おりおりに 出逢った      「すきなもの」を      縦横無尽に ご紹介
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超えていく










何年か前に

友人から話を聞いて

以来

ずっと

心のどこかに留まっていた場所がありました




大雪の初候が終わるころ

今年の冬至が

朔旦冬至と知って

なぜだか

その場所を訪ねたくなったのでした




11月の最終日の「秋の散歩」

コースを決めるときに

その場所を

思い出していたことも

多少は影響したのかもしれません












私の中では

長州への旅の延長にありました









 



















また

今秋から断続的に読み続けている

一連の秘史の本の内容に

関わるものでもありました











偏狭なナショナリズムの言説において

大陸や半島から来た人々を

侮蔑するような表現に出くわすことがありますが、

現生人類が

アフリカ大陸を起源とするならば

他の場所と同じく

日本列島の地もまた

断続的な移民によって

創られていったこことなります




この地にたどり着いたのが

早いか遅いか



違いでしかありません




もちろん

先住の人たちを

ニューカマーたちが蹂躙してよいはずもなく、

後から来た人たちは

先人が培ってきた礎を尊重し

そのうえに

それと混じり合いながら

あらたなクニをつくっていくのが

筋です

(これまで歴史は 残念なことに そうなっていないのですが…)











他人が育んだものを奪うことを良しとし

それによって生きながらえてきた人たちも

いるようですが、

渡り来た土地で

「斧斤を揮ひ、民生の樂土を現成する」ために

並々ならぬ努力をしてきた人たちも

数知れずいたことと思います




そして

後者の人たちの眼差しは

自らが去ってきたクニを再建することではなく

あらたなクニを創造することに

向けられていたのではないでしょうか




過去を

生きるための肥やしとし

常に

未来に向かって進んでいく…




それは

「旅する動物」

たる

ホモ・サピエンスの

本性

のように思えます























過去にしがみつくものたちは

こちらさに分断をつくり

コントロールしようとします




神と悪魔

といった概念もまた

そういうものの一つのカタ

と言えそうです




神という概念は

例えるならば

人間に空を気づかせるために

屋根に目を向けさせてきたようなもの

ではないでしょうか




でも

屋根はあくまで屋根でしかなく

屋根を見ているだけでは

空に気づくことはできません























今を生きる私たちは

空の空間が

頭上だけでなく

全方位に広がっていることを

知っているのです




そして

目には見えぬとも

全方位に光が満ちていて

全方位から光が注がれていることも




光と闇



人間にとっての

可視か不可視かの違いでしかないことも