おりおりに 出逢った      「すきなもの」を      縦横無尽に ご紹介
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いのちのみつ







今日

ある場所で目にした海は

これまで見たこともないような

いのち



感じる

輝きに

満ちあふれていました



つややかな

やわらかさ と なめらかさ

そして

はじけ ほとばしる

エネルギーが

ふつふつと

湧いているような



いきもの のような

いのち そのもの のような



生命の海

ということばが

ふさわしい

創造の輝き



満ちていました



昨日と今日は

空の色 空気の色 光の色が

とても印象的で、

すべてのものが輝いているような

すべてのものを輝かすような

ものを

観じたのでした






   
 

 
 
 
 

あかき ちわき








「白」という文字と出逢った社を訪ねた後

もうひとつ

御嶽のような空気を感じる場所が

ありました



そう思ったのは、

雲に隠れていた太陽が顔を出し

地面に敷かれていた白砂が

まぶしく輝いた

からかもしれません



今度は

赤い椿の花が

目を惹きます



そういえば

先の社には

椿大明神と記された石碑が

ありました



椿大明神は

猿田彦大神の異名のようで、

道別大神の「道別(ちわき)」が

ある天皇の霊夢により

「椿」

の文字になったとのこと



この

あかい椿を見ていると

「ちわき」

という文字と音が

しっくり

きます





あとから置かれたものに隠されてきた

その背後にある

本来のもの



姿が

観じられるような…



それは

東大寺二月堂の修二会(=お水取り)で

二月堂の本尊である十一面観音に

和紙でつくった椿の花を供えることにも

つながっていくのだと

思います









 

いし と き








苔がきれいな庭を歩いていたら

不思議なものを

目にしました



木の根らしきものが伸びているので

切り株の上に石を敷いた

のでしょうか



掃除をしている方に伺おうかなと思ったのですが、

別に

「それが何か」

知りたいわけでもないことに気づき、

単に

“おもしろいもの”

として

写真に収めました



まるで

オブジェのようです



 

スロヴェニア国歌








以前
私の大好きなスロヴェニアのワインを輸入している方から
日本にスロヴェニア料理のお店があることを
教えていただきました


私が
スロヴェニアという国を意識したのは、
数年前に参加した登山学校の講師が
その国の出身者であったことが
最初でしょうか

その方から
とても美しい土地であると聞き
興味を持ったことを覚えています


その後
上記のワインと出逢い、
日本のワイナリーで売られていた 彼の地の塩のおいしさを知り、
更に昨年
いとこの娘が
スロヴェニアの人と結婚して住んでいることを知ってからは
とても親しみを覚える国の一つとなりました



前置きが長くなりましたが、
先日
日本に一軒と思われる
スロヴェニアの料理のお店へ
伺うことができました


ただ
今回ここでお伝えしたいのは
料理やお酒の味ではなく(笑)、
そのお店にあった雑誌で知った
スロヴェニアの国歌の歌詞
についてです



フランツ・プレシェーレン(France Prešeren)という国民的詩人によって
1844年に書かれた詩の 第七節が元になってつくられた
国歌のタイトルは
『乾杯の詩』











参考までに
ネット上で見つけた歌詞と意訳を

載せておきます






Žive naj vsi narodi
ki hrepene dočakat' dan,
da koder sonce hodi,
prepir iz sveta bo pregnan, 
da rojak 
prost bo vsak, 
ne vrag, le sosed bo mejak!
da rojak 
prost bo vsak, 
ne vrag, le sosed bo
ne vrag, le sosed bo mejak! 




