おりおりに 出逢った      「すきなもの」を      縦横無尽に ご紹介
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夢の春













アルフォンス・ミュシャの『Reverie』のハガキ



手持ちの紙と組み合わせ










@啓蟄




私たちの銀河












ヨーロッパ南天天文台が発表した

天の川銀河の画像の一部です




まるで

抽象画のよう…








さくらさく














4年に一度の贈り物のような閏日が明けた

弥生のついたち




冬の寒さの名残はあるものの、

桃の節句を過ぎれば

春本番の暖かさになる

という予報に影響されているのでしょうか、

もうすぐ春本番

という実感が湧いてきます




早咲きのソメイヨシノから育成されたという

玉縄桜は

少し前から

もう満開です









<メジロが蜜を吸っていました>





をどる














【 を ど る 】




足に力をこめて飛びあがる。

「舞ふ」は水平に旋回する意であるが、

「をどる」は高くはねて、跳躍する動作をいう。


<『字訓』より>






「踊り(踊る)」の語源は、

「お」が「尾」で「どり(どる)」が「とどろく」の意味とする説や、

「繰り返す」という意味の「ヲツ」と関係する語といった説、

「をとぶある(小飛有)」の意味など諸説あり未詳である。

(略)

本来、「おどり」は

「跳ね上がること」「飛び跳ねること」など躍動運動を表す語であった。

また、「舞踏」の意味として「踊り(踊る)」が用いられた例は

中世末期頃から見られるが、

当時の踊りも跳ね上がるような動きであったと考えられ、

日本芸能においての「踊り」も、

「舞い」と区別して躍動運動を主体とした動作を指し、

音楽や歌に促されて踊るのではなく、

自らがリズムを作り踊るものをいった。


「語源由来辞典」のサイトより>










水平運動である「舞ふ」では

与えらえた枠組みを

超えることはできません




現状維持のための

支配の道具ともなりえます




奉納の舞い等に感じる違和感は

そんなところにあるのかもしれません




進んでいくための

歩いていくための

身体表現

そして

“思考としての身体のありよう”として

機能するのは

「をどる」

こと

なのでしょう




既存の枠組みを見直し

超え

未知の可能性へ

開いていく

カラダ



いのち





“音楽や歌に促されるのではなく

自らがリズムをつくる”

「をどる」



自らのペースを知ることであり

自らの場を自らつくっていくこと

でもあります




田中泯さんが

「踊り」とは心のありよう



おっしゃっていたことを思い出します




身体は動かなくても

心は踊ることができる、






そしてまた

音楽に乗って踊るカチャーシーではなく

言葉にならない表現のあわられとして踊られるカチャーシー

のことも

思い出すのでした









 



















 
































不思議な抽象



昨日

東京国立近代美術館へ行ってきました





そこで観た

恩地孝四郎さんの『イマージュ No.6 母性』



藤田嗣治さんの『アッツ島玉砕』





描いているものは正反対なのに

絵の前にたたずむ私の場は とてもよく似た状態になって…



なぜか 通じるものを覚えたのでした













こちらよりお借りしました>












こちらよりお借りしました>











【抽象】

多くの物や事柄や具体的な概念から

それらの範囲の全部に共通な属性を抜き出し

これを一般的な概念としてとらえること

真夜中のチューリップ



 










遺された人に


届いた花束


真夜中の陽に照らされて





逝った人が


そうであったことを


ひそやかに告げる





人目には見えない


隠された


その花のありか


植物たちが知っていた





花言葉は


博愛


そして


思いやり





真夜中のチューリップ





見えなかったけど


知っている


開かれた可能性













ふと目にとまった

「回」 



金文文字



書いてみました








<金文の「回」。ウィクショナリーより>







という文字は

『常用字解』によれば


【象形。淵などでぐるぐるまわる水の形。

それで「まわる、まわす、めぐる」の意味となり、

まわることから、

「かえる」の意味ともなる。

淵(えん、ふち)も水がぐるぐる回って流れる形を示す時である。】


とのこと




この絵を家人に見せたら

「Gってかいたの?」






確かに

GにもCにも見えます




『アルファベットの事典』によれば

Cの文字の起源は

原シナイ文字とフェニキア文字の第3番目の文字「ギメル(GHIMEL)」であり

そこからギリシア文字「ガンマ(GAMMA)」が生まれ

そしてローマ字に比較的遅く現れた

Gの文字は

そのギメルとガンマを間接の祖先とするのだそうです







【 C 】


ギメルの起源と変化については、長いこと次のような説が信じられてきた。

すなわち、ギメルは

ラクダを意味するヘブライ語「ガマル(ローマ字表記でgamal)」の最初の文字である。

初期の絵文字は、ラクダの瘤か首のような形(ך)だったが

やがて直立し

右に向きを変えて、ギリシア文字のガンマ(Γ)となった、と。

しかし今日ではこの説のかわりに、別の解釈が注目されている。

そのひとつによれば、

数字の7に似たギメルの形は

投げ棒ぁブーメランをあらわし、運動の概念を含んでいるという。

また、別の説によれば、

魚を捕るための銛のようなものをあらわしているという。


(略)


