
という物語が
伝説として紹介されていました
『風の谷のナウシカ』
では
「その者
蒼き衣を纏いて
金色の野に降り立つべし。
失われし大地との絆を結び
ついに人々を清浄の地に導かん。」
という
古き言い伝え
が出てきます
海 は あお
空 は あお
葉や草木 は あお
地球 は あお
「あお」
という色
に
ひとは
生命力 や 希望
を
みるのでしょうか
一般的に
蓮は
泥の中に根を張りながら 泥にまみれることなく美しい花を咲かせる
その姿
が
賞賛されます
それは
泥を穢れたものとする
意識が前提となっています
「我らは大地そのものである。」
という
鈴木大拙氏の認識を前提とするなら、
蓮が象徴するものは
無意識/無分別の智 の 大地に根ざし(=無意識/無分別 の チに根ざし)
無意識/無分別の智 に 支えられた(=無意識/無分別 の チに支えられた)
意識/分別の
美しい花を咲かせる
こと
となるでしょうか
花の寺
ロケ地巡り第二弾となったのは
家人が
ある番組で観た寺院でした
大黒天が有名なのだとか
本院の山門から
その別院へ向う途中
頂から一本の木がすっくと伸びている円墳が気になり
陵の前まで行ってみると、
私が読んだ秘史の本で
重要な役割を担ったとされる方の名が
記されていました
目指した寺院の庭には
最後の将軍・徳川慶喜公が寄進し
孝明天皇陵にあったという石灯籠が
菊花紋の盛り砂の中央に
幕末の混乱期に
薩摩藩が倒したものを
二条家の血筋である
この院の住持が
夜中に密かに移した
とのこと
院内は
いろとりどりの花が
美しく
活けられていて
この場所を守っている方の
こまやかさが
伝わってきます
建物や庭や像や書など
見所はたくさんあったものの
私には
花が
もっとも印象に残ったのでした
みずのみち
眼鏡の調整の予約がやっと取れた
この週末
せっかく遠方まで足を伸ばすので
宿泊して
赴くままに散策することに
宿の近くということで
訪ねたお寺には
年始の番組で紹介されていた疎水が
通っていて
お天気雪(*「狸の嫁入り」と呼ぶ地域もあるそうです)のなか
まるでロケ地めぐりのように
同じ場所を歩くこととなりました
<犬釘と亀釘のペアを発見>
<お寺の奥にある社から見上げた空
社がつくられる以前から 要所であったように観じられました>
かつて家人と私の親たちを引き合わせて食事したのは
この近くであったことに
今回旅して思い出し、
けっこう
(といっても それほど訪ねているわけではありませんが)
この土地の東の地域に
足を運んでいたことに気付いたのでした
【おまけ】
行きの新幹線からの富士山
いのちのき
この週末たずねた地域の
東[キ]の地に
うねるような枝と根を持つ
大きなクスノキがありました
岡本太郎氏の造形
や
メドゥーサ
を
想起させる
その姿
いのち
の
ほとばしり
を
かんじさせます
*
ある寺院の庭園では、
白砂に同心円が描かれた庭を
解脱の状態を現した
とするのに対し
六道の状態を現したとする庭は
さまざまな苔が生していました
それが 私には、
いのちの
複雑性や不可解やありのままを削ぎとったものを
理想の状態
と捉えているように思われ、
実態から離れ
抽象へと向かう
一神教に象徴される宗教の
ある側面を現しているように
観じられました
いわゆる
「生命の木」
とされるものも
それが紋様であるがゆえに
左右対称化したり
抽象化しており、
どうしても
本来のいのちに対する
表層感や浮遊感が
否めません
岡本太郎氏が発見するまで
その芸術性が気づかれもしなかった
縄文土器
や
後から来た者たちによって
怪物に貶められた
メドゥーサ
が象徴する
つよく しなやかな
原初の生命力のようなものを、
この
オオクス
から
かんじることができます
そして、
この樹のある場所が
歴史に大きくかかわりながらも
その真実の姿が表に現れることのなかった(とされる)方たちに
ゆかりあることが
非常に
興味深く思えるのでした
*
【補 記】
吉本隆明さんの『最後の親鸞』の文庫版の解説として書かれた