神の祝福あれ
すべての国々に
輝かしき日を待ち望む人々に
全地球上から戦争や争いがなくなり
すべての人が自由で
敵が隣人となることを待ち望む人々に
すべての人が自由で
敵が隣人となることを待ち望む人々に









【追記】


この歌がスロヴェニア国歌に採用されたのは
1989年9月27日
でした


1991年9月27日
には
白山比咩神社のご神木の三本杉が倒れ
精神世界において
「日本のしくみ」が発動されたと伝えられています


当時 白山本宮に奉職していた方のブログによれば
その時倒壊した社務所の棟札には
ちょうど60年前の
9月28日

日付が
記されていたとのこと


9月27日
そして
9月28日
という日の不思議を観じます



 

流れとして

 
 
 


 
一つ前の記事に取り上げた「天青石」を

思い出したのは

広隆寺の半跏思惟像(宝冠弥勒)を

観たことがきっかけでした



 
霊宝殿の中心の祭壇に置かれたその像は

その時の私の眼には

まるで

すきとおった流れの中に

流れそのものとして

存在しているように見えました

 

 
像に向かって手を合わせる人たちが投げかける願い事にも

周りのあらゆるものにも

煩わされることなく

ありつづける流れ

のように見えたのでした



自然



とでも言うべきもののような…



この像の由来の正確なところは分かっていないようですが

広隆寺の建造に関わった

聖徳太子も秦河勝も

守り伝えるべきものを知っていた

のではないかと

思います



余談ながら

たおやかな雰囲気をたたえる全体のなかで

弥勒菩薩が座る台座の布が

あまりにも平坦に表現されていることに

違和感を覚えました


しかし

しばらく観ているうちに

それは

物質が生命になっていく あらわれ

のように思え

宇宙そのものの歴史を映しているようにも

観えたのでした

 
 

あおい そらみつの いろ








以前 手元にあった

セレスタイン(Celestine)


天青石

という

美しい和名は

石が放つ 空のように澄んだ青色に由来しているようです


化学組成は SrSO4


私には

空の青

というよりも

透きとおった水の色



思い起こさせます



“パワーストーン”の世界では

この石が持つ波動は

ストレスの軽減やバランスの調整などの“浄化”や

創造性にはたらきかける効果があるのだとか…



現在流通している天青石のほとんどを産出している

マダガスカル島は

ゴンドワナ大陸の一部であった とする説が有力で

先カンブリア時代に形成された花崗岩が

その地質の基盤となっているそうです


 

産土









先日 訪ねた社で

参道を歩いていると

途中で気になる脇道がありました



惹かれるままに道を逸れ

鳥居をくぐると

空気が変わり

そこは

小さな祠がいくつかあるにも関わらず

御嶽のような雰囲気に満ちていました



冬の透き通った光が差し込む

その中で

ひときわ 私の眼を引いたのが

冒頭の写真の「白」の文字



「白」を

百から一引いた文字

と観るならば

九十九(九九 クク)



意となります



シラ SIR は

日本という枠を超えて

生命の根源とつながる オト・コトでもあるようで…


更に

し/シ/SI

には

「風」や「息」

という意味があるようで…





今回 この社と共に訪ねた先で観たことは

これまで私のアンテナにひっかかっていたモノコトを

つなぐものでもありました



その立場からは

伊勢 出雲 白山 熊野… など

別ものとされているものたちが

その根底でつながっていることがわかります

(別の言い方をするなら、

同じものを封印している

同じものの上に乗って そのエネルギーを使っている

ことがわかります)



表層としての 土地の違い 産土の違い

というものはあるのでしょうが

そしてそれが

その土地で生きる人たちの役割 というものに

つながっていくのかもしれませんが


根源的には

どの地域であっても

オオモトの産土は

地球

です











【補記】
《2023/03/09(木)》


本文中に、「白を百から一を引いた文字として観るならば」

と書きましたが、

こちらのサイトに拠れば

「白」という言葉自体に「百」の意味があるようです。

一白=百




もしそうであるなら、

白山比咩に菊理姫[ククリヒメ]を重ねた者たちは

菊理姫によって白山比咩の本質を封印した

とも考えられそうです。



あるいは

最後の一厘…「白」というコトバ[事場]…に触れることができない者たちには

白山比咩の本質が捉えることができず

精一杯のところでククリヒメとしたのかもしれません。





さかつき







南の島の窯から生まれた、

南の海の色をそのまま移したような

鮮やかなブルーの盃



日本酒の酒器は

自分が持つものとしての興味は

長い間なかったのですが、

去年の秋頃から

これまでの ワインときどきビール

という(自宅での)お酒の好みに

日本酒が加わり始めた時期と重なったこともあったのでしょうか、

ひとめぼれでした(笑)



