おりおりに 出逢った      「すきなもの」を      縦横無尽に ご紹介
http://sukimono.edoblog.net/

異元/移元/DIMENSION















DIMENTION

dis-+metiri “to measure”






DIS-


1. lack of, not

2. do the opposite of

3. apart, away



from Old-French des-

or

from Latin dis-

=apart, in a different direction, between,



from PIE dis-

=apart, asunder








地 平 が 変 わ る











 




















































PLANT






















































































              









PLANT < PIE plat- “ to spread, flat”






おにのくに













お に の

く に へ

ま い り ま し ょ う





そ こ で は

闇 が 可 能 性

光 に 惑 わ さ れ る こ と は な い




で っ か ち 頭 と

で っ か ち 心 は

体 と 大 地 に 安 堵 し て


わ か り 急 ぐ こ と も な く

や り 急 ぐ こ と も な く

割 り 切 れ な い こ と

分 か ら な い こ と

そ の ま ま に

わ か っ て く る ま で

待 つ こ と で き る




こ ん と ん

と ん と ん

み ち の み ち




な み だ も

い た み も

そ の ま ま に

あ ら わ れ る こ と に

寄 り 添 っ て

無 闇 に 意 味 を 求 め な い




頭 も 心 も

の び の び

ふ か ふ か

体 も 大 地 も

の び の び

ふ か ふ か




豊 か な 闇 に 育 ま れ

あ ら た な み ち が

幾 筋 も




お に の く に へ ま い り ま し ょ う








【撮影:川島紀良さん、モデル:殿塚友美さん ヘン・タイチュウさん】





@「おに」という語は「おぬ(隠)」から転じた との説があり

ここでいう「おにのくに」はそれに準拠しています





この時この時見ていた先に 今回のこの写真があるような…



封印through











封印に触れることなく

開封することができます




開けられたなら

もう

封印は意味を持ちません





閉じられたものを

開く方法は

きっと

たくさんある




封印するものには

封印スルー






























【THROUGH】


from PIE root "tere-(2)"

(=to croess over, pass through, overcome)












本日

今季初めての

ソメイヨシノの満開が発表されました




これから日本列島は

やわらかな桜色に染め上げられていきます





いのちの風の中に生きる











映画「風に立つライオン」を

観てきました




最も印象に残っているのは

主人公が

少年兵として9人を殺したという少年に語りかける場面です




「お前は9人の命を奪った。

それなら

一生をかけて10人の命を救うんだ。

いいな?

未来はそのためにあるんだよ。」



You took the lives from nine people.

So, now,

you have to spend your life saving ten lives.

You understand me?

That's what the future is for.




命を奪ったら命で支払うべき

人を殺せば殺されるのが当然

という考え方があります




ある意味

納得できる考え方です



でも

二人以上の命を奪った人は

もっと言うなら

戦争などでたくさんの命を奪った人は

どうやってつぐなうことができるのでしょうか




奪われたものを奪い返す

というあり方は

恨みを積み重ね

出口のない苦しみの中に封じ込まれてしまうだけではないか

そんなことに

私たちは

信じられないくらい膨大な犠牲を払って

気づき始めています




それは

奪われた人たちの

想像を絶する体験があってのことです




「つぐなう」

こともまた

いのちをつなぎ はぐくむ

という

“生物が歩んできた道筋”の中にあるのが

望ましいというか

自然なのではないかと、

いえ

そうあってほしいと、

まだ

うまく言葉にできませんが

強い意志のようなものとして

私には伝えらえました




そしてもう一つ

心に強く残っているのは

アフリカの広い空と大地




1993年から94年にかけての年末年始に

3週間

初めてアフリカへ行った時のことを思い出しました

(写真はすべてその時のものです)




