おりおりに 出逢った      「すきなもの」を      縦横無尽に ご紹介
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那須の空













9月の晦日

ひと月ぶりの晴天に恵まれたという

那須岳へ登ってきました




那須火山帯の最南端




その南麓は那珂川の源




那須という地名の由来の一つに

「那珂川の中洲」

があります




「那珂川」「那珂」

という地名は

通商航海と青銅器など金属精錬加工技術に秀でていた

奴国に由来する



知人はその著書『役行者ー修験道と海人と黄金伝説』に記しています




通常「なのくに」と読まれる「奴国」の文字が

「ぬのくに」や「ぬな(の)くに」とも読めるなぁ…と思ってしまうのは

“ナイル川の上流アスワンからスーダンにかけての地名ヌビアは、

古代エジプト語で「金(きん)」を意味する「ヌプ」から出たもので、

金に関する土地を表す隠語が「渟名(ぬな)」ないし「渟(ぬ)」である”

という

ある本での記述を受けてのこと




那須の地名の別の由来に

アイヌ語から変化したという説があり、

その説明のなかで

「野」を意味するアイヌ語が「ヌブ」

と知り

古代エジプト語の「ヌプ」と非常に似ていることが

ちょっと気になったりもしています




































































































 






































































いづのへそから











家人に誘われて

この週末に訪ねた場所は

図らずも

鎌倉と縁の深い土地でした




また

知人がその著作の中で触れていた

カヌーの語源ではないかとされる地でもあり、

このところ関心を持ちつつある日本画の

狩野派・発祥の地でもあり、

帰宅して調べた資料の中には

古代日本列島における重要な地として記されていて、

なかなか

興味深いところです




伊豆諸島は島流しの先として有名ですが、

秘史に影響され

「島流し」が本当に懲罰(だけ)のためだったのか

ちょっと疑問に思っている身としては、

諸島への入り口となる

その半島に

一層興味が湧いてきます




地質的にも面白く

改めて

また訪ねてみたいと思うところです




パンフレットか何かに

私が訪ねたあたりが

その半島のヘソ

と記されているのを見て、

このところ

「ヘソ」

というものについて考えている私は

妙な親近感やシンクロニシティを感じたりもして…(笑)




湯の里で

湯に浸かっていないときも

文字通り

沸き立つ大地の熱を全身に感じ

地球のエントロピー減少のプロセスの中にあることを

強く認識もしたのでした




私のカラダ(=心身)も

エントロピーを減少させて

これまでの経験を統合する方向へ

進んでくれますように





















































松岡御所











5月の最終日

水月観音菩薩坐像を初めて拝観しました




絵葉書の写真では見たことがあったのですが

やはり

実物は違います




マリア像を連想する

たおやかな佇まい

という

写真からの印象が

さらに増し、

同時に

観る角度によって

そして

「今年に入って時間があれば拝観しに来ている」という方に言わせれば

そのときの自分の有り様によって

さまざまな表情が

あらわれます















拝観のあと

そのお寺のお庭を散策




イワタバコが

花をつけ始めていました















満開の姿を写真に収めに来た方には物足りなかったようですが

ヤマボウシも見頃を迎えており

水月観音



庭の石仏に



手向けられていました















後醍醐天皇の皇女が住持になったことから

松岡御所と呼ばれるようになった

というそのお寺




護良親王は殺されずに生き延びていた

という秘史が

妙に腑に落ちる身としては

「御所」という文字が持つ意味について

少々気になったりするのでした










【補記】


ヤマボウシ(=柘:つみ)を詠んだ万葉集の和歌





「この夕 柘のさ枝の 流れ来ば

梁は打たずて 取らずかもあらむ」





「いにしへに 梁打つ人の なかりせば

ここにもあらまし 柘の枝はも」




しょうよう











今年の春は

ここ半年気になっている地域に

何度か足を運んでいます




昨日は

ときおり山行をご一緒する方と

二つの山を

歩いてきました















 