このところ

日本酒にかかわることの中に

自分へのメッセージを発見することがあったりします


また

“普段はワイン派なのだけど なぜか今日は日本酒”

と言う友人・知人がいたりもして…



一時期に比べれば

日本酒も

生酛など天然菌が育むお酒や

古酒が出回るようになってきました



酒づくりに欠かせないのは

きよき水



上記の一連のことがらは

そのあたりの変化とのつながりが

あるのかもしれません










 

成長する星のしくみ







国立天文台が参加する国際研究チームが

おおかみ座の方向に 地球から約450光年の距離にある

HD142527という若い恒星で

外側を取り巻くガスと塵の環から 内側の星に向かう

“へその緒”のような 二本の流れを

確認したことが、

1月2日に公開されました。



理論研究では

巨大ガス惑星に そのような“へその緒”があると 考えられてきたものの、

実際にその存在を観測できたのは

今回が初めてとのこと。



物質宇宙を知ることができる成果としてはもちろんのこと

個人的には

意識領域のメタファとしても 観じることができるので

とても興味深く思っています。





【画像の説明
(アルマ望遠鏡のサイト「ALMA」より)】


アルマ望遠鏡がとらえた HD142527のまわりのガスと塵の円盤。
外側の円盤にある塵の分布を赤
外側の円盤とそこから内側に流れ込むガス(HCO+分子)の分布を緑
「すきま」の中に残るガス(一酸化炭素分子)の分布を青
に色付けしています。

外側の円盤から流れ込むガスは
時計の3時の方向と10時の方向に見えています。
外側の円盤の大きさは約500億km(太陽と海王星の間の距離のおよそ11倍)にも及びます。









こちらは
HD142527の円盤のイメージ図








こちらは
観測画像とイメージ図を比較したもの



詳しくはアルマ望遠鏡のサイトの該当ページ



 

I(あい)のとし



あるブログに おもしろい写真が載っていました







2013という新年の数字が掲げられたゲートをくぐって
振り返ってみると…






2013 は Eros だった
というもの(笑)



エロスには

本来の愛 アガペー

という意味があり、

この写真を紹介していたブログにも書いてあるように

ひっくり返れば

2013年は愛の年になる

のかもしれません



実は、

「ひっくり返れば愛になる」

というようなことを

少し前に考えていたところでした



それは英語の一人称「I」に関して

です



私たちが通常言うところの“愛”は 本当の愛ではなく

というよりも、

愛の本質は

もっと軽やかで

もっとニュートラルで

空気のように 存在感がない

場合によっては とてもクールなものではないだろうか



時を重ねるごとに感じているのですが、

そんな私にとって

愛というものは

「愛」よりも 「あい」や「アイ」

という表記の方がより本質に近く

更に言うなら

アルファベットの「I」が

象形的にはもっとも本質を現わしているような気がしています


そして

いい意味でも悪い意味でも一神教を体現し

現在の世をつくっている言語としての英語の一人称が

「I」

であることが とても興味深く、

もしも

英語の一人称の「I」が

オトダマ・コトダマ的に

本来のアイ(愛)として機能するなら

英語圏の人たちの意識はドラスティックに変わるのではないだろうか…

と思っていたのでした



現在の私にとって

アイ(愛)とは 宇宙の理 そのものであり

英語の一人称が アイとなるなら

二人称も三人称もアイとなり

ゆくゆくは

英語も“主語を必要としない言語”になるのかもしれません

(数年前の時点で、一部の間では 既に 主語を使わない英語が使われていました)



少なくとも、

冒頭の写真を撮った方や

この写真を紹介したブログの筆者や

私のようなものが存在している

ということは、

2013という年が「ひっくり返ってアイ(愛)になる」

可能性は

意識領域に用意されている

のではないでしょうか




 

