さかなとひと
夕食に
シシャモを焼いて
並べたら
なんだか
ほほえましくて
しばらくしみじみ眺めてしまいました
昨日観てきた
河鍋暁斎が描く動物たちを
思い起こさせます
なんでも擬人化してしま(い、感情まで付与してしま)うのは
ヒトの脳のクセのようですが、
夕飯のシシャモに
ふと親近感を抱いたのは
このところ
発生学から
ヒトのカラダを見ていることも
多分に影響していると思われます
*
海にいた 私たち脊椎動物の祖先は
激しい大陸変動によって
水辺の暮らしを余儀なくされ、
それに伴い
エラの腸の壁の一部が膨れて
原始肺と呼ばれる
空気の貯蔵場所がうまれました
その後
陸へ上がっていくものと
海に還っていくものに
別れるわけですが、
現存する魚のほとんどが
波打ち際から海に還っていったものたちだといいます
魚の浮き袋は
波打ち際で得た原始肺が
進化したものなのです
鮫が浮き袋を持たないのは
地殻大変動の際にも
海中に留まり続けていたからだとか
一方
上陸を果たした私たちの祖先は
海の中ですでに得ていた
ヒレから進化させた原始的な手足を
より発達させ
やがて
現在のヒトのカラダへと至ります
(クジラは 陸地で哺乳類に進化したあとに 海へ還っていったようですね)
魚たちは
波打ち際で別れた
仲間
だったのだと思うと
妙に
親しみを覚えるのでした
(でも おいしくいただきますけどね。笑)
イメジェリー
昨日 梅雨入りした 関東地方
一夜明けた今日は
梅雨らしい雨の一日で、
途切れることのない雨音を聞きながら
「これはイメジェリーに使えるのでは」
と
気づいたのでした
*
梅雨らしい雨の一日で、
途切れることのない雨音を聞きながら
「これはイメジェリーに使えるのでは」
と
気づいたのでした
*
フランクリン・メソッドの
イメジェリーの一つに
「背中を流れ落ちる川」
があります
イメジェリーの一つに
「背中を流れ落ちる川」
があります
流れ落ちる川が
背中のすべての緊張を洗い流すところを
視覚化するのです
背中のすべての緊張を洗い流すところを
視覚化するのです
今日 気づいたのは
そのイメジェリーに
実際の雨を使う
ということ
単なるイメジェリーよりも、
空から降り注ぐ雨の存在感と雨音といった
「現実」
を
用いることで
よりアクティブに
より効果的に
身体にはたらきかけることができる
ように思えるのです
空から降り注ぐ雨の存在感と雨音といった
「現実」
を
用いることで
よりアクティブに
より効果的に
身体にはたらきかけることができる
ように思えるのです
このイメジェリーは、
背中に留まらず
鼻筋や胸椎や直筋や腕や脚など
まっすぐなラインを見出せる箇所なら
使うことができます
また
身体のデザインからは外れますが
この雨は
自分にとって最も心地よい水温の
シャワーを浴びて
全身の詰まりや汚れを落としている
イメジェリーにも
使えそうです
背中に留まらず
鼻筋や胸椎や直筋や腕や脚など
まっすぐなラインを見出せる箇所なら
使うことができます
また
身体のデザインからは外れますが
この雨は
自分にとって最も心地よい水温の
シャワーを浴びて
全身の詰まりや汚れを落としている
イメジェリーにも
使えそうです
…と
書いているうちに
どんどん雨脚が強くなってきました
書いているうちに
どんどん雨脚が強くなってきました
この雨を使って
身体の中の不要な滞りを洗い流しなさい
ということでしょうか(笑)
仏教徒は、
雨期には 草木が生い茂り 昆虫など数多くの小動物が活動するため、
無用な殺生をしないよう
遊行をやめ一カ所に定住して修行をしたと言います(=安居・あんご)
雨に降り籠められる梅雨の時期、
空から降り注ぐ雨を有効に使って
自らの身体を調える機会と
捉えてみるのも
またよし、
かと
今日は芒種
「芒(のぎ)ある穀類 稼種する時なり」
雨期には 草木が生い茂り 昆虫など数多くの小動物が活動するため、
無用な殺生をしないよう
遊行をやめ一カ所に定住して修行をしたと言います(=安居・あんご)
雨に降り籠められる梅雨の時期、
空から降り注ぐ雨を有効に使って
自らの身体を調える機会と
捉えてみるのも
またよし、
かと
今日は芒種
「芒(のぎ)ある穀類 稼種する時なり」
「合理」は よろこび
<了承を得て 写真を転載させていただきました>
先週の週末とこの間の木曜日の
3日間
あるボディ・メソッドのワークショップに参加しました
身体はどのようにデザインされているのか
という
生体力学的な知見をもとに
身体全体を
そして
身体と意識を
ひとつのつらなりとして捉えるアプローチ
の
体験は
かなり刺激的で
とっても楽しいものとなりました
回を重ねるごとに
いえ
ワークショップでの時間が経過するのに応じて
身体が
歓びに満ちていくのがわかりました
いま
からだを動かすのが
からだを使うのが
楽しくて仕方ありません
また
このメソッドにおいては
多くのボディワークやエネルギーワークで発生する
共依存の関係が
非常に生まれにくいようになっていることにも
好感が持てました
その点においても
合理的であり効率的であると言えます
今回のワークショップと
それ以降 引き続き実践している体験によって、
意識が身体に及ぼす影響
言葉や意識の創造的な使い方
など
いろいろと気づき
これまで観じていながら 統合されていなかったことがらが
いろいろと整理されているのですが、
まだうまく
文章にまとめることができません
「言葉にすることで ほんとうの変化が起こる」
ということは
ワークショップで伝えられ
私自身 実感していることでもあり、
その意味においては
まだ
変化のプロセスが完了していない
ということになるのかもしれません
(もちろん
「変化」や「プロセス」は動的なものなので
それは 完了しない 終わりがない とも言えるのですが、
続いている/続いていく ものことにも
「区切り」や「節」のように
一段落する状態があるわけで、
ここで言っているのは
そういう状況になっていない
ということです)
言葉にできるようになったら
別のブログで
文章にしたいと思います