折り重なるように連なる山々の中にある

隠れ里

のような風景は

どこか懐かしく

また

どこか普遍で、

“地理上の特定の場所”

という枠組みから外れた感覚とともに

その風土がつくりだす

「けしき」

味わいながら…























































そういう季節なのでしょう

どこへ行っても

蝶がたくさん舞っていて































架空の物語に登場する姫が

籠ったとされる洞が

さも

事実であったかのように

きちんと整備されているのを見て、

ちょっと奇妙な気持ちになったりもして
















でも

それが

秘されたものがたりと関わりが深いであろうこの地の

ありようと

重なったりもするのです































【 逍 遥 】



竹の子の力

万物にたとふべし

照りし新緑

とみのやま

かくれさとのや

われ

しょうようす




cf. 「竹の子の力を誰にたとふべき」by 野沢凡兆























本日 旧暦弥生の朔




花の寺











ロケ地巡り第二弾となったのは

家人が

ある番組で観た寺院でした




大黒天が有名なのだとか




本院の山門から

その別院へ向う途中

頂から一本の木がすっくと伸びている円墳が気になり

陵の前まで行ってみると、

私が読んだ秘史の本で

重要な役割を担ったとされる方の名が

記されていました














目指した寺院の庭には

最後の将軍・徳川慶喜公が寄進し


孝明天皇陵にあったという石灯籠が

菊花紋の盛り砂の中央に




幕末の混乱期に

薩摩藩が倒したものを

二条家の血筋である

この院の住持が

夜中に密かに移した

とのこと















院内は

いろとりどりの花が

美しく

活けられていて

この場所を守っている方の

こまやかさが

伝わってきます















建物や庭や像や書など

見所はたくさんあったものの

私には

花が

もっとも印象に残ったのでした














昨日訪ねた先で

「透明」

とか

「透き通った」

という言葉さえ

濁りに思えてしまうような





遭遇しました




たまたま

その「とき」が

“そう”だったに過ぎないのかもしれませんが、

私にとっては

初めて体験する感覚でした




帰宅して調べてみると

古の頃

そのあたりは

樹海さながらだったとか




生命力溢れる存在感のある大木に

惹かれたのは

ある意味

当然だったのかもしれません




少し行くと

浦へ向かって

急な坂道となっていて、

かつては波に洗われる岬だった

面影を

地形から窺い知ることができます







細胞は

「場のやわらかさ」を感じ取って応答する

という文章を読んで、

改めて

「場」

というものについて

思いを馳せている

今日この頃



“約60兆個の細胞の総体

としての

カラダ”





への

応答も

興味深いものがあります































本日は 大寒

「款冬華(ふきのはなさく)」

そして

旧暦師走の朔









【追記(2015/11/18)】


ヒトの体の細胞は

37兆個のあたりのようです。

今年の秋に参加した細胞の講座で

講師である大学教授から そう伺った時

これまで言われてきた数の3分の2以下だったことに

けっこう驚きました。

37兆個でも

私の想像が及ばない数なのですけれど…(笑)。




地の記憶










<御神籤 第三十六番>



玉 ち は う


か み の め ぐ み の



風 う け て


も え 出 で に け り


の べ の 若 草









「土地は記憶しているんですよ」



『ブラタモリ』の中で

タモリさんが言っているのを聞いた翌日の

昨日、


訪ねた先で

その地の高低差の大きさと

有名な寺院が谷底にあることに

驚きながら

「地の記憶」

というものに

思いを馳せていました




大地は本当の歴史を知っているんだろうな



かんじながら…







ちなみに

昨日は

ウィキペディアによれば

大友皇子が即したとする立場において

大友皇子が弘文天皇に即位した日

とのこと




秘史にまつわる本を読んで以来

大友皇子が生き延びていたような印象が強まる一方で…

(*相模や房総には そういう伝承が残っています)




