おりおりに 出逢った      「すきなもの」を      縦横無尽に ご紹介
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異場(コトバ)のクニ










明治維新や

維新の志士に

とりたてて興味がない私にとって、

長州は

これまで

用事で2度ほど訪れたことはあっても

そして

家人が「行きたい」と何度つぶやいても

旅先として選ぶ場所ではありませんでした




明治天皇をめぐる

すり替え説

に対するひっかかりが、

私の足を

長州から遠ざけていたことも確かだと思います




明治天皇がすり替わっていた

としても

それ自体は

私には

違和感も驚きも

生じさせないのですが、

私が当初接した説で言われていた

「暗殺」

という出来事が

なぜか

どうしても

ひっかかっていたのです

(「暗殺」がありえない というのではなく、

「暗殺」がそぐわない というような感じでしょうか)




数年前に

皇統についての本を読んだ時

その中の一文に触れて

孝明天皇も睦仁親王も

暗殺されなかったのだろう



思い至ることがあり、

当初の違和感は

幾分

薄らいだものの、

依然として

すっきりしないものが

横たわったままでした




それが

今秋になって、

そこに記されていることの裏は直接取れないものの

これまで私が見聞きしてきた

様々な出処の情報のピースや

私が漠然と抱いてきた“感じ”が

ぴたっ

ぴたっ



当てはまる

本に出逢って、

ようやく

長年わだかまっていたものが融け


「長州へ行ってみよう」

という

心持ちになったのでした













私を長州へと誘(いざな)った本には

その地は

大陸や半島との関係において

重要な役割を果たしてきたことが

記されています













鎌倉には

頼朝公の墓のすぐ近くに

大江広元公の墓を中央にして

島津氏の祖とされる忠久公の墓と並んで

毛利氏の祖とされる季光公の墓があります
























異国との接点であるがゆえに

日本の征服や擾乱を企図する者たちが

接触し

上陸してくる

土地




国家分断の

発火点となりうる

土地




記録や伝承に残されることのない

さまざまな取り組みや働きや苦労が

あったであろうことは

想像に難くありません























大内義隆公が

理解を示し

手厚く保護したため

日本で最初にキリスト教が根付いたとされる

山口




フランシスコ・ザビエルの出生地である

スペインのナバラ州は

山口市の姉妹都市です





イエズス会の創設者 フランシスコ・ロヨラ



ザビエル



バスク人




海洋の民であるバスク人



水軍が活躍した

この地に

故郷に似た何かを

感じていたかもしれません




第266代の現ローマ教皇であるフランシスコは

イエズス会初の教皇とか




地政学では

海洋国家の重要性が

語られますが、

歴史において

海に関わる人やものごとは

かなり

大きな影響力を持ってきたように

観じられます








過去の膿を洗い流し

異なるものこと



つなぎ

あわせる

触媒となり

産みの場

産みのはたらき



なりますように