すすむために
かたりつぐ ひともなく
ふきすさぶ かぜのなかへ
まぎれちらばる ほしのなは
わすれられても
ヘッドライト テールライト 旅はまだ終わらない
ヘッドライト テールライト 旅はまだ終わらない
あしあとは ふるあめと
ふるときの なかへきえて
たたえるうたは
えいゆうの ためにすぎても
ヘッドライト テールライト 旅はまだ終わらない
ヘッドライト テールライト 旅はまだ終わらない
まだ咲かぬ 見果てぬ夢
遥か後ろを照らすのは
あどけない夢
ヘッドライト テールライト 旅はまだ終わらない
ヘッドライト テールライト 旅はまだ終わらない
by 中島みゆき さん
りんご
数年ぶりに
自然栽培のリンゴを 手にすることができました
『奇跡のりんご』の木村秋則さんのリンゴが
手に入らなくなって以来
ずっと待ち望んでいたことでした
幸いなことに
自然栽培のリンゴに出逢えなかった期間は
なぜか
リンゴを食べたいという気持ちがあまり湧かなかったので
それほど困ることはありませんでした
そして今年は
久しぶりにリンゴが食べたい心身の状態となり
どうしようかな…
と思っていたところに届いた朗報
自然の理に即して無肥料・無農薬で育む 自然栽培に
取り組み始めたばかりの生産者さんでしたから
実のところ
それほど味に期待はしていませんでした
ところが…
ひとくち ほおばると
口いっぱいに
大地の歓びを感じます
このリンゴを育んだ大地が蘇っている…
そんな印象に満ちあふれていたのです
大玉のそのリンゴ
食べるのは半分だけのつもりだったのですが
あまりのおいしさに
気がついたら
しあわせなきもちにつつまれて
一個まるまる
食べていました
まずは一本の樹からのスタート
とのこと
これからが楽しみです
木のうつわ
先月訪ねた先で案内してもらった
漆の職人さんのお店で
注文していた
曲げわっぱの湯呑みとぐい飲みが
届きました
こんなにも細やかで美しい留めの編みを見たのは
初めてです
曲げわっぱは 東北のイメージが強かったのですが
西日本でも こんな素晴らしい品をつくってらっしゃる方がいること
そして
接着剤を用いるわっぱが多い現在
薬剤を使わず昔ながらの方法を踏襲していることが
とても嬉しくて…
どんなものを入れても変質しない漆も
唯一 紫外線で劣化すると思っていたところ
この塗師さんが言うには
変色はするけれど
強度は落ちない とのこと
漆器や木器は
熱々のお湯を入れても
手にはやさしい熱しか伝わりません
そして
モノとしても
持つ手にやわらかく、
気がつくと
このところ 木の食器を使うことが増えています
陶磁器のリサイクルが進まない一方で
陶土を採るために山が削られ続けている現状を考えると
もっと木器が使われるようになればいいな
と思います
そして
少なくとも縄文初期から使われていた漆の
物質的な可能性が注目されつつありますが、
今の生活でも
もっと活かされてほしいなぁ
とも思うのでした
はつはな
十二月の初日
今年初めての雪を見ました
この日は
曇り 霧 雹・霰 雪 雨 青空… と
多彩に変わる天候で、
生まれて初めて
雪の中に轟く雷を聞きました
(山では 珍しいことではないようです)
最終的には
気持ちよく晴れ上がり、
陽の傾きに応じて移りゆく
大地のいろを
新鮮な驚きと共に
堪能することができたのでした
どうき
坂本: 我々が普段何気なくやっている動作、
たとえばお酒を飲むときにお猪口をもって、口に持っていきますよね。
このなかに、ものすごい力が込められている。
腕の力を使って意図的に行うのでは到底及ばないくらいの力が、
我々が無意識に物を動かすときには生まれている。
竹村: なるほど、なるほど。
坂本: すごい怪力の男に、こう腕をつかまれたとして、それを離そうと思っても
絶対離れないですよね、向こうの方が強ければ。
ところが、お猪口を持つような感じで自然に手をあげたとすれば、
簡単にあがっちゃうんですよね。
これはとても微妙な身体感覚で、普通に言うアスレティックな運動感覚とは違う。
そういう気づきっていうのかな、自分の身体の隠れた次元、隠れた能力に気づくこと。
それがいかに天と地につながっているか、同じ力が支配しているか、
っていうことに気づくかどうかだと思うんです。
竹村: 大事なのは、自分の意図で持ち上げて、自分のなかで完結するメカニズムじゃない
ってことですよね。
物体でも他者でも、その対象との関係のなかで、ある秩序がそこで形成される。
その関わりが調和的にコーディネイトされ、同期していると、
誰の力も使わない、というか自分の力を超えた力が働く。
ふゆけしき
狭霧(さぎり)消ゆる
湊江(みなとえ)の
ただ水鳥の
声はして
舟に白し
朝の霜
いまだ覚めず
岸の家
烏啼きて
木に高く
げに小春日の
のどけしや
人は畑(はた)に
麦を踏む
かえり咲きの
花も見ゆ
嵐吹きて
雲は落ち
若し燈火の
もれ来ずば
時雨降りて
日は暮れぬ
それと分かじ
野辺の里
*
なぜか「さぎり」という言葉が浮かび
そして 気にかかり、
ウェブで調べているなかで
『冬景色』という歌に出逢いました
歌詞が
いまという「とき」に
ふさわしいような気もするので
メモとして
ここに記しておくことにします
*
冬とは
増ゆる とき
「さぎり」
という言葉は
『先代旧事本紀』における天祖の名のなかに
見つけることもできます