まつ台風








1月3日の午後9時頃

フィリピン沖のスールー海で

台風一号「ソナムー(SONAMU)」が発生しました



気象庁が統計を取り始めた1951年以降

台風発生日時の早さが4番目

なのだとか



北朝鮮が命名した「ソナムー」は 「松」を意味します



熱帯低気圧が台風に変わったスールー海は

かつてスールー王国があった場所


ウェブ上の情報によれば

スールー王国は奴隷貿易を盛んに行なっていたようです









【追記】

台風1号は、1月8日(火)の午前中 熱帯低気圧に変わりました




 

始まりの朝








グレゴリウス暦

2013年元旦の空です



今季は

クリスマス同様に

新年という感覚が

例年に輪をかけて 乏しく、

いつもの「ある一日」という実感しかありません


が、

世間的に新年ということで

まったくの無関心ではありえず…(笑)



私が住む地域は

暖かく 穏やかな

年越し 年明け となりました










 

一陽来福


昨日 あるサイトで ブラジルに「光の塔」が立ったという映像が紹介されていました。

そのサイトでは ときどき 世界で報告される「光の柱」が紹介されており、
これまでは たぶん光学的な説明はつくのだろうけれど不思議な現象もあるものだなぁ と思う程度だったのですが、
なぜか昨日は その映像が少し気になったのでした。


光の塔が見えた場所は ブラジルのパロティナという町で、
ふと思い立って 地名の意味を調べたところ
Palotinaの意味は分かりませんでしたが
その町がある州の名のParaná(パラナ)は
先住民であるグアラニーの言葉で「神の母」を意味するようです。

ラプラタ川へ流れ込むパラナ川は その支流にイグアス川を持ち、
イグアス川がパラナ川に合流する地点の25Km手前に あのイグアスの瀧があります。
ラプラタはスペイン語で「銀」や「お金(転じて「富み」)」
イグアスはグアラニー語で「大いなる水」の意味。

私には “盗まれた女神”や 我が国の古の書に記された女神につながるものを
そこに観じるのでした。
更に ブラジルという名がポルトガル語で「赤い木」を意味すると知って、
今年 「赤」が気になってきた私としては ますます不思議な感覚に包まれます。
また その映像が撮影された12月17日という日付 そして 撮影された日本時間である12月18日は
個人的に思うところがある日でもあるのです。


“あかいき”の大地で “大いなる水”が“富”に変わる流れの途中の“神の母”の地に立った ひのはしら


その映像はこちらです。
他にアップされていた映像の情報を総合すると
現地時間の20時15分頃 パロティナの地に
沈みゆく太陽と反対の方角に 光の塔が立ったようです。


 
 


 
参考までに
この映像を知ったサイトで紹介されていた 他の「光の柱」の写真を
転載しておきます。

(これらは 人工的な光に見えなくもありませんが
幻想的な風景として見ていただくのも悪くないかと…)

 
 

(2009.01.17 ラトビア)


 
 
 
(2009.01.26 アメリカ・オクラホマ州)
 




12月17日は 旧暦の11月5日
霜月の別名に “復月” があります。
旧暦では冬至は11月の出来事で
復月という名は 一陽来復の意につながるようです


クリスマスは 古代の冬至祭に由来するものですが、
冬至は気になっても
今年ほど クリスマスというモノが 意識からすっぽりと抜け落ちた年はありませんでした。
文字情報や町の景色としてクリスマスというものを認識していながら
今思い返せば 実態がまったくない まるで記号のようなものに、
少なくともわたしの意識の中では なっていたのでした。
そして それを決して悲しいことではなく
むしろ喜ばしい出来事として 認識している私がいます。


やっと 人は 神という意識から解放されるのかもしれない
そんな希望のようなものと共に…


古き太陽(ヒ)の時代が終わり
新たなひと(ヒ)の時代が始まる


これまでの物語を繰り返す 一陽来復 ではなく
あらたなモノコトが始まる 一陽来福 として
ブラジルの光の塔の映像を観ることができるような気がするのでした



 




【コメント】

「福」という字源をウェブ上で調べたところ
「畐」は “徳利に酒をたっぷり満たしたさま”を描いた象形 で “祭壇”を現わす「示」と併せて
「(神の)恵みが豊かなこと」を意味する文字のようです