中沢新一さんの文章を読んで
興味を覚えた
親鸞
エリート僧が集う「お山」を降りて
大衆の中に入っていった
彼は、
九歳のときに
この場所で
得度したそうです
親鸞のなかでは、
自分は煩悩のつくる世界を否定しているということを
外に向かって表示する、
いっさいの「僧」のしるしなど
なんの意味ももたないものになっていったし、
念仏を選ぶかそれとも捨ててしまうかの決断さえ、
「面々の御計」として、
各人の自由にまかされてしまっている。
こうして、
親鸞の思想のなかでは、
「信心」でさえ、
もはや「理念」や「宗教」への信仰などから、
自由になってしまった。
(略)
吉本隆明は
親鸞が切り出してみせた「造悪論」のなかに、
未知の倫理の発生すら予感しているのだ。
(中沢新一著『ミクロコスモス ー耳のための、小さな革命ー』P.118〜P.119)
鈴木大拙氏に言わせるなら、
日本人の精神が
大地に根ざしたのが
鎌倉時代
親鸞は
その
強力な媒介となったのでした
霊性は、大地を根として生きている。
萌え出る芽は天を指すが、
根は深く深く大地に食い込んでいる。
それゆえ平安文化には宗教がない。
平安人というは、
大地を踏んでいない貴族である。
我らは大地そのものである
ということに気付くと、
ここが直ちに畢竟 浄の世界である。
考えそのものが大地になるのである。
大地そのものが考えるのである。
そしてここに日本人の
宗教的信仰的自覚があるのである。
これを日本的霊性的自覚という。
(鈴木大拙著『日本的霊性』より)
うみ から うみ へ
*
建国記念日の前の日のこと
ふと思い立って
極楽寺を訪ねた後
海まで足を伸ばしました
波が強かったからでしょうか
サーファーたちが
けっこう海に出ていました
わたゆきが舞った前日とは打って変わって
すっきりとした青空が広がったその日は
相変わらずの寒さで
風は冷めたかったのですが、
ワカメを拾い集める人や
ビーチコーミングを楽しむ人など
浜辺は
予想外に
人で賑わっていて…
波打ち際で
寄せては返す波を見ていると、
はるか昔
地殻の大変動に伴って
海面が上昇と下降を繰り返すなか
波打ち際で生き抜いていた生物が
やがて
海へ還るものと
陸へ上がるものとに分かれた、
という
三木成夫さんの本に記されていた
進化の話が思い出されました
どうやら
生物は
海辺
と
森辺
で
大きな分岐を
経てきたようです
そして
その
プロセスは
私たちのカラダに
構造として
きちんと
記録されている…
キリリとした冬の空気の中
春の暖かさを抱いた陽に輝く海では
真夏のような光の下で
サーファー達が波に乗り
波打ち際には
秋の枯れ枝のような若芽の茎が打ち寄せれていて
なんだか
春夏秋冬が
ぎゅっ
と
詰まったような
その景色は、
海辺にいる私を
さまざまなところへ
運んでいきます
しかし、
南北朝のころ
この浜辺に
出入りしたであろう
人たちの面影が、
その週末に訪ねた場所の
明治維新のあとさきへと
つながっていくとは、
この時は
まだ
気づいていませんでした
カカオ
バレンタインデーを意識した編成なのでしょうか、
気がつくと
チョコレートをテーマにした番組を
続けて2つ観ていました
ここ数年
カラダがチョコを欲する傾向にあるので
「チョコレート」や「カカオ」
に
敏感になっていたのかもしれません
一つ目の番組は
2000年に公開された
映画「ショコラ(Chocolat)」
その中で出てきた
“唐辛子入りのチョコレート“
が
気になり、
数年前の記憶を手繰り寄せて
コロンビア産のトリニタオ種カカオにインド産の唐辛子が入ったものを
食べてみました
カカオは
紀元前二千年ごろから
メキシコを中心とするメソアメリカで
利用されていたと言います
カカオと名付けたのはオルメカの人々とのことですが
[*当初の呼称は カカワ(kakawa)とのこと]
もっともカカオを愛し活用したのは
マヤの人たちだったようです
(それにちなんで
映画「ショコラ」の主人公は