房総の地は

なかなか意味深長です























また

本日

2015/01/10は

小寒の次候

「水泉動(しみず あたたかを ふくむ)」




初日



異場(コトバ)のクニ










明治維新や

維新の志士に

とりたてて興味がない私にとって、

長州は

これまで

用事で2度ほど訪れたことはあっても

そして

家人が「行きたい」と何度つぶやいても

旅先として選ぶ場所ではありませんでした




明治天皇をめぐる

すり替え説

に対するひっかかりが、

私の足を

長州から遠ざけていたことも確かだと思います




明治天皇がすり替わっていた

としても

それ自体は

私には

違和感も驚きも

生じさせないのですが、

私が当初接した説で言われていた

「暗殺」

という出来事が

なぜか

どうしても

ひっかかっていたのです

(「暗殺」がありえない というのではなく、

「暗殺」がそぐわない というような感じでしょうか)




数年前に

皇統についての本を読んだ時

その中の一文に触れて

孝明天皇も睦仁親王も

暗殺されなかったのだろう



思い至ることがあり、

当初の違和感は

幾分

薄らいだものの、

依然として

すっきりしないものが

横たわったままでした




それが

今秋になって、

そこに記されていることの裏は直接取れないものの

これまで私が見聞きしてきた

様々な出処の情報のピースや

私が漠然と抱いてきた“感じ”が

ぴたっ

ぴたっ



当てはまる

本に出逢って、

ようやく

長年わだかまっていたものが融け


「長州へ行ってみよう」

という

心持ちになったのでした













私を長州へと誘(いざな)った本には

その地は

大陸や半島との関係において

重要な役割を果たしてきたことが

記されています













鎌倉には

頼朝公の墓のすぐ近くに

大江広元公の墓を中央にして

島津氏の祖とされる忠久公の墓と並んで

毛利氏の祖とされる季光公の墓があります
























異国との接点であるがゆえに

日本の征服や擾乱を企図する者たちが

接触し

上陸してくる

土地




国家分断の

発火点となりうる

土地




記録や伝承に残されることのない

さまざまな取り組みや働きや苦労が

あったであろうことは

想像に難くありません























大内義隆公が

理解を示し

手厚く保護したため

日本で最初にキリスト教が根付いたとされる

山口




フランシスコ・ザビエルの出生地である

スペインのナバラ州は

山口市の姉妹都市です





イエズス会の創設者 フランシスコ・ロヨラ



ザビエル



バスク人




海洋の民であるバスク人



水軍が活躍した

この地に

故郷に似た何かを

感じていたかもしれません




第266代の現ローマ教皇であるフランシスコは

イエズス会初の教皇とか




地政学では

海洋国家の重要性が

語られますが、

歴史において

海に関わる人やものごとは

かなり

大きな影響力を持ってきたように

観じられます








過去の膿を洗い流し

異なるものこと



つなぎ

あわせる

触媒となり

産みの場

産みのはたらき



なりますように







 

言葉のくに









先月末に訪ねた先は

種田山頭火

金子みすゞ

中原中也

などが

生まれたところ




はからずも

いたるところで

さまざまな

「言葉」



触れることとなり



 
「ことばのひと」



育んできた



であることを

足を運んで

初めて知りました































 















 