今でもありありとよみがえるのは

サバンナの広い大地と広い空

テント一枚隔てて感じる野生動物の気配

そして

そこに昇る朝日



吹きわたる風




アメリカをバスで横断した時に通った

地平線が延々と続く広い大地には感じられなかった

どこか

なぜか

懐かしい感じがありました




そして

なぜか

苦しいときに思い出し

私の存在を奥深くで支えたくれたのが

彼の地で出会った子どもたちの笑顔だったのです







たぶんこの映画の公開に合わせて

先ごろ再放送された

テレビドラマ「JIN-仁」でも

大沢たかおさんが医師を演じていました



その中の

「死んだ人たちが生まれてきたいと思える世をつくる」

ということばも

また

今回の映画とつながり

私たちの進むべき道標となるのではないでしょうか























<こちらはトランジットで一泊したムンバイの子どもたち>






僕は現在[いま]を生きることに

思い上がりたくないのです


空を切り裂いて落下する滝のように

僕はよどみない生命[いのち]を生きたい


キリマンジャロの白い雪

それを支える紺碧の空


僕は風に向かって立つライオンでありたい



【「風に立つライオン」の歌詞より】







身軽にいこう










一つ一つ おわらせて

一つ一つ かたつけて

いらないものは てばなして




着脱自在は

ヒトの特権




身軽にいこう

身軽に生こう








@先日買ったポストカードです




超えていく










何年か前に

友人から話を聞いて

以来

ずっと

心のどこかに留まっていた場所がありました




大雪の初候が終わるころ

今年の冬至が

朔旦冬至と知って

なぜだか

その場所を訪ねたくなったのでした




11月の最終日の「秋の散歩」

コースを決めるときに

その場所を

思い出していたことも

多少は影響したのかもしれません












私の中では

長州への旅の延長にありました









 



















また

今秋から断続的に読み続けている

一連の秘史の本の内容に

関わるものでもありました











偏狭なナショナリズムの言説において

大陸や半島から来た人々を

侮蔑するような表現に出くわすことがありますが、

現生人類が

アフリカ大陸を起源とするならば

他の場所と同じく

日本列島の地もまた

断続的な移民によって

創られていったこことなります




この地にたどり着いたのが

早いか遅いか



違いでしかありません




もちろん

先住の人たちを

ニューカマーたちが蹂躙してよいはずもなく、

後から来た人たちは

先人が培ってきた礎を尊重し

そのうえに

それと混じり合いながら

あらたなクニをつくっていくのが

筋です

(これまで歴史は 残念なことに そうなっていないのですが…)