店の名前を「Maya」にしたのでしょう)
栄養豊富なカカオは
古くから
栄養源や万能薬として利用されており、
乾燥させたものを石臼で挽き
水や唐辛子やスパイスを加えて煮込んで
泡が出るまで丹念にかき混ぜ
飲んでいたのだそう
(ウェブでちらっと検索した程度ですが、
カカオやチョコの歴史は
なかなか興味深いです)
私が
数年前に敬遠した
唐辛子入りチョコ
を
今回 食べてみたいと思ったのは、
それが
神聖な儀式で使われた
古のレシピである
と
その映画の中で言っていたからでした
(私の記憶が正しければ、ですが。。。)
飲み物だった当時とは異なる姿カタチ
となった
唐辛子入りのチョコレート
は、
口の中で溶けている間は
チョコの甘さが際立っていて
唐辛子の存在はあまり感じられないのですが、
口の中のものが喉を通っていった後に
ぴりり
とした
程よい刺激が
口腔を満たします
でも
期待していた
ときめく「+α」は
感じられませんでした。。。
二つ目の番組は
パリで行われるチョコレートの祭典「サロン・デュ・ショコラ」
を
テーマにしたものでした
その中に出てきた
カカオの実が乳房にように全身に飾り付けられた香炉
[*上掲の写真を参照ください]
は
古の世界に共通する
豊穣を象徴する象形そのもの
縄文のヴィーナス
と
呼んでみたくなります
木の幹に花が咲き
直接幹から実がなる
カカオは、
初めてそれを見たものに
強い印象を残したであろうことは
想像に難くありません
カカオの学名
Theobroma cacao
は
神の食べ物 カカオ
を
意味します
いま
私が一番気に入っているのは、
最も古い品種であり
一時期は
病害虫に弱いため 壊滅状態に陥ったという
クリオロ種
の
カカオ豆を
ローストしただけのものです
クリオロ種は
カカオの主な品種の中で
渋みが少なく
香りや風味が繊細なのだとか
この文章を書くにあたり
もう一度
録画していた「ショコラ」を流して観たところ、
唐辛子入りのチョコが
次ような場面で出てきました
*
店主のヴィアンヌが
客の目の前で
不思議な円盤を
勢い良く回転させ、
ロールシャッハテストのように
そこに何が見えるか
尋ねます
尋ねられた女性の答えは
「荒馬にまたがる女」
それを聞いたヴィアンヌが
あなたにぴったりのチョコがあるといって差し出したのが
「少量の唐辛子が
甘さを引き立てる
冒険的な味」
の
チョコでした
味見して気に入った女性が
夫からのプレゼントに見えるように包装してほしいと言って
それを買い求めると、
ヴィアンヌは
“ご主人へのプレゼント”として
ある品を渡します
「グアテマラのカカオ豆よ。情熱を呼び覚ますわ」
クリオロ種は
メキシコからベネズエラにかけての地域で栽培されてきたようですから
ヴィアンヌがプレゼントしたカカオ豆は
クリオロ種なのかもしれません
この夫婦は
ヴィアンヌのチョコをきっかけにして
夫婦の間に
情熱を取り戻していくのでした
*
そこで
ふと我にかえりました
その両方を
採っている、
しかも
カカオ豆を好んで毎日食べている私って
(チリ入りチョコも結構気に入りましたし)
いったい…
いま
冒険を求め
情熱を呼び覚ましているのでしょうか
【余談】
カカワ/カカオの意味や語源は
わかっていないようですが、
日本語にもある
「カカ」という音には
個人的に惹かれるものがあります
あるサイトに
「母親の呼称は ハハよりもカカの方が古く
さらに
父親の呼称であるチチよりも カカの方が古く
神の語源と関係がある
という説明を聞いたことがある」
との記述がありました
[*チチは 「乳」でもあり
カカともつながってくるのが おもしろいところ。
スペイン語のカカ(caca)が 排泄物を意味するのも
「カカ」という音が
根源的なものとつながっている
からのように思えます。]
栄養豊かな
豊穣のシンボル
カカワ/カカオ
が
ハハ
や
神
と
つながるのは理解できます
となると
チチカカ
という
湖の呼称が
気になってくるのでありました
わたゆき
なにかの植物の綿毛かな?