遮るものがない場所で










壁がなく

視界を遮るものがない

場所で

飲む

ビールは

格別です




天気に恵まれた

昨日の

秋の日の散歩は

山頂で一缶

浜辺で一缶




日が沈んで

肌寒くなってきた

夕刻からは

蕎麦屋へ移動




生きることにおいて

遮るものをつくっているのは

自分自身の体と意識だね

なんてことを

しみじみ話しながら

熱燗と

つまみと

ざるで

一日を締めくくったのでした




















<昨日一緒だった友人の一人が
最近はまっているという「石積み」
浜辺で 軽く 実演してもらいました>









そらみつ大自在









旅の初日

日本最古とされる天満宮で

お祭りが行われていました




白装束に

紅梅の判が

なんとも粋で












西日本屈指の荒祭りとして有名という

この御神幸祭(=裸坊祭)の

御発輦[ごはつれん]と御帰還は、

人混みを避けたい

のと

隣の市に取った宿に帰るのに時間がかかるため

見ませんでしたが、

周辺から神社へ向かう人たちの

晴れやかで

高揚した雰囲気から

この祭りと社が

とても大切にされてきたことが

感じられました




翌日は

宿を取った市の

天満宮のお祭




両社を同じ神主さんが管理しているために

八坂神社と連動したお祭りとのことでしたが、

それは

その日に参加した歴史散歩の案内人さんがおっしゃった

「スサノオと道真公

ともに

荒ぶる神を祀った者(の意図)



それによって護られている地」



象徴しているようにも思えました







通説とは異なる

歴史の本を読みながら、

スサノオ



菅原道真公



もしかしたら

一般に伝えられているような存在ではないのでは



思っている

私には、

この地の果たしてきた

そして果たしているであろう

役割

というものに

改めて

思いを馳せる機会ともなりました




すると

「兄弟 わっしょい」

という

御神幸祭での掛け声が

深く響いてもくるのでした
















アジール







昨日

出かけた先では

お祭りが行われていました




主要な神社がそうであるように

この社も

縄文海進のときは

海を臨む場所だったところ

陸と海の境界だったところ



あります




林立するビルの谷間に

エアポケットのように

あり続ける

社の空間は、

日常の時空を異化する

異次元のような場所です




陸と海をつなぐ場所

日常と非日常をつなぐ場所

此岸と彼岸をつなぐ場所

“ここ”と“ここではないところ”をつなぐ場所




つい先ほどまで

橋の話を聞いていたことを思い出し、

どちらも

異なるものを

つなぐ

はたらき

があるなぁ



次第に濃くなる

透き通った

空のあお



しばし

眺めていました









よいみやの

ともしび

うかぶ

しぶやがわ

きしからきしへ

ながれの

きよき








かつて青山台地は、人間の舌のかっこうをした大きな「岬」として、

足許に海水を受けていた。

そして、

芝や三田の高台と同じように、

ここは古代からの大きな埋葬地だった。

いまの青山墓地の南西部の、

少し傾斜のはいったあたりが、

もっとも古い埋葬地の跡を示している。


(略)


青山の台地は、

死霊の支配する「自由」の空間なのである。

ほんとうのことを言えば、

この空間の中にいるかぎり、

世の中の人が普通にはどういう格好をしているだろうかとか、

どういう考えをしているだろうかとか、

そういう保守的な考えには、

いっさい縛られる必要がないのである。

「自由」の空間は、

こうしてファッションの生まれる創造的な空間となる資格を持つのである。


(略)


青山墓地でシャクジンが発見された。

ぼくはそのことにいたく感動するのである。

これは神様たちの国家管理ということがはじまるはるか以前から、

この列島に住んでいた「古層の神」の代表である

シャグジ(宿神、石神)という神様のことをさしている。

この神様は胎児の姿をして、

胞衣(えな)に守られて人の目に見えない空間に住んでいる。

シャグジの住んでいる空間は、

現実の世界の影響が及んでこないようになっている。

そのために、

この空間の内部はまったくの自由がみちあふれていた。


(略)


青山墓地を中心とした死霊の支配するその空間には、

業界人が好んで住んでいる。

ファッションメーカーの事務所やショップも、たくさんある。

そして、

そこからつくりだされる現代ファッションは、

根も葉もない自由をこそ生命としているのである。

現実のしがらみの強い土地、

たとえば霞ヶ関の近辺などでは、

ファッションの想像力はさぞかし生きにくいことだろう。

ところが、

青山はシャグジの神様の祀られていた、

死霊の住まう自由の「アジール」なのである。

そこにいれば、

業界人たちも自由に息ができる。



東京にも地霊は生きている。

青山界隈の真実の支配者は、

シャグジの神様なのである。



(中沢新一・著『アースダイバー』P.160〜P.165)