他人が育んだものを奪うことを良しとし

それによって生きながらえてきた人たちも

いるようですが、

渡り来た土地で

「斧斤を揮ひ、民生の樂土を現成する」ために

並々ならぬ努力をしてきた人たちも

数知れずいたことと思います




そして

後者の人たちの眼差しは

自らが去ってきたクニを再建することではなく

あらたなクニを創造することに

向けられていたのではないでしょうか




過去を

生きるための肥やしとし

常に

未来に向かって進んでいく…




それは

「旅する動物」

たる

ホモ・サピエンスの

本性

のように思えます























過去にしがみつくものたちは

こちらさに分断をつくり

コントロールしようとします




神と悪魔

といった概念もまた

そういうものの一つのカタ

と言えそうです




神という概念は

例えるならば

人間に空を気づかせるために

屋根に目を向けさせてきたようなもの

ではないでしょうか




でも

屋根はあくまで屋根でしかなく

屋根を見ているだけでは

空に気づくことはできません























今を生きる私たちは

空の空間が

頭上だけでなく

全方位に広がっていることを

知っているのです




そして

目には見えぬとも

全方位に光が満ちていて

全方位から光が注がれていることも




光と闇



人間にとっての

可視か不可視かの違いでしかないことも







過去を包含した未来への変容









建築博物館ギャラリーで

「東京オリンピック2020から東京を考える」展が

行なわれていました




「新国立競技場案」「オリンピック選手村代替案」

「オルタナティブ・オリンピック」「ポスト・オリンピックに向けて」

という 4つのテーマに添った展示の中に、

新国立競技場国際デザイン・コンクールの最終審査候補の一つだった

田根剛さんの「古墳スタジアム」



ありました











「明治神宮、新宿御苑、赤坂離宮、皇居、外苑は

大都市の中にある巨大な森である。

外苑に建つ新国立競技場が新たな東京の中心として森で覆われ、

都市文化の記憶を内包する形象の杜として受け継ぐ為の場所の提案だ。

明治神宮が100年の森を育てたように、

外苑でもこれからの100年へ向けたひとびとが集まる強い杜をつくりたいと思った。



建築はひとびとが集まる場所をつくることだ。

場所はひとびとが集い、

場所は全てを受け入れる。

ひとびとが集まる場所をつくるために、

建築は常に存在するのだ。」











コンペの最終候補の中で

私がもっとも気に入っている案です



その理由は

上記に引用した田根さんの文章に加えて、

東京の地もそうであるように

そこにあった丘や山を切り崩す方向で

進んできた

これまでのまちづくりや建築という行為を

見直し

新たな道筋を創っていく

端緒となるように思えることです



そして もう1つ



古の時代

墳墓建設の役目を担っていた土師氏は、

墳墓がつくられなくなってからは

土木建築をはじめとする

あらゆる雑役に携わったと言います



その背景を踏まえて

いま現在

「都市の中に墳丘を建設する」

ことを考えると、

建設という営みの歴史の始まりと最先端が交わる

刺激的な出来事のようにも思えるのです













大和政権における土師部(はじべ)の部民(べのたみ)は、

本来土師君の下で大型墳墓の造築に当っていた建設労働者ですが、

簿葬令によって失職の憂き目に遭うべきところを、

土師君が時の政権に働きかけて、

難波堀江の開削や茨田堤の築造、

さらには計画直線道路(いわゆる官道)の敷設を始めとする

大型の公共土木工事を請け負ったおかげで仕事にありつけたことは、

『落合秘史・南北朝』に述べました。



ところが大型公共工事の一巡と共に土建労働力は過剰になり、

かといって旧(もと)来た朝鮮半島に追い返すわけにもいかず、

折から隋唐帝国の影響で成立した律令政権にもなす術がない折から、

澎湃(ほうはい)と勃興して

これらを救った勢力がいました。

それが行基の率いる民衆仏教勢力だったのです。

その指導者の出自は、

朝鮮半島由来の王仁(わに)氏の分流で西文(かわちのふみ)氏とされますが、

土師氏の出自とする説も有力です。



(略)



さて、

大和朝廷時代には土師宿禰(すくね)の配下にあった土師部の部民は、

社会が律令制に移行すると特定職能のない非農業者として

律令の外に置かれ、

半島から間断なく渡来する大陸の流動民と一緒くたにされて役民(えのたみ)と呼ばれ、

土木建築を始めあらゆる雑役に携わりました。



律令国家は、一面では国家仏教を奉ずる仏教国家でしたが、

仏門で生活するには、

難関を経て官僧になるしかなく上流階級のエリートしかなれません。



したがって、律令民に編入されない役民は納税しない非国民とされ、

官僧になるどころか

仏の教えにも与れない者とみなされて、

仏教用語で「非人」と呼ばれる慣習が生まれました。

古代・中世の社会で非人(無籍非農業民)と称された人々の末流は、

やがて特定地域に生活の根拠を置き、

半ば定住するようになりますが、

その地域が荘園用語を以て呼ばれたのが、

ここにいう「散所」なのです。



散所の淵源は、

街道沿いの「宿」や港湾の「津」、

大社寺の門前および「別院」、有力者の居館などの近傍で、

様々な非農業役務の従事者が、俗に非人と呼ばれて集住した地区です。



貨幣の浸透により進展する「非人経済」を、

大寺院などの荘園領主が「田畑経済」に取り込む目的で、

年貢免除などの保護を与える代償として各種の役務を課す特定地域を、

荘園内に設定しました。

これが散所で、

後世の現業職公務員の原型となる「散所の民」が、

ここに発生したのです。



[*ここに言う「非人」は、江戸時代における「非人」とは別のものです]



<落合莞爾著『国際ウラ天皇と数理系シャーマン』P.61〜P.63より>







今回

この案が実現されなくても、

いつか

どこかで

これと同じ精神に立脚する建造物がつくられることを

望みます


地球にいきる





<写真はこちらのページからお借りしました>





先日

ある方と話しているときに

私が

ヒトという存在に希望を抱く

きっかけとなった本のことを

思い出しました




竹村真一さんの

『地球の目線』

です



改めて

竹村さんについてネットで検索していたら

その本で伝えたかったであろうことが

コンパクトにまとめられた

映像を発見しました







「人類はまだ未熟なんです

幼年期なんです

人類全体が まだ 子どもなんです

子どもっていうことは

伸びしろが大きいってことになります

これから成長期になる



誤解してませんか?

人類は進歩しすぎて地球に迷惑をかけてる

逆です



人類は未熟すぎて

技術が未熟すぎて

迷惑をかけてる

でも

のびしろが大きくて

これから大きな可能性を持ってる」




「日本人として

これだけは分かっててください



地球に

自然に

手を加えることはよくないことだ、

それは

必ずしもそうではありません



日本人は

自然に手を加えて

よりよい地球

よりよい自然を作ってきました


(略)


日本の自然は人工自然です

でも

人工の「工」

上の棒が“天”で 下の棒が“地”で

その間をつなぐ

人の営み



人間は

やりようによっては

天と地をむすぶ

コーディネーターにもなれる、

そういうメッセージが

日本の自然には隠れてます



それを地球スケールに

広げていこうじゃないか、

そういう時代を迎えています

みなさんは そういう時代に生きてます



未来をデザインしましょう」







ほぼリアルタイムで情報が更新される

「触れる地球」

我が家にも一つ

ほしいものです