Cという字は円周の一部をなしている。

それは完全に閉じた円周ではなく、

右側に開口部があり、

来るべきものの方に開いているように見える。

この開口部は、

卵が割れて中から新しい生き物が世界の発見に乗りだすように、

囲いの外に出る可能性をあらわしている。

こうしてアレフ(ALEPH)に含まれていた精気と創造力は、

ベート(BETH)があらわす家にしばらく住んだあと、

束縛を断ち切って外界へ飛び出してゆく。





【 G 】


大文字Gのデザインのもとにある渦巻き形は、

昔から豊穣、生命、成長のシンボルだった。

その形は

運動、とくに回転運動を連想させる。

Gは gyrocompas、gyroscope(ジャイロコンパス、ジャイロスコープ)といった単語の

接頭辞gyroの頭文字でもあるのだ

(gyroの語源は回転運動、円周、輪を意味するguros)。


Gはまた

grain(種子)をはじめ、

germe(胚)、gamète(配偶子)、genèse(起源)の頭文字であることから

「生命」という要素をふくみ、

誕生のシンボルでもある。

さらに大地とも関係があることは、

géographie、géométrie(地理、幾何学)の接頭辞géoや、

地球を意味するGe、Gaiaなどの言葉をみればわかる。







その本に

Plenitudo

“余すところなき成長”意味すると記される

「ギメル」





「回」という文字も

閉じられた場の 水の回転、ではなく

余すところなく成長してゆく

運動や流れ



あわらしているように思えます




ヒトが形や型に託すものは

もちろん異なることもありますが

原初の単音の発声が多分そうであるように

根底では


通じているように感じれらるのです


みちひき












もう何年も前に買った

一冊の本

があります



表紙に完全一目惚れ





折々に開いては

その感覚に触れるのを

楽しみに

そして

大切にしてきました




お会いしてみたかった

著者の方とは

会えぬまま

1〜2年ほど前

すでに逝去されていたことを知りました




しかし

去年の秋から

そしてつい先日も

その方のご縁のような

人との出会いが重なって…




つながりの不思議を

感じています














洽く洽し






<『美神の邂逅』より>













調 う





合 う


和 す る


理 解 す る


総 べ て


共 に


協[かな]う こ と





流 れ が 合[お]う て


ゆ ら ぎ が 合[お]う て





あ ま ね し や






ふと見れば













な に げ な く

サ ラ ダ

と り わ け

ド キ ン







イ キ イ キ

あ ざ や か

い の ち の あ か し










つながり







 





昨年の夏頃から

月1のペースで通っている地域があります




用事の前後に

ランチをしたいお店があるのですが

なかなかタイミングが合わず

行けないままでした






今日

駅の周辺で食事場所を探していたとき

その瞬間まで全く念頭になかった

そのお店のことをふと思い出し

訪ねてみると

嬉しいことに

OPEN ♪




「やっと来られました」

なんてことからおしゃべりしていたら

そのお店の女性オーナーと

いろいろ

幾つかの領域にわたって

話が通じ

なんとも不思議で楽しい気持ちになりました

(両腕あたりがゾクゾクもしましたけど。笑)




もしも

このお店を初めて訪ねた時に入れていたら

いや

昨年の内に入れていたら

今日の話の半分(以上かな?)は

できなかったことを考えると

「とき」

というものは

うまく計らわれているものだと

つくづく

思います




帰りの電車の中で

そのお店のブログを読んでいたら

今日話題に上らなかった共通項も

見えてきて


次に訪ねるときの

楽しみができました


















@今日 奄美大島の名瀬で ヒカンザクラが満開になったとのこと





Pond Life












そのままネックレスにしたくなる

デザイン




NY近郊の池から採取された

水の

顕微鏡写真です




広大な世界も美しいけど

微小な世界も美しい







POND[池]の語源は

pound=enclosed place
[取り囲まれた場]

< pyndan=to dam up, enclose (water)
[(水を)せき止める 取り囲む]

で、

ケルト語やゲルマン語だけに見られる単語

bend=protruding point
[突き出ている先端 飛び出ている先端]



それらのルーツであるかもしれない

と考えられているようです




生命は

細胞膜に取り囲まれ

環境から分離されることで

エントロピーが増大して環境と融け合い一様になってしまうことを免れ

構造化や複雑化や多様化を遂げることができています




考えてみれば

この宇宙も

ダークマターによって均一化を免れたおかげで

多様な構造と構成が生まれています




となると

POND

というコトバは

いのち

そのもの




適当な偏り

適当な閉鎖系



多様で美しいものたちを

育む場となるのですね




























 



 































どれもモダンアートのよう




写真はいずれも

PONDLIFEよりお借りました

ひろがる






 





空 に ひ ろ が る

さ ざ な み の

お と

つ れ

い と し

こ こ ろ

ゆ ら ぎ て

















【余 談】


本日 北海道紋別市が「流氷初日」を発表しました