おりおりに 出逢った      「すきなもの」を      縦横無尽に ご紹介
http://sukimono.edoblog.net/
2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12

さくら さくら




























































先日

東京へ行く用事があったので


桜を求めて

皇居のお堀へ足を伸ばしました




七年ぶりのことです




当時かわした言葉

眼前の景色と重なって

いまという「とき」に

つくづく

感じ入りました






なみうちて










縄文海進のときには

みぎわ

であっただろう場所から

太平洋をのぞむ














Nowruz




な に わ づ に

さ く や

こ の は な

ふ ゆ ご も り

い ま は

は る べ と

さ く や こ の は な

素意や:前略、みちのうえから

 この数年、通奏低音のように、アマテラスのことが いつもどこかで気になっています。
 記紀に記される体制成立以前の、日本列島で最初期に社会を営んだ人たち、
とつながるであろう存在として。


 先日 三つ巴の紋があらわしていることについて考えを巡らしているときに、
鏡が象徴しているのは いにしえからの繋がり、
いわゆる伝統と呼ばれているものことではないだろうか、
という思いが浮かびました。


鏡には 自分とその背後が映し出されます。


 古事記が語るものがたりから 勝手に私が想像するのは、
後からこの列島にやってきた集団と争うことなく和していくことを選択し
そのため社会の表舞台から降り
一部(大多数?)はこの列島から去っていったのであろう
(イザナミに象徴される)最初期の先住集団が、
この地に残し 行く末を託した存在であり証としてのアマテラス、です。
 

岩戸にこもったアマテラスは 騙されて出てきたのではなく、
鏡に映し出される己とその背後の人々の祈りとも言える願いに思い致して
みずからの決意として岩戸から出てきた、
のだと、今の私は考えています。
(あくまで、史実を象徴したものがたり、として。)


 だから、
(落合莞爾さん曰く)その後からやってきたウバイド系を軸に紡がれてきた現皇室は、
鏡が映し出すものの後継者としては単独では欠けるところがあり、
それを自らの皇位継承の神器として用いることはできないのではないかと、
思うのです。


 というようなことを考えていたとき、
ランダムに流していた音楽の一つが 私のアンテナに大きく響いてきました。
まるで、日本列島でのはじまりの人たちの思いにつながるような曲に思えたのでした。
(当時も含めて これまでそんな風に感じたことはなかったのですが。)





【前略、道の上より】


意や



咲きほこる花は 散るからこそに美しい
散った花片[はなびら]は 後は土へと還るだけ
それならば一層[いっそ] 斜めを見ずに
おてんとうさんを 仰いでみようか


海を潜るには 息を止めなきゃ潜れない
息を止めるのが いやなら海には入れない
海には海の世界があるし
そうして再び 潜らずにいられない


山を又登る 登り疲れてふと休む
辺りの景色が 心支えと又登る
微かに山の匂いを嗅いだ
それだけで人は優しくなれる


波が続く様に 時の刻みも又続く
風が吹き止まぬ 時の刻みも打ち止まぬ
やれこれと返す 事のべの中で
何が生きていく 証なんだろか









































【追記(2021/03/14)】



アマテラスは地方神ではあったが、しかしかなりの勢力をもった神であったらしいことを、
同時代の「時の人」の声をとおして垣間見た。
ではなぜこの神は、そんな力をもっていたのだろう。
その理由の一つとして挙げられてきたのが、直木説でも取り上げられていた、
この地域のもつ東国への出口としての重要性である。
(略)
古くからこの地域は、海路で東国地方へ渡る際の交通の要衝だった。
「百船の度会の県」という、
「度会」(伊勢神宮のある地域の地名)についた「百船」という枕詞は、
多くの船が絶え間なく行き交うこの地の情景を彷彿とさせる。
川添氏によれば、
大和から東国へ行くのに、
陸路で鈴鹿を越えて尾張へ出るコースと、
南大和から櫛田川を河口まで下って、伊勢湾の海浜から、
現在の愛知県渥美半島の先端である三河に渡る海路のコースがあるが、
海路のコースが最短で早かったという。

(略)

百船の渡りあう「渡会」の港は、
三河への航路としてだけでなく、
遠く、房総半島の先端にある安房の国(現在の千葉県)へ、
直接渡る航路の出発点でもあったらしい。
これら海路のことは、今後考古学によってさらにあきらかになるであろうが、
いずれにしても、
ヤマト王権にとっての東国の重要性を考えれば、
伊勢のこの地域が、東方への交通の要衝として、
戦略上きわめて重要な地域であったことは確かである。
ところで、この東方への出口としての伊勢と、
朝鮮半島や、さらにそこを経て大陸へ向かう北の出口である沖ノ島とが、
東と北の海上交通の要衝としてヤマト王権下でともに重要視され、
両者がそのことを意識していたとみられる形跡がある。

<溝口睦子著『アマテラスの誕生ー古代王権の源流を探る』P.146-P.148>






三種の神器の鏡が映し出す
この列島にくらす私たちの源流には、
大海原が広がっている

そんな気配を感じます



知人は、
『縄文人はるかなる旅路』の中で
日本列島から世界各地に散っていった海洋民の姿を描きました



個人的には、
伊勢/度会は ヤマト政権下の都への窓口であり
この列島における世界的ネットワークの主要な地は 伊豆半島…沼津あたりではなかったかと、
思っています。



昨日
QUAD[クアッド]に加盟にする日米豪印の初めての首脳会談が開かれました。

この4カ国に
アフリカ(*動線的にはソマリヤやタンザニアあたり)と
南米(*同じくエクアドルやチリあたり)が加われば
原初の海洋縄文人ネットワークと重なるのでは?
などと夢想しています。



引用した溝口さんの文中に 三河の地名が出てきます。
直虎の大河ドラマをきっかけに 奥三河あたりに秘史の匂いを感じる様になっていました。
そして、少し前から時々眺めているブログがテーマにしているのが
三遠の地域と鬼というもの。



なんとなく
この列島の最古層のネットワークと
つながっている
ような気がします






【余談】


大東社という名前に
最古層のネットワークの匂いがするのですが
気のせいでしょうか。。。








あらたし渦へ










INTO THE STROM






cf. storm










3つの エネルギーの(波)場が
かかわりあい
あらたな あな/トーラス

うまれる


3つの次元かかわりあって
あらたな4次元の場がうまれる


いまは
波が編み上げられていて
あらたな4次元が
うまれようとしている
のかな