朝から
ひとつ
また ひとつ
ふわ り
ふぅわり
舞い降りていた
白いもの
その数が だんだん増えていくうちに
やっと雪だと気づきました
元旦の
霰から変わった雪は
まるで清めの塩のようでしたが、
今日の雪は
風に乗って種を運ぶ
綿毛のよう…
雲のヴェールから
うっすら照らす
陽の下で、
庭の
水鉢の凍った水面に
綿毛の
きれいな結晶が
その姿をとどめていました
昨日
冷たい雨が止んで
太陽が顔を出した
夕刻のけしきが、
私の中では
今日のけしきと
ひとつらなりのものとして
思い出されるのでした
葦辺より満ち来る潮
録画していた再放送のドラマを見ていた時
待ち合わせ場所の美術館に展示されていた
一枚の絵が
印象に残りました
エンディングのテロップで確認したその美術館へ
昨日訪ねたところ、
行なわれていたのは
「東山魁夷と日本の四季」の展覧会
常設展示されているかもしれないという
ささやかな期待は外れ、
奥村土牛氏の「鳴門」を観ることは叶いませんでした
その代わり
思いがけない
素晴らしい絵との出逢いがありました
*
冒頭の写真はその絵を用いた葉書なのですが、
「日本画は、
鉱物を原料とする岩絵の具や、
和紙といった自然の中にある素材が用いられてるため、
印刷物ではなかなか本来の色彩や質感など、
その魅力が伝わりません。」
と
学芸員の方が語っているように、
私が観て体験した絵とは“別のもの”
に
なってしまっています
箔や砂子で描かれた 岩に砕ける波しぶきが
計算された照明によって
きらめき躍動していた 色あいや生命感が
印刷物では
まったく伝わってきません
ネットで写真をいろいろ探してみても
結果は同じでした
この場所に置かれる絵として描かれた
「満ち来る潮」
東山氏は照明にも指示を出し、
公開の前日には
採光の具合でどうしても手を加える必要があると
6〜7時間近く補筆されたそうです
斜め横
やや斜め横
真正面
また
立っているか座っているかによっても
絵はまったく異なる表情をみせます
本当に目の前に潮が流れているかのようで、
絵が大きいということもあるのでしょうが
目の前を人が行き交っても
目の前に人が佇んでも
海を眺めているときのように
それらは景色の一部となり
まったく邪魔にならないのです
そして何よりも驚いたのは
いえ
私をそこに引き止め続けたのは
絵の場が
ほとばしり溢れ
わきたち
振動している
ことでした
それは
本当の海を感じているようなリアルな臨場感
というのではなく、
もっと根源的なところから噴き出してくる 何か
ちょうど今読んでいる本『ミクロコスモス ー夜の知恵ー』で言及される
「物質と精神、内部と外界、末端の神経組織と大脳の組織、
あるいは自然と人間の文化などの
対立を超越したところにあらわれてくる」
レヴィ=ストロースが言うところの「構造」
や、
「時間による秩序づけを越え、
空間的構造としてとらえることもできないほどの
高次元的ななりたちをしているために、
およそ語り尽くすことは難儀なもの」
や、
「空間以前、時間以前、存在以前、秩序以前、思考以前」
の
「いっさいの『機』が動き出す直前の、力みなぎる未発の場所」
である
度会神道における「機前」
や、
神仏たちの背後に広がる
「後戸の空間」
といったものを
思い起こさせます
私のコトバで言うなら
「ひとつ」の場
や
「在一場」
となるでしょうか
まるで
対称性が破れて宇宙が始まる
その前の
対称性の“うみの場”の振動が
描かれた海を介してそのまま伝わっているかのようでした
そしてその振動は
絵がそのように描かれていることによって
いまここに現れ
伝えられているのだと気付き、
その時初めて
Technology/Technique(技術)とArt(芸術)は 同じ語源である
ということが
実感を持って理解できました
「Nature(自然)」と相補する「Techne(技術と芸術の語源)」
は
わたしたちの源への回路
となりうるようです
「満ち来る潮」
というタイトルが
