をどる
【 を ど る 】
足に力をこめて飛びあがる。
「舞ふ」は水平に旋回する意であるが、
「をどる」は高くはねて、跳躍する動作をいう。
<『字訓』より>
「踊り(踊る)」の語源は、
「お」が「尾」で「どり(どる)」が「とどろく」の意味とする説や、
「繰り返す」という意味の「ヲツ」と関係する語といった説、
「をとぶある(小飛有)」の意味など諸説あり未詳である。
(略)
本来、「おどり」は
「跳ね上がること」「飛び跳ねること」など躍動運動を表す語であった。
また、「舞踏」の意味として「踊り(踊る)」が用いられた例は
中世末期頃から見られるが、
当時の踊りも跳ね上がるような動きであったと考えられ、
日本芸能においての「踊り」も、
「舞い」と区別して躍動運動を主体とした動作を指し、
音楽や歌に促されて踊るのではなく、
自らがリズムを作り踊るものをいった。
<「語源由来辞典」のサイトより>
*
水平運動である「舞ふ」では
与えらえた枠組みを
超えることはできません
現状維持のための
支配の道具ともなりえます
奉納の舞い等に感じる違和感は
そんなところにあるのかもしれません
進んでいくための
歩いていくための
身体表現
そして
“思考としての身体のありよう”として
機能するのは
「をどる」
こと
なのでしょう
既存の枠組みを見直し
超え
未知の可能性へ
開いていく
カラダ
と
いのち
“音楽や歌に促されるのではなく
自らがリズムをつくる”
「をどる」
は
自らのペースを知ることであり
自らの場を自らつくっていくこと
でもあります
田中泯さんが
「踊り」とは心のありよう
と
おっしゃっていたことを思い出します
身体は動かなくても
心は踊ることができる、
と
そしてまた
音楽に乗って踊るカチャーシーではなく
言葉にならない表現のあわられとして踊られるカチャーシー
のことも
思い出すのでした
真夜中のチューリップ
遺された人に
届いた花束
真夜中の陽に照らされて
逝った人が
そうであったことを
ひそやかに告げる
人目には見えない
隠された
その花のありか
植物たちが知っていた
花言葉は
博愛
そして
思いやり
真夜中のチューリップ
見えなかったけど
知っている
開かれた可能性
ふと目にとまった
「回」
の
金文文字
を
書いてみました
<金文の「回」。ウィクショナリーより>
回
という文字は
『常用字解』によれば
【象形。淵などでぐるぐるまわる水の形。
それで「まわる、まわす、めぐる」の意味となり、
まわることから、
「かえる」の意味ともなる。
淵(えん、ふち)も水がぐるぐる回って流れる形を示す時である。】
とのこと
この絵を家人に見せたら
「Gってかいたの?」
と
確かに
GにもCにも見えます
『アルファベットの事典』によれば
Cの文字の起源は
原シナイ文字とフェニキア文字の第3番目の文字「ギメル(GHIMEL)」であり
そこからギリシア文字「ガンマ(GAMMA)」が生まれ
そしてローマ字に比較的遅く現れた
Gの文字は
そのギメルとガンマを間接の祖先とするのだそうです
*
【 C 】
ギメルの起源と変化については、長いこと次のような説が信じられてきた。
すなわち、ギメルは
ラクダを意味するヘブライ語「ガマル(ローマ字表記でgamal)」の最初の文字である。
初期の絵文字は、ラクダの瘤か首のような形(ך)だったが
やがて直立し
右に向きを変えて、ギリシア文字のガンマ(Γ)となった、と。
しかし今日ではこの説のかわりに、別の解釈が注目されている。
そのひとつによれば、
数字の7に似たギメルの形は
投げ棒ぁブーメランをあらわし、運動の概念を含んでいるという。
また、別の説によれば、
魚を捕るための銛のようなものをあらわしているという。
(略)
Cという字は円周の一部をなしている。
それは完全に閉じた円周ではなく、
右側に開口部があり、
来るべきものの方に開いているように見える。
この開口部は、
卵が割れて中から新しい生き物が世界の発見に乗りだすように、
囲いの外に出る可能性をあらわしている。
こうしてアレフ(ALEPH)に含まれていた精気と創造力は、
