On Your Mark
昨日 あることを調べていたら、
宮崎駿さんがつくった
CHAGE&ASUKAの曲のプロモーション映像に
行き当たりました
『風の谷のナウシカ』と共通のものを感じる
その映像について
宮崎さんは
「暗号のようなものは
いっぱい入れてあるけれども。
音楽映画だから
見た人の感じたように
受け取ってもらってかまわないんです」
と 語っています
私は
既に 多くの人が
気づき 指摘しているように、
宮崎さんの作品に
人間が共有するデータ
集合意識とでもいうようなものを
強く感じるのです
そして
「われわれは 血を吐きながら
繰り返し 繰り返し
その朝を越えて飛ぶ鳥だ」
というナウシカの台詞を
思い出します
ON YOUR MARK
Get set
Go!!
あおば
庭の手入れをした時に
剪定した モッコウバラ(木香薔薇)
つぼみがもったいなくて
部屋に飾ってみました
つる性の先端部分だからでしょうか、
花の香りもさることながら
いきいき とした 青葉が
部屋の空気に
活力を与えてくれます
フィンランドでは夏至のお祭りのとき
部屋の窓を
白樺やポプラの葉の茂った枝で飾るのだそうです
また
欧州の五月祭や夏至祭で 町中に建てるポール(柱)は
やはり青葉で飾られます
常緑の木の葉が
永遠の生命を連想させ
聖なる木とされるように、
青々とした葉は
生命の象徴
なのかもしれません
そういえば
春の若芽を使った癒し について
以前どこかで目にしたことがあります
ある茶園の
冬の寒い晴れた日に芽吹いた新芽を手で摘んでつくられる紅茶は
透き通った力強さが感じられ、
私の最も好きな飲み物のひとつです
きのいえ
今日、
木材コーディネーターである知人がチームの一人として関わっている
建築現場を伺いました
手刻みの 天然乾燥の国産材を使い
「渡り顎(わたりあご)工法」という伝統工法で建てられている 住宅です
「ほんとうは金物は使いたくない」
とおっしゃる棟梁の現場だけあって
ほとんどが
木組みと木栓(もくせん)やクサビで納められています
軒は1.5メートル取りたかったそうですが
敷地の関係で
残念ながら そうできなかった場所も
1.5メートルの軒ならば
雨が降っても家の周りを濡れずに歩くことができるとのことで、
それだけ雨から守られるということは
家の痛み具合も 随分違ってくるのでしょう
今月2日に上棟を終えた現場は
どっしりとした木組みの空間に
木のかぐわしさと
あたたかな職人さんたちの雰囲気が満ちていて、
そこにいるだけで
安らぎます
まるで
晴れた日の森の中にいるような…
木槌の響く音も
心地よく
周囲の緑に溶け込んでいくのでした
物質 と 意識
近くを通るたびに 気になっていたお店がありました
小さなビルの階段の入口には
気持ち良さそうな布のアップを ピントを甘くして撮った写真
の看板が置かれています
昨日 その前を通った時、
軽い運動がてら
3階までまっすぐ伸びる 傾斜のきつい階段を 登ってみようか、
という気持ちになったのでした
看板に記されていたunderwearという文字と 例の写真から
オーガニックコットンやリネン素材の
気持ちのいい下着が置いてあるのだろうな と
想像しながらお店に入った私の眼に飛び込んできたのは、
カラフルなブリーフやトランクス
なんとそこは 男性の下着専門のお店でした
私の心をとらえた看板の写真は
下着の生地のアップだったようです…
ピラティスやヨガをする女性で
ここのブリーフを愛用している方もいるとのこと
「うーん、しかし…」
と思いながら
店内に目を泳がしていると
片隅に シャツやジャケットやアンティークの小物などのコーナーがあり
そこに置いてあるジーンズに眼がとまりました
徳島で藍染めした糸をつかって
岡山県の児島でつくられた
こだわりの品
儲けを考えずに
「本当につくりたい いいもの」をつくろう と、意気投合した人たちと
一緒につくったものだそうです
(だから 在庫がなくなったら 終わりです とのこと)
そう伺う前から
なんとなく手にしたくなる雰囲気を持っていて
確かに
大切につくられたものであることが
感じられます
履いてみても
とても心地がよく
意識まで凛としてきます
ふと
ここに来る前に会っていた人から聞いた
ある建築会社の方たちの仕事についての話を
思い出しました
その方たちの現場は
いつも和やかな雰囲気と笑い声が絶えなくて、
別荘を建ててもらった ある人は
近所の方から
その家からいつも笑い声が聞こえるよう
と言われるのだそうです
ひとの意識と大地は 相互作用を及ぼし合う
という仮説を
自然栽培の農家の方の体験から
立てることができますが、
それは
意識と物質の関係
として 考えることができるのかもしれません
いくら素材が良くても
料理する人の意識によって
すべてが台無しになることは
実体験済みです
言葉を換えるならば
ものごとに
たずさわるひとの
いしきによって
できあがるものは
その精神性も含めて
いくらでも
すばらしくなる
可能性がある
ということ
なのだと思います
いのち の やさい
先日
五つ先の駅で降りて
「夕陽ケ丘ファーマーズ」という
週2回開かれる小さなマーケットへ行ってきました
そこで求めた 色とりどりの無肥料・無農薬の自然栽培のお野菜は
どれも生き生きとしていて、
シンプルに
油とお塩だけで頂くのが最高です
自然栽培歴30年以上の方が
この地域にもいることに驚き
そして
その方のお米と麦でつくられたお味噌のおいしさに
また驚き…(笑)
その日は この春から新規就農で自然栽培を始めるという若者とも出逢い、
私が住む地域の近くで
私の命を支えてくれる まっとうな食べ物を作って下さる方々がいること
そして 少しずつでも増えていることが
ありがたく
ほんとうに しあわせだな
と
感じました
今日
それらの野菜でサラダを作ったのですが、
野菜のほとばしる生命力を感じたのでしょうか
作っているときから なぜか 楽しくて嬉しくて
食べながらも 嬉しくて楽しくて
サラダ一皿で
とても満たされた
気持ちとお腹になったのでした
すきとおる はる へ
ふりならす
すずのひびきに
たまみちて
みたまのふゆを
いやきこしめせ
<ある神社の神歌 と記されていた うた>
新暦の新年 立春 旧暦の新年 と
三つの 年の初め を 経ての
旧暦の松納め
雨上がりの前夜から
その日にかけては
気温がぐっとさがったせいでしょうか、
なにひとつ 混じりけのない
かのような
すきとおった
空間が
ひろがっていました
クリアで
どこまでもクリアで…
意識も
研ぎすまされていくかのようでした