万葉集の
「葦辺より 満ち来る潮の いや増しに 思へか君が 忘れかねつる」
から採られたと知り、
そこに
その日読んだばかりのページに出てきた
「葦」の文字を見つけて
そのタイムリーさに
私はちょっと
笑ってしまいました
「機前」という言葉をつくった度会家行氏は、
「天地開闢の後ニ、虚空の中ニ一物あり。形葦牙[あしかび]の如」きものとし
ここで言う
葦は あらゆる母音の最初の音である「ア」であり
牙は その「ア」音とともに盛り上がってくる強度の先端部である、
という分析が
その本には記されています
私も同様の認識を持っているものの
音の特性を観じるには
「ア」より「A」の文字の方がよいと思うゆえに
ローマ字表記によって
母音があらわしていることを考えていくと、
「I(イ)」は
「A(ア)」があらわれいづる勢いやベクトル
「U(ウ)」は
「I(イ)」を経てモノカタが浮き うまれてくるはたらき
と
捉えることができ、
潮
を
「うしお」
と
読みたい私には
この絵は
まさに
存在の世界を葦の芽のように立ち上がらせる「A(ア)」の場
である
「葦辺」
から
満ち来る「U(ウ)」としての潮
を
あらわしているように感じられるのです
この理解は
私がこの絵に実感/実観したことと
ぴったり
寄り添います
*
また
「満ち来る潮」
は
私に
千住博さんの「滝」
を
思い起こさせました
私の実感/実観において
千住さんも
後戸との回路としての絵を描かれている方です
調べてみると
千住さんは
東山魁夷氏と 東山氏が描いた「青の世界」に強い憧憬を抱いている
という記述がありました
「満ち来る潮」は 特定の海を描いたものではありませんし
千住さんは 風景を写実しているわけではない とおっしゃっいますが、
ここで私は
『人間の建設』の中で小林秀雄さんが話題にされた
地主悌助さんという画家が「写実しか認めない」と言ったことを
思い出すのでした
具象に
いまだあらわれない場からのほとばしりを観じ、
いまだあらわれない場からのほとばしりを
具象にあらわす…
私たちは
あしべよりみちくるうしお
と
ともに
いきることができるようです
【追記】
(2015/01/30)
一昨日 帰宅して
ネットで東山魁夷さんについて調べていたら
東山さんが 建築家の吉村順三さんと同窓であり
東山さんのご自宅を 吉村さんが設計されたことを知りました
吉村さんは 私が好きな建築家の一人です
また
「フィラデルフィア松風荘」も検索にひっかかり、
吉村さんの設計で
東山さんが襖絵を描かれ、
その襖絵が破壊されたため
千住さんが新たな襖絵を描かれた
ことを知りました
思いがけず
好きな方たちのつながりが見えて
うれしくなった私です
場
昨日訪ねた先で
「透明」
とか
「透き通った」
という言葉さえ
濁りに思えてしまうような
場
に
遭遇しました
たまたま
その「とき」が
“そう”だったに過ぎないのかもしれませんが、
私にとっては
初めて体験する感覚でした
帰宅して調べてみると
古の頃
そのあたりは
樹海さながらだったとか
生命力溢れる存在感のある大木に
惹かれたのは
ある意味
当然だったのかもしれません
少し行くと
浦へ向かって
急な坂道となっていて、
かつては波に洗われる岬だった
面影を
地形から窺い知ることができます
*
細胞は
「場のやわらかさ」を感じ取って応答する
という文章を読んで、
改めて
「場」
というものについて
思いを馳せている
今日この頃
“約60兆個の細胞の総体
としての
カラダ”
の
場
への
応答も
興味深いものがあります
本日は 大寒
「款冬華(ふきのはなさく)」
そして
旧暦師走の朔
【追記(2015/11/18)】
ヒトの体の細胞は
37兆個のあたりのようです。
今年の秋に参加した細胞の講座で
講師である大学教授から そう伺った時
これまで言われてきた数の3分の2以下だったことに
けっこう驚きました。
37兆個でも
私の想像が及ばない数なのですけれど…(笑)。