日本列島文化の古層
【釈迦堂遺跡の名前の由来】
遺跡の名前は、そこの地名からとることが一般的です。
釈迦堂遺跡のある場所には「字釈迦堂」という地名があります。
どうして釈迦堂という地名がついたのか、記録には残されていませんので推測ですが、
字釈迦堂に隣接する字釈迦原というところには、「釈迦堂の杜」と呼ばれる小さな杜が
ぽつんと残されています。
そのお堂にはお釈迦様と石棒が並んで祀られています。
石棒がどうして祀られているのかとても不思議ですが、
隣の字三口神平(さんこうじんだいら)という地名と関係があると思います。
この地は釈迦堂遺跡最大の縄文中期の集落が発見されたところです。
さてこの三口神平という地名は「ミシャグジ」という古い地神に由来するといわれ、
甲府盆地から長野県地域に「御社宮司・御社宮寺・御作神・山宮神・産宮神・三口神」などの字があてられ
地名として多く残っています。
この神の名前は、「サク」神であり、縄文時代にまで遡ると考えられていますが、
石棒や丸石、奇岩、大木などに降りるとされ、
集落の特別の場所に石棒が立てられたり、丸石が祀られたものと思われます。
釈迦堂の杜に石棒が祀られているのは、
まさにその場所が「ミシャグジ」が祀られた聖なる場所だった可能性が高いと考えられます。
だからこそ聖なる杜として残されたのでしょう。
この「ミシャグジ」の「シャク」が転化して「シャカ」となり、「釈迦」の字があてられ、
後に釈迦像と釈迦堂が安置されたものと考えられます。
その背景には、遺跡の背後の山々に関連があると思います。
京戸山(きょうどさん)と呼ばれ、かつて「京戸山千坊」といわれたように
多くの山岳寺院が存在したと伝えられるところです。
山中には寺や仏教に関係する地名が残されています。
したがい釈迦堂という地名も、
もともと縄文時代に由来する「ミシャグジ」があり、
いつしかこれらの山岳寺院と結びつき、
「釈迦」に転化し釈迦堂になったものと考えられます。
<釈迦堂遺跡博物館の資料より>