ベート(BETH)があらわす家にしばらく住んだあと、
束縛を断ち切って外界へ飛び出してゆく。
【 G 】
大文字Gのデザインのもとにある渦巻き形は、
昔から豊穣、生命、成長のシンボルだった。
その形は
運動、とくに回転運動を連想させる。
Gは gyrocompas、gyroscope(ジャイロコンパス、ジャイロスコープ)といった単語の
接頭辞gyroの頭文字でもあるのだ
(gyroの語源は回転運動、円周、輪を意味するguros)。
Gはまた
grain(種子)をはじめ、
germe(胚)、gamète(配偶子)、genèse(起源)の頭文字であることから
「生命」という要素をふくみ、
誕生のシンボルでもある。
さらに大地とも関係があることは、
géographie、géométrie(地理、幾何学)の接頭辞géoや、
地球を意味するGe、Gaiaなどの言葉をみればわかる。
*
その本に
Plenitudo
“余すところなき成長”を意味すると記される
「ギメル」
「回」という文字も
閉じられた場の 水の回転、ではなく
余すところなく成長してゆく
運動や流れ
を
あわらしているように思えます
ヒトが形や型に託すものは
もちろん異なることもありますが
原初の単音の発声が多分そうであるように
根底では
通じているように感じれらるのです
洽く洽し
<『美神の邂逅』より>
理
調 う
愛
合 う
和 す る
理 解 す る
総 べ て
共 に
協[かな]う こ と
流 れ が 合[お]う て
ゆ ら ぎ が 合[お]う て
あ ま ね し や
ふと見れば
な に げ な く
サ ラ ダ
と り わ け
ド キ ン
と
す
イ キ イ キ
あ ざ や か
い の ち の あ か し
つながり
昨年の夏頃から
月1のペースで通っている地域があります
用事の前後に
ランチをしたいお店があるのですが
なかなかタイミングが合わず
行けないままでした
が
今日
駅の周辺で食事場所を探していたとき
その瞬間まで全く念頭になかった
そのお店のことをふと思い出し
訪ねてみると
嬉しいことに
OPEN ♪
「やっと来られました」
なんてことからおしゃべりしていたら
そのお店の女性オーナーと
いろいろ
幾つかの領域にわたって
話が通じ
なんとも不思議で楽しい気持ちになりました
(両腕あたりがゾクゾクもしましたけど。笑)
もしも
このお店を初めて訪ねた時に入れていたら
いや
昨年の内に入れていたら
今日の話の半分(以上かな?)は
できなかったことを考えると
「とき」
というものは
うまく計らわれているものだと
つくづく
思います
帰りの電車の中で
そのお店のブログを読んでいたら
今日話題に上らなかった共通項も
見えてきて
次に訪ねるときの
楽しみができました
@今日 奄美大島の名瀬で ヒカンザクラが満開になったとのこと
Pond Life
そのままネックレスにしたくなる
デザイン
NY近郊の池から採取された
水の
顕微鏡写真です
広大な世界も美しいけど
微小な世界も美しい
*
POND[池]の語源は
pound=enclosed place
[取り囲まれた場]
< pyndan=to dam up, enclose (water)
[(水を)せき止める 取り囲む]
で、
ケルト語やゲルマン語だけに見られる単語
bend=protruding point
[突き出ている先端 飛び出ている先端]
が
それらのルーツであるかもしれない
と考えられているようです
生命は
細胞膜に取り囲まれ
環境から分離されることで
エントロピーが増大して環境と融け合い一様になってしまうことを免れ
構造化や複雑化や多様化を遂げることができています
考えてみれば
この宇宙も
ダークマターによって均一化を免れたおかげで
多様な構造と構成が生まれています
となると
POND
というコトバは
いのち
そのもの
適当な偏り
適当な閉鎖系
は
多様で美しいものたちを
育む場となるのですね
どれもモダンアートのよう
写真はいずれも
PONDLIFEよりお借りました