森の戸のみなもと











麦秋至

(むぎのときいたる)


昨日

友人たちと一緒に

森の戸という名を持つ流れの

水源の山を

歩いてきました




最高気温が30度を超える真夏日

にも関わらず

この場所にしては結構な人出でした




私たちも含めて

行き交う人たちが

「今日は人が多いね」



口にしているのが

なんとも おもしろくて…











昼食は

ジャスミンの香りをやさしくしたような

白い花が満開の

木の下で







大地から染み出る水が

ぬかるみをつくり

やがて

小さな流れとなり

きがつけば

いつのまにか

川と呼ぶにふさわしい

堂々たる流れになっている…

という

ある意味

当たり前のプロセスを

身体とともに辿っていくことは

歓びであり

驚きでもあり

新鮮でもありました







無限在の御宿り









その教会は

坂をのぼった台地の上にありました



縄文海進の時期は

ミサキだったところ



目白坂をのぼりながら、

1週間ほど前

江ノ島の参道を歩いているときに

ご一緒していた方が言った

「モン・サン=ミシェルみたい」

という言葉が

浮かんできました







聖ミカエルの山

モン・サン=ミシェル



龍退治で有名な聖人の名を冠した

その小島は

もともと

ケルト人の聖地だったとか



一神教において

無意識や暗黙の領域と関わる 水や流体の

象徴ともいえる龍が

悪魔とされたのは理解できます



その島は

水の聖地だったのでしょう



島の頂を覆うように建てられた

修道院は

先人が祀ってきたものを 封印し活用してきたことを

物語っているかのようです







目白一帯が

わき水の豊かな地であることを

教えて下さったのは

その地にある古民家の「井戸守り」を自称している方でした



目白不動はもともと

関口台地の崖に添うように延びるこの坂の

南斜面にありました



滝や川など

水に関わる聖地には

必ずと言っていいほど

密教由来のお不動さんが祀られています



密教は

日本において

ある意味

キリスト教的なはたらきを

してきたのかもしれません


(実際 空海と景教のつながりを指摘する方たちもいます。

景教自体は それ以前に

渡来民を介して

日本に伝わっていた

可能性は高いと思われます。)












坂をのぼりきって たどりついた教会は

丹下健三さんが設計したもの



家人が「あれはすごい」と勧める教会が

先月 別の話の中で出てきた教会と

同じであることに気づいて

少し興味をそそられたのでした



そびえ立つその建物を見ながら

「モン・サン=ミシェルみたい」



心の中でつぶやき

映像でしか知らないその場所を

思い浮かべていました









無原罪の聖マリアを記念し マリアに捧げられた

その教会は

無原罪の御宿りの祝日である

12月8日に落成



教会の西側には

フランスの「ルルドの泉」を模した洞窟があります



水は湧いていないけれども

この地に

水にまつわる聖地をつくったのは

理に適っているように

思えます



目白にある

おいしいクレープとガレット(とワイン♪)のお店の名が

ル・モンサンミシェル

なのは

たまたまなのでしょうか…












去年の春

つばきやまへ行ったとき

この教会は目に入っていたのですが

大仰な建物だなぁ

という

うっすらとした印象しか残っていません



たしか

つばきやまを訪ねたのは

水にまつわる動機からでした







み な そ こ を


ふ う


い ん


し た る


せ き


く ち





わ れ


し る


だ い ち は


い き


無 限 在









2014/05/19(月)







【追記】

(2014/05/22)


ルルド(Lourdes)とは

岩だらけの坂

という意味のようです



余談ながら

ルルドの泉を模したものは

1899年に長崎県福江島の井持浦教会につくられたものが

日本最古とのこと



こちらのサイトによれば

五島列島には

ルルドの泉が多くつくられているようです